『橋の上の「殺意」』 畠山鈴香との手紙(1)

 「畠山鈴香はわたしである」と思うひとたちも多い。そのひとたちと畠山鈴香との岐れ路はどこなのか。彼女との交信をわたしはつづけている。 

畠山鈴香様 

 拝啓 

 お変わりありませんか。 
 四年前、この文庫本の元本が発刊された二〇〇九年六月、ちょうどあなたの刑が確定して、秋田拘置所からいまの刑務所へ移監されたのでした。あなたはそのあと手紙に、
 「気候も本当に東北なのかと思う位暑くて、今から夏バテが心配なくらいです」
 と書かれていましたね。ことしもまた、ようやく長い梅雨が明けたと思ったら、急に猛暑がはじまってしまいましたが、お体弱っていませんか。 
 冬は冬で寒さは厳しく、指先がしもやけになって、裁縫作業の針が持ちづらく、ポロリと落としたり、と書いていましたが、仕事はだいぶ上達したようですね。 

 こんどまた、あなたについて書いた本が文庫になるのですが、タイトルの『橋の上の「殺意」』は変えませんでした。あなたは、「題名だけ見ると『殺意』があったという風に読みとれるのですが、どうでしょう」とやや心配そうに書いてきました。 

 わたしは、それにたいして、「ひとは殺意があった、と思っているようですが、実はそうではない、というのが、カッコつきでの強調です」というような返事を書いた記憶があります。 
 それは本当の気持で、それを証明するのが、この本のテーマなのです。 
 また、あなたのお名前は、事件がおわったので、匿名にしようかとずいぶん悩みましたが、結局、実名にしました。すべてを匿名にすると、ルポルタージュの事実性が薄くなるように思えるからです。 

 わたしは、弟さんや近くにいたひとにお会いして、あなたが彩香ちゃんをとても可愛がっていた、というのを証言で確認していました。ですから、裁判中に検事が、彩香ちゃんに殺意をもっていた、と追及するのを、同時進行形で批判してきました。
 それでも、あなたが彩香ちゃんの死に至る状況をつくった責任は、きわめて重いと考えています。

藤里町(秋田) まして、二軒隣の豪憲くんを手にかけたのは、ほかならぬあなたの行為にまちがいなく、無辜(むこ)の少年を殺めてしまった罪は大きい。しかし、だからといって、「死刑にしろ」と、あたかも「世間の声」を代弁するポーズの検事論告を批判していました。 
 たしかに、豪憲くんの両親の立場になってみれば、憎んで余りあるものでしょう。わたしも自分の子どもや孫が殺されたことを想像すれば、憎しみは深いと思います。
 それでも死刑にしたとて、息子や孫が帰ってくるわけではなく、死刑の執行はもう一人の殺人を犯すことにすぎない、と時間をかけて自分をなだめるしかないと思っています。 
 裁判を傍聴しているあいだ、錯乱の末に、ひとり娘を喪(な)くした哀れな女を、縛り首にしてすべてが解決するというものではない、と思えてしかたなかったのです。 

 わたしは、死刑求刑の論告には反対でした。 
 そして、これまで、あなたとこの数年間になん回か文通してきて、死刑にされずにほんとうに良かった、と思っています。一人の人間が生きていることの素晴らしさを、ひしひしと感じさせられるのです。

 ポロリと針を落とす寒さについて書いたあと、あなたは「でも寒さを感じることも、暑さを感じることも、色々なことが生きているからこそ感じられるのだと私は今実感していて、生きているということは感謝のつみかさねなのかなと思っています。残念なことに受刑者は骨ずいバンクのドナー登録はできないと知って何を目標にしてこれからここで生きていこうかと考えています」(2012年1月) 

 事件から6年がたった新年のお手紙でした。 
 ささやかな生きる歓びを書いていましたね。それは二人の生きる歓びを奪ったこととの引き換えとしてあるのですが、わたしなどがなにかを付与していうべきことでもないと思います。〈つづく〉
『橋の上の「殺意」』講談社文庫、2013年8月

写真=秋田県藤里町大良鉱山跡、撮影らんで、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンス
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