想像を絶する被害

 故郷に帰れない。この精神的な打撃ははかりしれない。いきなり、理不尽にも安住の地を放射能によって追われ、逃げまわっている間に病状を悪化させたり、亡くなったりするひとたちは多い。津波だけの被害地よりも、被曝地帯はさらに悲惨な打撃だった。
 わたしなどには想像もつかないことだったのは、放射線の壁にさえぎられ、津波で行方不明になった家族を探しにいけなくなった、膨大なひとびとの悲しみである。 

 自宅のあった場所が立ち入り禁止の警戒区域とされて、瓦礫の下にいるかもしれない、行方不明になった肉親を発見できない不安と焦燥感を考えると、胸が押し潰されるようになる。
 家族に発見されるのをまっている何千もの遺体。その上に放射能の雨が降り注ぎ、放射能をふくんだ水が流れているのを想像して、家族はたまらなかった、と思う。
 
写真=「チェルノブイリから25年、そしてフクシマ」(ウィーン,鎮魂のための集まり,2011年4月25日)
photo by Manfred Werner,Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license. 
 
遺体の前で手を合わせ、冥福を祈るという、ごく当たり前のことができない。「弔う」ということは、「訪(とぶ)らう」ことなのだそうだ。「お参り」も、そこへ参ることで、肉親のまえに額(ぬか)ずくことなのだが、放射能の壁が、その敬度な気持を遮断した。
 これは原発反対運動のなかでも、考えられなかったことだった。原発事故とは想像もつかないことが起きるのだ。 

 先まわりして書いてはいけないのだが、これから、収束作業にあたった労働者や消防団、警察官、自衛官のひとたちに、どんな被害がでるのか、逃げ遅れた家族にどんな悲劇が起こるのか、その不安が強い。 
 たとえば50年後でも、政府にはちゃんと補償に応じる態勢があるのかどうか。いまからきちんと救済策を政治的に決めておく必要がある。水俣病でさえ、50年すぎてもなお認定されていない患者が多数いる。

『石をうがつ』講談社、2013年6月
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