パレードの思想2 (編集部)

10月15日付「パレードの思想1」のつづきになります。

 9月14日、亀戸から浅草へと向かうパレード。だれもがおだやかな表情で、むしろ明るい。ところが「フクシマを忘れないで」などと書かれたプラカードを掲げ、うつむきながら歩いている一群の女性たちが通りかかる。のぼりやプラカードから被災地福島からやってきた女性たちだとすぐにわかる。表情は一様にかたくて、重苦しい。暑さのせいだけではない。原発のもたらす影響の深刻さが、他の参加者との対照を生んでいる。
 
 ひと塊3百人ほどの、いくつもの集団に分かれたパレードは、ゆっくり進んで行く。信号で先頭が立ち止まると、約50mの間隔をあけてうしろにつづく塊りも、先導車両と同調して待機する。整然と秩序が守られる。
 しかし、それは警察や主催者の指示が守らせているのではなく、それぞれの集団の自発的な意志である。自然にパレードは止まり、緩やかなリズムを刻んでまた動き出す。
 
 フクシマの女性たちに、歩道の通行人が声をかける。
「福島から来たのですか。遠いところをたいへんですね」
「ええ。わたしたちにできるのはこれしかないので」
「応援していますから」
 フクシマの女性たちの表情に笑みが射す。パレードの足もとがかるくなったようだ。
 
 パレードは、マスメディアが伝えることのない現実をあらわにする。だから無関心な通行人にも、日常では見えない現実が直感的に伝わっていくのだ。

 21世紀のあたらしい予兆は、2010年12月チュニジア中部の都市スイディ・ブーズィードで、コンピュータ科学の学位をもっていながら露天商の仕事をせざるをえなかった一人の若者の抗議の焼身自殺に始まった。政治的要求の波は全土に拡大し、ひと月後には独裁者として長年君臨したベン・アリーは亡命した。
 ちょうどその頃、地球の裏側では一見まったく別の運動が生まれていた。ニューヨーク、ウォール街での占拠である。反貧困、反社会的格差を主張するこの運動は、全米の都市にまたたく間に広がっていった。
 
アラブの春 (2)

 やがて人びとの怒りの声は、エジプトそしてリビアなど北アフリカや中東全域を巻き込み、長年独裁が続いていた政治体制をゆさぶり、倒していった。「アラブの春」である。同じころにヨーロッパでも火の手が上がり、ときを同じくして3・11以後の日本へと。

 ヨーロッパの場合、ある徹底が存在した。
 それはスペインの2大巨大都市、バルセロナとマドリッドでの「憤激する者たち」による5月15日の中央広場の占拠にはじまった。失業や格差、社会保障のずさんさへの抗議、さらには「真の民主主義」の実現を訴える占拠者の声を、都市の住民の大多数が支持し、数百万の参加者へと膨らんでいった。つまり社会のかかえるあらゆる問題へと関心が広がり、現在の民主主義がもはや機能しなくなっていること自体への問題提起を含むものにまでなった。政党関係者のイニシアティブを拒絶し、直接民主主義的な色合いを濃く打ち出したのだった。
 そして、それは寄せてはかえす波のようにギリシャ、アメリカ、イギリスへ、またカイロのタハリール広場へと伝わっていった。(つづく)


写真上=浅草へのパレード9月14日、編集部撮影
写真下=アラブの春、左・カイロ,タハリール広場2011年2月9日、右・首都チュニス2011年1月14日,
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