最近の新聞記事から「君が代不起立教員 前代未聞の再処分」(編集部)

 東京新聞・朝刊12月20日「こちら特報部」は、「都教委 異様な粘着気質」の見出しで、君が代問題で最高裁判決を無視して、再処分を強行した問題をとり上げた。以下は、その記事のリードの部分。

  都立校の式典で、君が代の起立斉唱を拒んだ教職員への処分について、最高裁が「減給は重すぎる」と処分を取り消した教員七人に対し、東京都教育委員会は17日、戒告処分を出した。最高裁判決の趣旨は処分乱発をいさめたもの。にもかかわらず、都教委は猪瀬知事の醜聞騒ぎにまぎれ、前代未聞の再処分を強行した。(出田阿生)

 2005年3月、卒業式での君が代斉唱時に起立しなかった教職員に減給という懲戒処分を下した都教委に対して、最高裁が「減給は重すぎる」と判断し、処分を取り消した。ところが、都教育庁教職員服務担当課の職員は「それより軽い戒告については何も言われていない」として、「戒告」処分を出したのである。
 東京新聞が「異様な粘着気質」と批判しているように、最高裁による処分取り消しがあったにもかかわらず、軽い処分なら最高裁から「言われていない」からという理由で遮二無二みずからの権力を行使しようとする。さらに、事件から8年過ぎても、あくまで職務命令に背いたという理由での処分を遂行する。
 東京新聞の記事は、「最高裁の苦言も無視 「まるでストーカー」」という小見出しをつけているが、この執念深さは確かに「異様な粘着気質」で「ストーカー」体質との批判が適切だろう。

 こうした教育システムは、当然生徒の方にも浸透していく。
 昨日の当ブログの記事でとり上げた秋田の畠山鈴香受刑囚の場合も、小学から高校まで一貫して執念深いいじめに遭っている。父親の酷い暴力、そして高校の卒業でのクラスメイトの寄せ書きにも心ない言葉が彼女に向けられている。こうした環境では、精神を病まない方が不自然なほどである。
 罪は罪として償わなければならないが、厳罰をもって対処するのではなく、犯罪の根源にあるのはむしろ都教委のような「異様な粘着気質」の支配欲であって、そうした精神構造をこそ断罪すべきである。学校にこびりついている「いじめ」は深刻化し、子どもの頃から生きることが楽しくない世界がしずかに広がっている。
 都教委のような権力が教員を縛りつけ、個人として尊重することを否定する構造こそ、明白にしつつ、わたしたちが克服していかなければならないものである。そのためにも、この東京新聞の記事のような言論メディアは価値をもつといえるだろう。

 現安倍政権は、国家安全保障戦略に「愛国心」を明記したが、「日の丸・君が代」に続いて、国民のこころまで縛りつける道具をつぎつぎに準備している。戦前のファシズムの再現を図ろうとする戦略である。それと東京都教委の「異様な粘着気質」は本質的に通じ合っている。

『橋の上の「殺意」』畠山鈴香との交信(結)

11月15日付『橋の上の「殺意」』の続きになります。
手紙の受取人畠山鈴香は、2006年秋田で起きた児童連続殺人事件の犯人で、『橋の上の「殺意」』はその事件に克明に迫った鎌田慧のルポルタージュ。今年8月に講談社文庫で再版され、そのあとがきに畠山鈴香受刑囚との手紙が掲載されている。今回が、手紙の最終回。


 今年(2013年)2月に四十歳の誕生日を迎えたとき、「一応、節目の時なのかとも思ったりして、四十歳という年令にふさわしい行動や考え方をしているのかと考えました。やはり残念ながら年令にふさわしいとはいえない、まだまだ未熟で子供だなと納得してしまいます。少しでも年令にふさわしく、人としてきれいな年の取り方ができればいいなと思います。できれば、かわいいばあちゃんと周りから言われたいですね」 
 こんなお手紙をいただくと、もしも裁判官が、世論や検事の主張に迎合して、死刑にしてしまったなら、このような女性を一人殺すところだった、ということがよく理解できるのです。 

