平等主義の崩壊を促すあらゆる力に抗するために (続き)

11月16日付「平等主義の崩壊を促すあらゆる力に抗するために」の続きになります。

「経済競争に負けるな」という思想に負けた日本人

――日本の戦中、戦後の責任問題がメディアであつかわれなくなっているのと同様、教育現場でも平和教育の機会が奪われていますね。  

鎌田慧6 東京でいま問題になっている「日の丸・君が代」の強制など、かつてはとても考えられなかったことが平然とおこなわれています。石原は「東京革命」を掲げ、その一環として東京に日の丸を打ち立て完全に学校を制圧するつもりです。
 ところがメディアをはじめ、石原への反撃はとても弱い。抵抗は、いまや一部の教師だけになっています。それではまずい。 
 いま、憲法の問題などで「憲法九条を守れ」と大きくスローガンを掲げたりするけれど、それだけでは足りない。それぞれ教育の場なり、ジャーナリズムの場なり、労働や生活の場できちんと抵抗していく。その行動が九条の持っている平和主義を押し立てていくことになると私は思います。

――鎌田さんは、日本社会が、戦後六〇年を経て、ここに至ってしまった原因はなんだと思われますか? 

 結局、「経済競争に負けるな」という思想に負けたということでしょう。
 労働運動についていえば、労働者としてどう生きるのかといった根本的なことを突き詰めないで、賃上げ闘争が中心になっていた。
 マスコミの場合、テレビは視聴率競争、新聞・雑誌は部数競争が目的化していた。自分の労働を見つめない。つくる物と自分の関係を見てこなかったということですね。 
 教員も、文部省からの攻撃にたいして闘うとき、自分たちがどういう教育をしていくか、教師としてどう生きていくのかという姿勢がベースになかった。その間隙をつかれ、「人材確保法」で高い賃金が確保され、さらに意識が希薄になった。 

 経済的なモチベーションに支配されてしまって、結局、精神を問わなかったのが大きいと思います。 
 高度成長、バブルを過ぎ、いまそれがはっきりしてきた。構築してきたものは空洞だった。抽象的な話になってしまいますが、運動を担う者は、一人ひとり、どう生きていくのか、自分の生活と精神を問い直していく、その作業が必要なんだと思います。

鎌田慧『やさしさの共和国』花伝社、2006年9月


安倍政権になって、経済が上向いたという詭弁にすっかり振り回されている現在の日本だが、実体経済など少しも上向いていない。福祉の切り捨てや、派遣労働の拡大といった露骨な大企業優先の利益誘導政策とアメリカのバーナンキ路線を踏襲した札束を刷りまくるというインフレ政策によって、GDPなどの経済指数だけが一時的によくなっているだけで、それすら陰りが見えはじめている。
さらに、その根底にある望むべき「精神と生活」はいつしか忘れられ、理想とする社会や生活のイメージも渾沌としてきている。社会全体が、未来の方向を見失っているのである。その空洞に滑り込むように、戦前の亡霊が人びとの生活の隅々にまで入り込もうとしている。「日の丸」「君が代」、そして「教育勅語」の復活を狙う道徳教育。所詮亡霊は亡霊だが、ひとの精神や身体を退廃させる毒であるのはまちがいない。(KF)
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