「原発社会の終焉」 鎌田慧+小森陽一『反撃』より

(原発事故の収束作業では、身分不安定な労働者を大量に使って、被曝させているという実態が明るみになりました。以前からの派遣労働者の問題と、原発事故での派遣労働者の問題とが重なって現れてきた。つまり、3・11によって派遣労働者がおかれている社会構造の闇の部分を、日本社会が内在させている根本的な問題として明るみに出してしまった)

鎌田 被曝労働の問題では、その問題が明らかになると労働力不足になりますから、被曝線量を隠すという挙に出ました。 
 線量計の前に鉛の板を貼りつけたりして被曝量を抑え、線量をごまかすという苦肉の策ですが、そうしたことをやらないと労働力をキープできないという問題の象徴なのです。線量計の数字をごまかさないと、使うほうも使えないし、働くほうも働きたいのに働けない、過剰に労働力があるけれども、原発産業では不足してくるという矛盾です。
 しかし、この過剰にある労働力が全部、原発労働者になるわけではなく、そこにいくのは一定の層でしかありません。どんなに生活は苦しくても原発はいやだ、という人がいるわけですから。そうしますと、原発を維持するにしろなくしていくにしろ、作業にはマスの労働者集団が必要ですから、そこにいく労働者が不足してくるということになります。

 長期的に見れば、廃炉の安全性をどう高めるのかとかという問題と、廃炉作業への労働力の供給をどう増やしていくのかという問題が重なって、どうしても原子力産業は衰退していかざるをえません。ま、外国人労働者を使うことで解決しようとするでしょうが。

小森 派遣労働者をだまして使わざるをえない被曝労働の現実自体が、原発産業を破壊させる契機につながるという構造ですね。  

鎌田 いずれにしろ、その間に、被曝労働者が現れ、いろいろな病気が発生することは間違いありません。
 それが事故後の二段階の問題で、原発体制がこのままで進んでいくことは困難になります。加えて、事故前にはよく見えなかった構造的な問題が見えてきました。
 たとえば、電力会社の地域完全超独占、原発関連の企業や団体による政治献金の問題、電気料金のデタラメ(総括原価方式)、発送電独占、電源三法による交付金の問題、学者たちを懐柔するための寄付金の問題、膨大な宣伝広告代の問題など、陰に隠れて策動していたものが、表に出てきましたから、いままでの体制を続けることはできないでしょう。

小森 だからこそ、原発産業はやっきになって巻き返しを図り、原発の海外輸出に代替を求めようとしているわけです。  

鎌田 それと、出版物などでは、事故を起こすに至った背景とか原発村の実態などに加えて、もっと文明的に遡って、原発は人間社会とは相容れない、もう原発依存社会は終わりにしよう、というような論調が目立ってきました。
 いろいろな人たちが、原発文化から脱するための方向を書くようになって、それが少しずつ国民の間に浸透しています。原子力文化に対抗し、それを信仰しない文化とは何かを解明していくことは、取り返しのつかない事故を引き起こした日本の役割だと思います。
 ドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」ではそうした方向がすでに出されているわけですが、日本の中でもそういう意見はこれからさらに拡大していくと考えられます。そういう哲学や文化を含んだ市民運動になっていく必要があるのではないかと思っています。

(注)総括原価方式=政府が電気事業法で定めている電気料金の制度で、電力会社が電気の供給に必要な費用を事前に見積もり、それに利益を上乗せして料金を決めるしくみ。したがって、会社として赤字になることはないので、経営努力をしないという点が問題視される。しかし、より大きな問題は、広告宣伝費や原発の用地買収・運営にどれほど巨額の費用をかけても電気料金で回収することができるので、メディアを支配し、また札束で住民の頬をたたきながら原発をつくり、地域の生活や文化を破壊してきたのである。それだけでなく、自由に動かせる巨額の資金は政官財に対して強い影響力をもつ背景となっている。
写真=経産省前テントにて。鎌田慧、瀬戸内寂聴、澤地久枝各氏。撮影 大木聖子氏

鎌田慧+小森陽一『反撃』かもがわ出版、2013年3月
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