増子義久「宮澤賢治没後80年―余話2」(寄稿)

 映画俳優の渡辺謙さんは東日本大震災の直後、YouTubeの動画によるメッセ-ジ発信サイト「kizuna311」を立ち上げ、その第1回目に賢治の「雨ニモマケズ」を自ら朗読した。なぜ、この詩だったのか。最近の話題作「許されざる者」(李相日監督)に主演した渡辺さんを見て、そのナゾが少し解けたような気がした。第65回アカデミ-賞作品賞などを受賞した、クリント・イ-ストウッド監督・主演の同名の映画(1992年)のリメイク版で渡辺さんのほか、柄本明、佐藤浩市ら豪華キャストの息詰まるような迫真の演技が全編にみなぎっている。

 舞台は明治初期の蝦夷地(北海道)―。大勢の志士を殺害し「人斬り十兵衛」と恐れられた幕府の残党、釜田十兵衛(渡辺謙)は、いまはアイヌ女性との間にもうけた2人の子どもと一緒に人里離れた荒野で百姓として暮らしている。妻はすでになく、生活は貧しい。そこに昔の仲間(柄本明)が現れ、懸賞金目当ての殺しに誘う。痩せた耕地では実りも途絶えつつある。

 当時の蝦夷地は新参の開拓民や屯田兵(警備や開拓に当たった兵士集団)、それに追っ手を逃れた旧幕臣などが入り乱れ、混沌とした状態にあった。同化政策を進める政府と先住民・アイヌとの衝突も絶えなかったが、貧窮に耐えきれないシャモ(和人=日本人)に救いの手を差し伸べたのもアイヌだった。十兵衛もアイヌ女性と出会うことによって、刀を捨てる決心をした。アイヌは「戦(いくさ)を好まない」ということを教えられたのである。

images[2] そんなある日、体を売ることを余儀なくされた女たちに対し、2人の開拓民が暴力を振るい、体を切り刻むという事件が起きた。女たちはなけなしの金を出し合って殺し屋を募り、2人への復讐を誓った。ひもじさに耐える幼子たち、虐げられた女たちの誇り…。法の番人であるはずの警察署長(佐藤浩市)が十兵衛の仲間をなぶり殺すという事件が追い打ちをかけた。途中から殺しの仲間に加わったアイヌ青年(柳楽優弥)の存在がこの作品の底流に大きく影を落としている。

 アイヌ社会にかつて「カソマンテ」という独特の風習があった。「チセ(家)焼き」と呼ばれ、女性が死んだ後に家を焼き払う風習のことである。アイヌコタン(集落)で家が燃えているのを目撃した屯田兵が「火をつけたのは誰だ」と言って、アイヌたちにリンチを加える凄惨な場面が出てくる。この光景を目に焼き付けた十兵衛は真っ直ぐに下手人のいる場所へと向かう。

 「死して生きる」―。これがアイヌの死生観の根本にある。画面を見つめながら、私はかつてアイヌのフチ(おばあさん)が教えてくれた話を思い出した。「アイヌはあの世でも生きていくわけだから、住む家を火の神を通して送り届けるわけ。とくに女の場合は一人で家を建てることができないからね」。明治4年、この伝統的な風習は「無知蒙昧で野蛮だ」という理由で一方的に禁止された。

 虐げられた者たちに対する限りない憐憫(れんびん)と「許されざる者」に対するたぎるような憤怒(ふんぬ)。この二つの感情が十兵衛に再び刀を抜かせたのではなかったのか。「雨ニモマケズ」に流れる精神―「受難者に寄り添う共感の眼差し」を十兵衛は「許されざる者」たちへの挽歌として捧げたのかもしれない。そんな気がしたのだった。

 渡辺さんは明治初期の北海道を舞台にした映画「北の零年」(行定勲監督、2005年)にも主演している。そういえば、この時もアイヌの存在が通奏低音のように作品の底流に流れていた。イ-ストウッド監督のオリジナル版でも作品に深みを与えていたのはアメリカ先住民・インディアンの存在であったことを、ふと思い出した。

写真=増子義久氏提供
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