故郷の風景 カネにかえるな

 高校の同窓生に呼ばれて、久しぶりに故郷の青森に帰った。自然保護に取り組むグループの創立十周年を記念する集会である。 
 「わたしの岩木山」というテーマを与えられたのは、このグループが岩木山のスキー場開発に反対してきたからだ。

 山に対座し、眉をあげて内省するという又化は、日本だけのものではないが、いまでも「お山参詣」として登山の風習を遺す津軽では、それぞれに岩木山への想いがある。 
 わたしは弘前公園の本丸から眺める岩木山にもっとも馴染みがある。自宅が公園に近かったので、高校生のころなどは、毎日のようにここから山を眺めていた。西の空の一郭の佇立する山は、季節によって近くなったり遠くなったりした。

 太宰治がはじめて本丸から岩木山を眺望したとき、足許の水草に覆われた濠のひろがりを、万葉集にある「隠沼」といい、眼下の民家のつながりを、「夢の町」といった。 

 太宰が師と仰ぐ「私小説の神様」こと葛西善蔵は、酔っぱらって本丸にあがり、岩木山にむかって唾(つば)を吐きかけ、
 「あたりに山がひとつもないから、高くみえるだけだ、自惚れちゃいけないぜ」
と毒づいた、と葛西に師事していた石坂洋次郎が書いている。
 
弘前城公園から見る夕暮れの岩木山, photo by Soica2001, public domain

 講演が始まる前に、本丸にあがってみようと、追手門までいった。と、市の高札があって、本丸への入場は「大人300円」とある、公園の中には生活道路かあるのでおかねはとれない。だからといって、いちばん景色のいいところだけを有料にするというのは姑息というものである。わたしは手ひどく裏切られた気がして、棒立ちになっていた。 

 環境権や日照権や景観権があるように、眺望権というものもあるはずだ。これまで、市民がこころのふるさととしていた風景を、だれかが勝手に囲いをつくって出入りを禁じ、カネを要求するなどできないはずだ。 
 それは故郷を売る行為でもある。カネ、カネ、カネ。郷士の精神を形成してきた風景までカネにかえようとする貧しさが悲しい。
(朝日新聞・環境ルネサンス2004年10月31日)
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