 べつにあなたは、この手紙が引用されるとは思っていないでしょうし、わたしにもそのつもりはなかったのですが、最近、また自民党政権に復帰したら、たちまちにして、死刑執行が流行のようになったことを、わたしは憂(うれ)いているのです。
それで、辛うじて死刑判決を脱したあなたが、その後どのように暮らしているかを、伝えたいと思うようになったのです。

 小説好きのあなたの文章は明るく、正確で、読むのが楽しみです。3・11の日について書かれた以下の手紙は、「刑務所からの報告」ともいえる、貴重なものと思います。

Abukuma_River,_Fukushima_City,_Japan
 「鎌田さんは地震の時、日本にいなかったのですね。良かったというべきかどうか、知り合いや友人も多いことと思います。皆さん無事でしたか?
 こちらは震度6強で工場はギシギシとたてに横にゆれ、机の下に1時間ももぐり、正直死を覚悟しました。 
 地震前は晴れた日差しが入ってきていたのに、机の下から出ると外は雪が降りつもっていました。 
 地震後しばらくは食事もカロリーメイトとかかんづめとか日中もすくなかったですね。入浴は18日が10分だけで髪も洗えませんでした。
 仕事もなく、工場が可働したのは29日だけど、洗濯工場は多くの機械が壊れて4月25日まで可動しませんでした。 
 津波で家族や家を失った人もたくさんいると聞いているし、(家族が)避難所で生活しているので仮釈放が中止になったひともいました。今年はやはり運動会は無いと発表がありましたが、元々新しい施設で行事がすくないので、代わりにボールパスリレーを講堂で工場対抗でやることとなりました。 
 正式に放射能について施設側から説明も対応の説明もありません。ここにいるしかないのだからしょうがないのですけどね。ここにいるがために助かったという人もいる様です。
 自分がなぜ生きているのか。何ができるのか。ふとした時に考えてしまいます。ずっと骨髄バンクのドナーになりたかったのだけど、資料もなく、ここでは無理なのかとあきらめかけています」


 そうでしたか。刑務所にいたから、津波に巻き込まれなかったひともいる。人生なにがさいわいするかわからないものですね。 いびきが人並み以上にうるさい、というので、雑居房から独房に移されたそうですが、これもどちらがいいのでしょうか。あなたは集団生活にむかないのですから、いびきに救われた、ということでしょうね。 
暑くなります。どうかご自愛ください。
敬具  
2013年7月7日
  鎌田慧   
『橋の上の「殺意」』講談社文庫、2013年8月
写真=福島市を流れる阿武隈川、photo by Brian Adler,Public domain

トヨタの隠蔽体質を斬る

12月15日付「トヨタに“暴走" 隠蔽の旨味を教えた 20 年前の悪しき教訓」の続きになります。

 東京都府中市で死傷者6人をだした暴走事故では、ブレーキを踏んだのに車が止まらなかったとの主張を被告が譲らなかった。実際、事故現場ではブレーキと疑われるタイヤ痕が見つかっている。
 また87 年には、コンピュータ基盤に付けられたハンダのひび割れから暴走が起こるとしてトヨタがリコールしているし、アースの締め付けを忘れたトヨタ車の自動速度制御装置が誤作動し暴走している。
 それでも車の心臓部でもある電子制御が設計段階からおかしとは認めない。トヨタのかたくなな隠蔽姿勢は、80 年代末から一貫している。旧運輸省の不可解な最終報告書と米国でのロビー活動によるもみ消し、とは似かよった結果となった。

 AT車問題と今回の暴走問題の奇妙な一致点は、これだけではない。
 トヨタは89 年9月に、AT車の暴走につながる可能性のある欠陥を運輸省に報告せず、苦情のあった約3000 台の車の部品を密かに交換していたことが明らかになった。これはプリウスのブレーキの不具合をリコールせず、苦情の顧客だけコンピュータを改善していたのとおなじ処置である。

