長寿社会の焦燥

 年賀状の時期になると、ことしは身内に不幸があったため欠礼します、と知らせるはがきが、ぽつぽつ舞いこんでいる。 
 それを眺めていると、今年ももう押しつまったな、という焦りのようなものを感じさせるのだが、それらの知らせに共通する事実があるのに気がつくようになった。というのは、そこに記入されている物故者の年齢が、92とか94とか、90歳を超えているのである。
 そのことに気がついてから、年齢をみるのを心がけるようになった。その次の日のはがきに80代がふたりつづいたりすると、なんだか若死のように感じられたりする。 
 もちろん、それは偶然のことで、60代でなくなるひともいるのだが、わたしたちの年代の親となると、90代、ということになってしまうのだ。 
そういえば、親しい友人たちに頭をめぐらしてみると、実際に90歳以上の両親を抱えているひとがまだなん人かいる。長寿社会になったものだと、あらためて感心させられた。

 わたしの両親は、もうふた昔まえに、それぞれ80代で他界している。けっこう長生きしたほうだ、とそのときは考えていた。が、そうでもなかったんだな、ともおもわせられる昨今である。 
 さて、と自分のことにおもいがおよぶ。はたしてなん歳まで生きるのだろうか。もちろん、神の身ではないのだから、それはわからない。でも、あんまり長生きしたくないな、とおもう。
 というのも、わたしは、ほんの短いあいだしか会社勤めをしたことがないので、年金は国民年金程度、けっして生活できるようなものではない。だから、将来のことは考えないようにしているのだが。 
ちいさな会社に長年つとめた友人は、遠い郊外に家を買っているのだが、東京にでてくることはほとんどなくなった。「企業年金」がない年金生活者は、ますます暮らしにくくなっている。 
 90歳まで生きたひとたちは、戦争にいったひとたちである。つまり、生き残ったひとたちである。あるいは、人生を大事に生きたひとたちかもしれない。戦争と戦後の混乱期を生き抜いた労苦は、尋常ではない。 しかし、これから、4人に1人が老人という時代を迎える。いまの政府は、いままでよりも老人を大事にする、ということなど考えていないようだ。

イラク戦争 
写真=イラク戦争、by Kalka100, Under licensed of creative commons

 イラクの戦場への自衛隊の「参戦」が表明されると、たちまちにして、心配されていたようにテロ攻撃をうけて、2名の外交官が殺害された(2003年11月29日)。これからは、各国の在外公館にも自衛隊を派遣しよう、と政府内に声がある、という。
 本末転倒だ。参戦しなければいいのだ。 
 航空母艦をつくり、ミサイル防衛の網の目を張りめぐらす予算もつけられた。防衛力強化といいはじめると、軍備は矛と盾との絶対折り合いのつかない関係だから、際限なく軍拡がすすめられる。 

 日本は老人だらけの国になるのに、年金を削って戦争をやろうとしている。戦争はしません、と毅然としていたときのほうが、老人は幸せだった。

『いま、連帯をもとめて』大月書店、2007年6月
関連記事

コメント


トラックバック

↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。