どん底からの出発 「仲間殺し」

 2008年10月、大阪の雑居ビルで、深夜、一挙に15人が死亡した放火事件は、この年の夏に発生した秋葉原の大量殺人事件とおなじように、日本の軽薄な表層を引きはがして、その暗部をみせつけた。 
 事件のあった「個室ビデオ店」とは聞き慣れないものだったが、新聞などの報道によれば、繁華街のビルの1フロアを、いくつかの個室にこまかく割って、それぞれにビデオデッキとリクライニングチェアがそなえられている。深夜から朝までいて1500円ていど、安上がりの「簡易宿泊所」として利用されている、という。 

 都会の底辺で一夜を過ごすひとたちは、いま、さまざまな条件のなかで夢を貧(むさぼ)っている。路上に敷いた一枚の段ボールで寝るのを最低生活とすれば、それよりはまだすこし過ごしやすくしているのは、公園や川っぶちに定住型のブルーテントを張るひとたちである。 
 日雇い派遣だったとしても、まだ現金が残っていれば、マンガ喫茶かネットカフェ、それよりは静かに眠れる個室ビデオ店などを回遊する。
 仕事がすこし安定すれば、東京・山谷など、昔からのドヤ(簡易宿泊所)街があるが、最近は下町などにふえているのに、ドヤよりは安い、ベニヤ板張り、一泊1000円、二段ベッドの宿泊所がある。 

 このように、都会の「どん底」生活も多様な形態となってきたのは、セーフティネットが破壊され、いったん落下すれば歯止めがなくなったからだ。貧困層がさらに細分化され、生活にもこまかな差異があらわれるようになった。 
 東京では新宿歌舞伎町、渋谷、池袋、秋葉原などに70軒、個室ビデオ店があるといわれている。が、それは「店舗型風俗特殊営業店」として届け出があった店だけのことで、それ以外は把握されていない、とのことである。 

 二畳ほどの個室にいて、新聞紙に火を放ったO容疑者は46歳、かつては松下電器(現・パナソニック)につとめていたが、リストラに遭って仕事を失い、持ち家で妻子とともに暮らしていた家庭も崩壊、ギャンブルにのめり込んでいたようだ。近所のひとたちの評判は悪くはなかった。 
 彼はネットカフェをまわったあと、個室ビデオ店にやってきたのだが、生活に疲れ果て「生きていくのが嫌になって」いた。急に自殺するつもりになって、カバンのなかに入っていた新聞紙に火をつけた。
 このはた迷惑な自殺未遂に捲きこまれて亡くなったのは、中年から60代までの16人、なかには元会社経営者もいたそうだが、壁薄い個室を仮の宿にして再起を図っていたひとたちだった。 

 2008年6月、秋葉原で殺人事件を起こしたK容疑者は25歳だった。彼に殺害された7人のうち、学生や若いサラリーマンが5人だった。
 これにたいして、大阪の事件の被害者は、ほとんどが中高年である。それぞれおなじ世代が共有する場で、自分に似たひとたちを殺傷してしまった事実が、さらに悲劇性を強めている。 

 40年前、東京の労働現場の底辺を流れ歩いていた「金の卵」永山則夫(注)は、それぞれ別な場所でまったく無関係な人間を、小型ピストルで無造作に射殺した。が、のちに自分が命を奪ったその一人ひとりの生活を知るようになって、かれらが自分とおなじ階級の人間(ガードマンとタクシー運転手)だったことに気づく。
 永山は獄中で、自分の無知な行動が、「仲間殺し」だったと苦悶するようになる。 

 よりによって、自分にちかいところにいる人間を殺してしまう。どこか自分に似たような境遇で、あるいは友人になったかもしれない命とその家族の生活を、一挙に破壊してしまったあとになって、ようやく自分の行為が、取り返しのつかない重大な過ちだったと気がつく。無惨である。
『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月

(注)永山則夫…1968~69年北海道から京都まで広域にわたる連続射殺事件を起こす。幼少時の家庭環境の劣悪さから幅広い同情をあつめるも、1997年に死刑が執行された。新藤兼人監督作品『裸の十九歳』は、この事件をモデルにした問題作である。
写真=秋葉原裏通り,Photo by Aimaimyi, the Creative Commons Attribution-Share Alike
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