 当時、この問題について記者会見したトヨタの金原専務は、「このような不始末をしたことをおわびする。安全性に問題はなく、運転者の感覚的な範囲の問題としてとらえ、社内で対策をとっていた。リコールの対象外との判断だった」(『毎日新聞』89 年9月13 日)と語った。
 これもプリウス問題で記者会見をした横山裕行常務の「お客様の感覚と車両の挙動が少しズレていることによって、お客様が違和感を感じられると認識しておりました」という発言とおなじである。

 車が暴走しようが、ブレーキの利きが遅かろうが、お客様の「感覚の問題」だというのが、トヨタ方式なのだ。
 米国トヨタ自販のジム・レンツ社長が公聴会で説明した「世界的な情報の共有がうまくいかず、大半の情報が一方通行だった」ことが問題の本質ではない。情報を集めた先の大企業意識、殿様意識が、ユーザーの安全や不安を押し切ってきた。

 このような、これまでの一連のAT車暴走事件は、トヨタに悪しき教訓をあたえてきた。構造の欠陥を認めず、不安と不備をガス抜きをしながら時間をかけ、こっそりと問題をカイゼンしていけば世論も収まると。
 だからこそアクセルペダルの問題が指摘されても、死亡事故が起きるまでは放っておいた。日本のマスコミは、トヨタの広告費に餌付けされていた。

月刊「記録」2010 3 月号


写真=Taken by emrank, creative commons license

「福島からの訴え」(結び) 千葉親子(脱原発福島県民会議)

12月19日「福島からの訴え」 千葉親子(脱原発福島県民会議)」の続きになります。

 生活を置き去りにしたまま、故郷を離れ、避難生活をされている方々は、故郷に帰りたい、もとの暮らしに戻りたい、募る思いと、戻れない、戻りたくない・・・この先の希望も持てず、心に大きな不安を持ちながらも、多くの人は、そして、子どもたちは、日々の暮らしを明るく頑張っているのです。

 「わたしたち将来結婚できるかなぁ~」「赤ちゃん産めるのかな~」あどけない少女たちの会話を聞いたときは、私は、涙が止まりませんでした。未来ある子どもたちの夢や希望を奪うようなこの事件の、責任をいまだに、誰もとろうとしていないのです。
 避難した子どもも、避難できないでいる子どもも、将来の健康に格差が生まれないように、保養・避難・移住の仕組を作り、制度化し子どもを守って下さい。 

 原発は収束していません。事故そのものです。生活権を奪い、基本的人権を脅かしている事件なのです。
 きょうも過酷な原発事故現場では、1日に何千人もの労働者が被爆を余儀なくされているのです。私たちはその方たちの犠牲の上に、かろうじて今の暮らしが保たれているということを忘れてはならないと思います。  
 原発関連死で亡くなった人は11月14日現在1557人。自死された人や、収束作業で被爆し人知れず亡くなっている人、不慮の事故で亡くなった人の痛みを、政府も東電もどれだけわかっているのですか!!
 子どもたちの健康や未来に不安を抱えて暮らす生活がわかりますか!!
 故郷を奪われ、年老いた親を失い、子どもや孫の健康をきづかう福島の暮らしをほんとうにわかっていますか!!

 今でも福島は汚染の中で病み苦しんでいます。原発事故で死んだ人はいないと言われました。甲状腺がんが発生しても原発事故による影響ではないと言いました。1ミリシーベルト以下は目標だと言われました。事故はコントロール、汚染水は完全にブロックしてある、と言いました。直ちに健康に影響はない・・・と、繰り返し言いました。
 誰が信じていますか!!冗談もやすみやすみ言え!! 叫びたい気持ちです。
 嘘をつかれるのはもうたくさんです。
 子どもたちさえ守れない政府が「秘密保護法」でなにを守ろうとするのでしょうか。県民は本当に怒っているのです。

