『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』 

「あとがき」(1)

 刑が確定した畠山鈴香は、秋田市内の拘置所から移監され、いまは東北のある刑務所で無期懲役に従っている。 
 彼女にはこれから、途轍もなくながい囚徒としての日常がつづく。集団生活になじめない性格である。慣れるまでの苦闘が想像される。 

 能代市藤里町の町営住宅の一角にあった、彼女と娘の彩香ちゃんが暮らしていた家は取り壊され、ちいさな空き地となった。
 二軒隣の被害者・米山豪憲くんの四人家族は、高裁の判決まえに移転した。この山峡のちいさな集落にまた静けさがたちもどり、やがてひとびとは遠い記憶として、ときたま、二度つづいて起きた、不可解な子どもの死を想い起こしたりすることであろう。 

 七年前(2006年)の4月9日、畠山彩香ちゃんの失踪からはじまったドラマは、米山豪憲くんの遺体発見、畠山鈴香の逮捕となって解決されたが、ふたつの事件は、わけのわからないミステリーとして後味の悪さを残している。 

 畠山鈴香を裁いた秋田地裁、仙台高裁は無期懲役の判決をだした。検事側にはそれ以上に追及する根拠もなく上告を断念、刑が確定した。
 しかし、どうして、彩香ちゃんが橋から転落して死亡したのか、なぜ、鈴香が二軒隣、娘の遊び友だちである豪憲くんを殺害したのか、その謎はまったく解明されていない。 

橋の上の「殺意」 この事件が発生してから比較的はやい時期に、現場に立ってみたのは、山村に暮らしていた若い母親がなぜだいそれた罪を犯したのか、それに接近してみたかったからだ。わたしが一度も、「連続殺人事件」と書かなかったのは、最初の彩香事件にたいして、被告の畠山鈴香が、殺意を頑強に否認しているのを法廷でみていたからだった。 
 控訴審が結審して、判決がだされたのは2009年3月。それまで傍聴をかさね、周辺を取材し、そのときどき、検事側の死刑判決にもちこもうとする論理を批判する文章を、新聞や雑誌に寄稿しながら、『橋の上の「殺意」』として刊行した。
 「殺意」があったかどうか、それがテーマである。 

 控訴審における、検事側の「殺意」の証明は、つぎのようなものである。
 「被告人自身、彩香ちゃんを大沢橋の欄干に登らせ、突き落として殺害しようと考え、きつい口調で彩香ちゃんを脅して欄干に登らせた旨供述し、その時点で彩香ちゃんに対する確定的ないし積極的な殺意が生じていたことを捜査段階で自白しているのである。しかも、この自白内容は、被告人の精神鑑定の結果からも十分信用し得るものであり、原判決においても、彩香ちゃん殺害に係わる被告人の自白の任意性・信用性を詳細に検討し、その信用性が認められるとしているのである」 

 被告の捜査段階での自白の任意性は、検事側の精神鑑定で認められ、一審の判決でも認められた、という。しかし、といってもなお、「殺意」の証明は、曖昧な自白に依拠しているだけである。殺意の形成については、こういう。 
 「彩香ちゃんに対する以前からの深刻な疎(うと)ましさの念に根ざしていることは明らかであり、そうした嫌悪感に根ざした殺意の強固さも明らかである」  〈この項、つづく〉
『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』講談社文庫、2013年8月

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