原発の「つくられ方」  『ほうしゃせん きらきら きらいだよ』より

 福井県・美浜の場合、原発は居住地区と500メートルしか離れていません。ちょうど原発と向かい合ったところに民宿があり、私は初めて行ったときにそこに泊まったのですが、怖くて眠れませんでした。
 障子窓を開けて、原発がどうなっているのか、夜中に起きて見た記憶があります。40年ほど前のことですが、そういう恐怖の対象です。 

 新潟県の柏崎刈羽原発もそうです。柏崎には荒浜という部落があり、そこに巨大な原発が七基つくられました。海岸を走っていく道が迂回して通されていますが、これらも、荒浜の部落から500メートルしか離れていません。 
 それから、福島第二原発の近くにも、毛萱部落というところがあり、500メートル位しか離れていません。そういったところに平然と原発をつくる、その意識。本当に信じられませんね。 

 青森県下北半島の大間(おおま)原発の炉心は、住居と250メートルしか離れていません。
 それには理由があります。当初、電源開発が原子炉の建設を予定していた場所から50メートルのところには、熊谷あさ子さんという方の土地がありました。彼女は原発に絶対に反対の姿勢で土地を売らなかった方です。
 それで、あさ子さんが畑を売らなかったので、電源開発はやむなく炉心を200メートル移動させて、経済産業省(通商産業省・当時)に申請し直した。事業計画を変更して原発自体を引っ越しさせるという、間抜けなことをやりました。 

 電源開発の社長が、二代にわたって地主の熊谷あさ子さんに頭を下げに行ったけど、彼女は頑として土地を売らなかったんですね。 
 最近、「あさこはうす」として有名になった、その場所です。(熊谷あさ子さんは原発予定地内の自分の土地にログハウスを建て、そこに住民票を移した。あさ子さんが亡くなったあと、娘の小笠原厚子さんが「あさこはうす」と命名。さまざまな弾圧に抗しながら、現在も反対運動を続けている) 

 なぜ、彼女は土地を売らなかったか。僻地といわれる土地のひとびとは大抵そうですが、畑と海の生活を送っています。
 小さな船で海に出て、魚を釣ったり、ワカメとか貝を採って、沿岸漁業で暮らしています。あさ子さんは、電源開発の社長に、「畑と海があれば人間は生きていける」といったそうです。お金をどんなに積み上げられても、畑と海は失いたくない、畑と海があれば生きていけると。 

 「畑と海を失うと生きていけないし、畑と海があれば生きていける」
これは、庶民の哲学ですね。いま、福島の状況を見ると、これはまったく、本当に至言、名言だったと思います。
 原発と住居が250メートルしか離れていない。こういうことが許されてきたということです。
 
 経産省は大間原発の建設を許可しました。ここの周辺には700人しか住んでいませんが、それが離隔の条件に合致しているという理由で、判を押しました。 
 確かに700人しか住んでいませんが、すぐ後ろは津軽海峡で、大間マグロで有名な漁場です。正月のご祝儀相場なら、一頭、200万~300万円とか、500万円はするマグロが往来する海域です。

 その向こうには、北海道・函館の街が見えます。20キロちょっと先、函館周辺には30万人が住んでいます。
 それを無視して、こちら側だけを見て、ひとが住んでいない、だからいいんだ、という形で許可する。こういうインチキをやってきました。
 ですので、函館市長はものすごく怒っていて、大間に視察に来るなど、函館市自体が大間発建設に反対しています。このように、メチャクチャなことをしながら原発がつくられてきた、というのが実際です。 

『ほうしゃせん きらきら きらいだよ』七つ森書館,2012年12月

写真上=柏崎・刈羽原発,photo by Da,クリエイティブ・コモンズ 表示 2.0 一般ライセンス
写真下=青森・大間の夜明け、photo by Snap55,GNU Free Documentation License
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