 「原発事故さえなかったら!!」
 「元の暮らしに戻せ!!」
 「原発はもういらない!!」
 被災者の叫びは、原発再稼働反対、原発を即ゼロに、放射能汚染被害者への償い、救済を求める声です。責任を果たさない東京電力、国に対し償いを求めるいのちの叫びです。  

 福島はあきらめません。この苦しみを決してわすれません。過去・現在、そして、未来の補償と安心安全を勝ち取るまでは絶対にあきらめません。

「さようなら原発 とどけよう!脱原発の声を」11月26日,日比谷野外音楽堂での千葉親子(ちかこ)さんのスピーチです。写真は、そのときのものです。編集部撮影。 

「日の丸焼却事件」

 1987年秋、沖縄では国民体育大会がひらかれていた。ソフトボール競技の会場は、第二次大戦中、悲惨な日米両軍の地上戦の舞台となり、集団自決もあった読谷(よみたん)村だった。 
 会場のスコアボードの上には日の丸の旗が掲げられていた。と、ひとりの中年の男がスタンドを駆けのぼって、日の丸の旗を引きおろし、ライターで火をつけて焼いた。「日の丸焼却事件」の発生である。 

 男はこの村でスーパーマーケットを経営している知花昌一さんで、器物損壊罪で起訴された。彼の行動は、沖縄住人としての「日の丸」への反発によるものだった。 
 それから6年後の93年3月、那覇地裁でこの事件の判決があった。懲役1年、執行猶予三年の有罪判決だった。 

 検事側の起訴状では、焼かれた物品が「国旗」とされているが、日本の法律では、いかなる旗が国旗であるかは法制化されていない。「国旗」の記述は意味不明だ。犯罪事実とされる訴因が特定されていない以上、起訴は無効であり、無罪である、と弁護側は主張している。だから、裁判では、「国旗」とは日の丸を指すのかどうか、が争われた。
 那覇地裁の判決は、「現行法制上、日の丸旗をもってわが国の国旗とする旨の一般的な規定が存しないのは弁護人が指摘する通りである……国民統合の象徴として用いる場合の国旗については何らの法律も存せず、国民一般に何らの行為も義務づけていない」 
 と、日の丸を国旗とする法律はない、と明確にしている。そして、そのあとで、 
「しかし、現在、国民から日の丸旗以外に国旗として扱われているものはなく、また多数の国民が日の丸旗を国旗として認識して用いている」から、検察官が焼かれたものを国旗といっているのは、日の丸のことを指すと理解できる、と判断している。 

 この判決で、裁判官は、日の丸を「国旗」だと断言しているのではなく、検察官が「国旗」といっているのは日の丸のことだというのはわかる、といっているにすぎない。 
 いま、日の丸を「国旗」とはっきりいっているのは、文部省である。92年度の小学6年の「社会」の教科書から、日の丸を「国旗」、君が代を「国歌」と記述させている。 
 それによって、卒業式で日の丸の掲揚や君が代の斉唱をしない教師を処分している。法的な定義やはっきりした国民的合意がまだないのに、文部省が処分を乱発するのは、法的には疑問がある。日本の教育は学校現場での教師や生徒の少数意見を尊重せず、封殺してしまう、という大きな欠陥をもっているが、日の丸・君が代処分は、その中心といえる。
『新版 現代社会100面相』 岩波ジュニア新書、1993年6月 

注)1999年8月13日、国旗及び国歌に関する法律(日の丸・君が代法)は公布、即日施行された。これによって、日の丸と君が代が国旗、国歌であると法的に定められた。ときの首相は小渕恵三、所管官庁は総務省である。

「町会加入促進条例」の撤回を!! (木下泰之世田谷区議からのメール)

「「町会加入促進条例」をめぐって」に対する木下泰之世田谷区議会議員からのメールを掲載します。

木下泰之 世田谷区議会議員の木下泰之です。世田谷区の事例を取り上げていただきありがとうございます。この問題につき、保坂世田谷区長へのパブリックコメントを書いていますのでご参照ください。

