パレードの思想 1(編集部)

 9月14日午後、まだ真夏の暑さがのこる亀戸中央公園の入り口周辺には、警察の十数台の装甲車が待機し、交通整理の警察官たちが緊張感を漂わせている。「さようなら原発 1000万人アクション」の秋の集会が都心を初めて離れ、東京の東の端、亀戸で開かれた。
 ところが、公園のなかの雰囲気はまったく違う。ふたつの区画からなる広々とした公園のいちばん奥に設置されたステージを、同心円状に囲むようにして芝生の上に座り、参加者はステージで奏でられている音楽に耳を傾けている。入口から遊歩道に沿って、お菓子やドリンク、その他雑多なものを売るブースが立ち並び、子どもづれの家族や若いカップルが買い物を楽しんでいる。休日ののどかな風景そのものである。

 亀戸中央公園1 パレードの出発2

 やがてスピーチ。原発再稼働の申請が予想されている5つの地域の団体代表者、それから大江健三郎・落合恵子・鎌田慧、呼びかけ人三氏がステージに上がる。みな再稼働の危険性を語り、阻止をつよく訴えかける。集会が佳境に入るにつれ参加者はさらにふえ、芝生の広場を取り囲むように生えている木立の下にも多くの人が連なっている。スピーチが終わり、浅草方面と両国方面のふたつのコースに分かれて、パレードに移る。1万人ほどの参加者の切り替えは迅速だ。集会だけで帰る人は、ほとんどいない。
 呼びかけの三氏が「再稼働反対」と黒くかかれた黄色い幕をかかげて先頭に立ち、パレードが動きはじめる。報道陣のカメラから一斉にシャッター音がひびく。
 
 隅田川周辺でこうした行進が行われるのは1960年の安保闘争の時以来だ、参加している地元の商店街のお年寄りが感慨深そうに言う。半世紀をへて、いま市民が再び直接、社会にむかってじぶんの声を上げはじめている。
 この10年間、政治権力がみずからを「国家」と名づけることが増えた。それは、国民の代表としての政権ではなく、国民と対峙する強圧的な権力、そして国民のための政治ではなく、国家権力のために国民が奉仕する政治へと強引に舵を切ってきた。もはや従来の「事なかれ主義」では取り返しがつかなくなることに、市民が気づかないわけにはいかない。
 
 原発が今もたらしている破滅的な状況、さらにもういちど原発事故が起きれば、この国は存続しなくなるかもしれないという怖れ。
 隠喩としての原発。それは民主主義を否定し、戦前のファシズム国家のような牢獄のなかに国民を縛りつけ、あとに決定的な破滅が待ち受ける道筋に、そのまま重なっていく。 

 陽射しのつよかった空も翳り、風がときおりパレードの人びとにやさしく吹きつけ、団体名をつげる無数ののぼりをはためかせたりもするが、暑さのゆるむのはそのときだけで、4kmの道のりでさえ果てしなく長くつづくようにおもわれる。
 とはいえ、パレードを歩く人たちの表情はなごやかだ。近くの人たちと語らい、また通行人に呼びかけたりしながら、暑さも気にしていないようだ。汗のなかに笑顔さえのぞく。

  パレードの出発  

 もちろん集会の規模や熱気は、たとえば今月13日、都心の日比谷・霞が関・国会議事堂一帯で4万人が参加して繰り広げられた「原発ゼロ★統一行動」とくらべれば、ものたりないものといえるだろう。だが、下町のパレードには、そうした従来の脱原発の活動とは他とくらべられない意味、そしてよさがあった。
 週末の都心は日常の生活空間ではない。道行く人々は、デモに目を向けることなく、黙殺する。デモは週末の非日常の時間や空間への闖入者なのである。
 ところが、隅田川周辺の下町のひとびとは、通行人も沿道沿いのお店や家々のひとも、プラカードや幟を立ててやわらかな表情で歩く見知らぬ大群に好奇心をむける。立ち止まって見つめる人、店から出てきて手を振る人も多い。

「頑張ってください」
「次は、ぜひ参加してください」
 パレードの参加者と地元の人たちとの間に、言葉が交わされる。パレードの呼びかけはメッセージや情報を伝えるだけでなく、街のひとびとに広がり、空間を開放していく。
 だが、こうしたパレードは日本だけの現象ではない。2011年の春に世界各地で始まり、拡散をはじめている。あたらしい社会が、世界のあちこちでいま動きだしているのである。〈この項、続く〉


写真=すべて編集部撮影
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2013年11月25日(月) 19時05分 |

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