キムチの味(沖縄、そして韓国のよろこび)

 国民学校一年生だった。61年前の8月15日。ラジオから天皇の声が流れていた。その情景を、よく覚えている。弘前市郊外の農村にいた。

 そのとき、南島沖縄の読谷村は米軍の野営キャンプ場にされていた。その三年後に生まれた知花昌一さんが五歳になった頃、村に巨大な傍受施設「象の檻(おり)」が建設された。米軍が上陸してきたとき、叔父の平次郎さんが撃ち殺された場所だった。 
 1987年、読谷村は沖縄国体の会場になった。知花さんは、会場に掲げられた「日の丸」を燃やして逮捕され、懲役1年(執行猶予3年)の刑を受けた。
 すぐそばのチビチリガマ(地下壕)は、村びとが「集団自決」させられた場所で、彼は要請を受けて案内人を買ってでている。 

 「象の檻」の敷地にされた知花さんの土地が、61年ぶりに返還されたのを知って、お祝いの電話をかけた。円形劇場のような軍事用諜報アンテナの下で、山羊をつぶし、三線(さんしん)を弾き、手を挙げカチャーシーを踊る。東シナ海が光っている。沖縄の歓びがみえるようだ。
 知花家の土地は「駐留軍用特別措置法」のもとで、軍用地として強制使用されてきた。
 彼は土地を相続した95年、政府を相手に、「契約更新」を拒否した。政府はこれ以上の強制使用をつづけられなくなった。ほかの地主の土地も返還される。
戦前のように、高台の住宅地にもどる日が近い。

 沖縄・読谷村で、知花昌一さんの土地が返ってきた報せを受けたとき、わたしは韓国の梅香里(メヒャンニ)でのマンセー(万歳)、マンセーの叫びを聞いたように思った。 
 じつは、梅香里にいったことはないのだが、記録映画『マリーンズ・ゴー・ホーム』(藤本幸久監督)でみた感動的なシーンだった。2006年8月、米軍射爆場が閉鎖されたことを祝うお祭りで、村びとたちが「マンセー、マンセー」と、いつまでも喜びの声を挙げていたのだった。
 この映画は、北海道別海町の矢臼別、韓国西海岸の梅香里での米軍の実射訓練にたいする抵抗闘争、沖縄・辺野古の米軍基地建設反対闘争を描いたものだが、梅香里ノン島への射爆訓練は、猛攻というほどに凄まじい。

 梅香里に住むチョン・マンギュさんは、二度も逮捕され、一回目は、1年近く投獄されていたという。それでも、基地公害にたいする2000人以上の住民訴訟がついに基地の閉鎖を実現させた。
 チョンさんは交流のため、妻と一緒に矢臼別にやってきて、キムチの作り方を教え、一緒に踊って帰国した。その味が、北海道に残されているようだ。
『いま、連帯をもとめて』大月書店、2007年6月

写真=沖縄戦・沖縄の子供たち public domain
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