行政主権追随・同調主義助長の町会加入促進条例は撤回を!(2013年11月14日)
http://mutouha.exblog.jp/21322420/

 また11月議会での一般質問で取り上げていますので、ご参照ください。
特定秘密保護法と町会加入促進条例、原発即ゼロと川場村移動教室、都市計画見直しを問う(2013年11月29日)
http://mutouha.exblog.jp/21391755/

 なお、当初2014年2月の定例議会に提出予定とされていましたが、2013年12月18日開催の区民生活常任委員会への区側の報告では、寄せられた区民からのパブコメや議会での反対論に考慮して、2月議会への提出は見送り、再検討をするとの報告がありました。

 事実上の撤回をさせたわけですが、町会と世田谷区政との癒着や関連する利権には深いものがあります。

 世田谷区に限らず、地域コミュニティの抱える戦前の継承を切開し、ここに横たわる行政へのまた住民相互の同調主義を切開、解体し、市民の自立に根差した新しい連帯関係とその装置・枠組みを構築していかなければ、「隣組」の復活はいともたやすいと思うところです。

 2月議会では、「町会加入促進条例」の問題点をさらに適示し、同条例の正式な撤回を求めていく決意です。

 いずれにせよ、阪神大震災、東日本大震災を契機として「防災」を主軸に、「隣組」や「自警団」の復活が頭をもたげてきているように思います。総務省の動きに注意を払いつつ、特定秘密保護法体制下でのファシズム誘導に注意を払っていきましょう。


戦前の日本型ファシズムを推進した中心官庁は、現在の総務省と文科省、警察等が一つになっていた内務省でした。
かつての内務省の末裔ともいうべき官庁が一部の政治家と組んで、日の丸・君が代問題もそうですが、あやしい動きを見せています。これらの戦前のファシズム権力の復活を思わせる危険な動きに対し、各自治体、市民レヴェルでの反攻が、逆に民主主義をたしかなものにするようにも思われます。(編集部)

橋本勝の風刺マンガ 「2013年12月6日、日本の民主主義は敗北した」

12月6日b

この日、ついに特定秘密保護法が
反対する多数の市民が国会をとりかこんでいることを無視し
参院での強行採決により成立した
安倍政権による日本の民主主義の破壊はとどまることをしらない
戦前、戦中の日本をとりもどしたいアベさんである
平成の治安維持法たる特定秘密保護法の次にねらうのは
改憲による戦争できる国
日本の民主主義の3本の柱ともいうべき
憲法の国民主権、基本的人権、平和主養はないがしろにされ
国民のいのちと暮らしは危機的である

しかも12月6日に
安倍政権は原発の維持をうちだした
再稼働にさらに新設、増設をもやろうとしている
福島原発事故も収束していないというのに
しかも許されないことに福島原発事故の経験を売りにして
「日本の原発の安全は世界一」と言い放ち、トルコへ、
さらにベトナムへの輸出をたくらんでいる
自国の経済の利益のためなら他国の人の命なんか気にしない
民主主義を破壊し、日本を、世界を危機におとしいれる
安倍政権にサヨナラだ。

読者からのコメント 「生命を大事にする運動は多様な要求を吸収できる」

衣笠書林@猫の生活が第一さま

 市民社会は重層的な人間関係を作るのですが、却ってヤマアラシジレンマが多くの人に拡がり、個人と個人の友人関係を作れず、むしろ強制されて活動し、人間関係が出来るのを求める人が増えているのではないかと恐れています。どうすれば良いか考え続けているのですが。

 民衆は価値判断の基準となる「道理と筋道」を求めています。原発反対や秘密保護法反対が世論の過半数を超えたのは、それが明確だからでしょう。
 保守の論理「占領憲法から時代に合った憲法へ」に対する、道理と筋道に立った反論を示せば民衆は支持すると思います。
 
民衆の中にも「(物理的な)命よりもっと大切なものがある」と思う人は沢山いると思います。それはライフワークであったり、未来であったり、社会正義であったり、様々ですが。生命の本質は類的ですから。
 そこに響くメッセージがあれば爆発的な力が出るのではと。

↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。