マスコミに巣くう「親米派」

 普天間米軍基地は町中にあり危険だとして、1996年4月の橋本龍太郎首相とモンデール米大使が返還で合意した。そののち、97年11月に政府は代替施設として名護市辺野古沖に海上施設を設置する、とした。  

 ところが、辺野古は普天間基地の代替ではない。あらたに増強されるまったくの新しい基地である。2本の滑走路をV字型に並べるプランは、60年代に米軍が密かにつくっていた計画の浮上であった。つまり普天間を撤去するという偽装の下につくられた、より強力な新空港なのだ。
 海上空港をつくる当初の計画にたいして、住民たちは海上予定地のボーリング調査用のパイプ製やぐらを占拠、座り込み闘争をつづけた。それによって、海上空港案は頓挫した。

 その抵抗運動を回避する形で、キャンプシュワブの一部を使った、埋め立て空港に政府は強制着陸した。沖縄県の土木建築業者を傘下に収めているゼネコンにとっては、大需要の喚起だった。しかし新たな軍事空港建設は、基地に苦闘してきた沖縄が、さらに戦争に縛り付けられること意味する。ますます反対運動が盛り上がったのは当然だ。

US Marine Futenma  
写真=普天間基地, U.S. Marine Corps photo by Cpl. Justin Wheeler 16/3/2011、wikipedia public domain

 在日米軍基地は全国に85ヵ所ある。駐留兵力は約3万6000人。この施設の面積は東京23区のほぼ半分ともいわれている。この膨大な用地の75%が沖縄に集中している。「国土の0.6%に75%の基地」といわれるゆえんだ。
 また、米軍は沖縄県民の地主から強制収用した負の歴史がある一方で、面積の大きい地主には不労所得が入る、という矛盾と退廃を生みだした。
 
 これまで本土での米軍基地は減少傾向にあったが、沖縄ではほとんど減っていない。つまり現在の日米関係は沖縄県民を犠牲にし、生活を荒廃させたうえで本土が繁栄する、という関係となっている。だからこそ鳩山由紀夫元首相などが目ざした「対等な日米関係」のノドに突き刺さった棘(とげ)となっている。
 自民党政権はなんら沖縄の基地問題を改善する意志がなく、辺野古に押しつけて事足れりとしてきた。鳩山政権はそれを解決する方針を打ちだし、自民党や財界、大メディアから集中砲火を浴びたのだった。しかし自国も相手も政府が替わったのだから、政権交代前の「合意」について、話し合いによって解決していくのは、外交において当然の姿勢だ。 

 米軍基地の問題の根幹に横たわるのは、日米安全保障条約である。51年に締結された旧安保から60年の歳月がたった。1960年の安保改定にさいしては、安保反対の大デモが起こり、30万以上の人たちが反対を訴えて全国から国会に集まった。わたしたちの学生のころである。89年にはベルリンの壁が崩壊、ソ連を中心とした冷戦構造は解消し、各国が新しい国際関係を模索してきた。ヨーロッパ諸国はEUを結成した。
 ところが自民党政権の日本は、米国一辺倒の外交を変えようとする意欲はない。戦争終結から60年以上たってなお占領軍が駐留し、さらに基地を拡大強化しようとしている。これが「対等な」関係なのかどうか。2009年の政権交代を契機として、これまでの対米一辺倒の日米関係を変えていく時代にもなっている。
 日本の未来にむけての政治をおこなうべきときは近いのである。〈この項、続く〉
「鎌田慧の現代を斬る」から
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