増子義久「宮沢賢治没後80年―余話3」(寄稿)

初音ミク  「初音ミク」という“歌手”が全世界を席巻しているのだという。音声合成システムを利用したバ-チャル歌手のことで、「電子の歌姫」と呼ばれているらしいが「そんな歌手は知らない」と言ったら、若者からバカにされた。そのミクさんが今度は賢治とコラボレ-ションしたと聞いて、二度びっくりした。

 作曲家でシンセサイザ-奏者の富田勲さん(81)が作曲した「イ-ハト-ヴ交響曲」の中で二人は共演した。この曲は賢治作品の「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」などをモチ-フにした全7楽章の大作。昨年の東京での初演に続き、今年夏には賢治のふるさと・花巻でも披露された。「イ-ハト-ブ」という銀河宇宙を自在に飛翔する賢治の四次元世界をバックに歌い踊るバ-チャル歌手のミクさん…。この絶妙なコンビに思わずうなってしまった。

 冨田さんは公演に先立ち「実はこの作品の着想は昭和15年に映画化された『風の又三郎』がきっかけだった」と語った。コラボの妙と着想の時間軸の長さにまたびっくりした。「風の又三郎」は1931(昭和6)年直後に書かれた先駆形を下敷きにした作品で、没後1年の1934(昭和9)年に発表された。

 満州事変勃発(昭和6年)、「満州国」建国宣言(同7年)、日中全面戦争へ突入(同12年)…。賢治がこの作品の構想を練っていた前後、一方で日本は軍国主義への道を突き進みつつあった。そしてその後、昭和14年には劇団「東童」による築地小劇場での上演が実現し、太平洋戦争が始まる前年の翌15年に映画化(島耕二監督、日活)された。なぜ、この時期だったのか―。

 「どっどど どどうど どどうど どどう どっどど どどうど どどうど どどう 甘いリンゴも 吹き飛ばせ…」―。有名な挿入歌で知られる「風の又三郎」の中に「専売局」の役人が登場する場面がある。葉タバコのヤミ栽培を摘発にきた役人で、子どもたちの遊び場である清流をバシャバシャと汚して歩きまわる。みんなは意を決して異議申し立てをする。

 ♯「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生(せんせ)、云ふでなぃか」。鼻の尖(とが)った人は、すぱすぱと、煙草(たばこ)を吸ふときのような口つきで云ひました。「この水呑(の)むのか、ここらでは」。「あんまり川をにごすなよ、いつでも先生云ふでなぃか」。「鼻の尖った人は、少し困ったやうにして、また云ひました」「川をあるいてわるいのか」♯

 映画化された昭和15年はちょうど私の生年に当たる。作品の舞台となった花巻市内の豊沢川は子ども時代の格好の遊び場だった。プ-ル代わりに泳ぎまわり、箱メガネを使って魚を追った。そこは子どもたちにとってはまさに神聖侵すべからざる「聖域」でもあった。そこに現れたのが「鼻の尖った」―異邦人だった。私はいまでもこの映画を時々、見ることがある。その度にこの場面に目が吸い寄せられる。そしてふと、こんな思いにとらわれる。

 賢治は侵してはならない領域を土足で踏みにじることの罪深さを「風の又三郎」とその仲間たちに語らせたのではなかったのか。この作品をベ-スにした映画はひょっとして、究極の「反戦映画」ではなかったのか。そして時空を超えたいま、富田さんは「満州国」建国の対極に位置する、賢治の理想郷―「イ-ハト-ブ」建国の夢をこの交響曲に託したのではなかったのか―と。

 宮沢賢治イ-ハト-ブ館で今月16日に開かれた、賢治没後80年の記念イベント「賢治の世界セミナ-」でジャズピアニストとしても知られる黒田京子さんの「コンサ-ト&朗読会」が催された。公募で集まった即製劇団の子どもたち約20人が「あんまり川を濁すなよ…」と舞台いっぱいに群読の声を響かせた。幼い頃に遊んだ川辺の光景がふ~っと目の前によみがえった。

 「イ-ハト-ヴ交響曲」は今年の第23回宮沢賢治賞を受賞、富田さんはその副賞百万円を花巻市に寄贈した。同市ではこの基金を利用して、今年度中に市内の宮沢賢治童話村に「風の又三郎」のモニュメントを建立し、交響曲の構成曲を時報的に流すことを計画している。 

著者=増子義久。鎌田慧の友人。元朝日新聞記者、花巻市議会議員。
主な著書
『賢治の時代』(岩波書店、同時代ライブラリー)1997年
『東京湾の死んだ日』 この中には漁師の声がいっぱい詰まっている。おまえには、ペンがあるだろう」。今はなき漁業組合長から託された二十数冊の手書きメモ。そこに記されていたのは……。静かな寒村に突然現れたマンモス企業、〈化け物〉と呼ばれた巨大タンカーの正体、高騰する土地に群がるブローカーと権力者、漁民を狂わせた補償金ブーム、小さな喫茶店にまで飛び交う札束――歴史の闇に眠っていた克明な記録をもとに、衝撃の東京湾開発史が暴かれる。 鎌田慧氏推薦!! 山本周五郎の海はこうして略奪された。

絵=初音ミク、増子氏提供
関連記事

コメント


トラックバック

↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。