ギリギリ日誌 10月12日(快晴)


労組の社会的責任
        
 「安全第一」といっても、原発は存在自体が危険なのだから、安全操業などはありえない。どこかの原発の使用済み燃料プールが、地震で破損することを想像しただけでも、ゾッとさせられる。パイプだらけの原発は地震に極端に弱いのだが、燃料プールもまた弱いことを福島原発事故が証明した。
 まして幻の「最終処分場」の地下深く埋設される、使用済み核燃料の将来に、責任を取れるものなどだれもいない。さすがの小泉前首相もようやく気がついて、「原発ゼロ」の声をあげはじめた。
  
 さて、原発とちがって、鉄道は平和利用そのものだが(戦争がはじまると軍事利用になるが)、北海道JRの運行はまるで戦時体制のような危険運転だった。社長以下、社の幹部たちも弁明のしようもなく、ただ頭を下げ続けている。
 なにしろ、放置されていたレールの危険箇所が、277カ所もあったという。脱線事故があったばかりではなく、特急の運転士が自分のミスを隠すために、自動列車停止装置(ATS)を自分で破壊する、という不祥事も発生していた。2011年には走行中の特急がトンネル内で火災事故している。
 
 これらは05年の西日本JRの尼崎脱線事故を思い起こさせた。あの事故も私鉄との競争に勝つために、運転士を締め上げた結果だった。その責任を結局経営者はとることなかった。 現場での労組の批判も弱かった。
 JR東海の元経営者のひとりである葛西敬之氏は、NHK会長の席を狙っている。彼は「国鉄処分」時の三悪人のひとりで、そのころから西日本の井出正敏元社長とともに極めつけの右派人物だった。
 
国鉄 キハ80系特急形気動車 臨時特急「北斗」1987  国鉄処分前、わたしは旭川車両センター(国鉄修理工場)を取材したことがある。そのとき列車の外輪(鉄のタイヤ)を研磨して、線路に当たる面を調整する作業をみたのだが、1ミリの100分の1単位の誤差を問題にしていた。
 ところが、今回発見されたレールの左右のゆがみは、最大値で45ミリ(室蘭線幌別駅の副本線)という、脱線事故寸前のものだった。
 「予算の関係で補修が制限される」「要因不足で作業をこなせない」という現場の声は、前からも強かった。
 
 記者たちが「問題はいつから起きていたのか」と工務部出身の野島社長に質問すると、彼は「私が現場にいた国鉄時代は決められた期間内に修理した」と答えた。「いつからこうなったかは、これから調べる」というのだが、とにかく、国鉄時代は「安全は輸送業務の最大の使命である」と毎日の朝礼で唱和していた。
 ところが、大量解雇と民営化のあとは、安全よりも儲け先行になった。これは今の電力会社の論理そのもので、「人命よりも再稼働」という安倍政権の論理でもある。
 
 電力会社の「あとは野となれ山となれ」の虚無的な経営姿勢は、亡国の会社そのものだが、それをささえているのが、労働組合である。電力総連は原発支持であり、原発反対の議員には「選挙で落とすぞ」とすごんでいた。まるで会社の用心棒である。
 労働組合は、労働者の健康といのちを守るのが本分であり、最大の使命である。市民生活を守る社会的責任がある。鉄道でも、電力でも、社会に敵対するなら会社なら、闘う義務があるはずだ。


photo by spaceaero2「国鉄 キハ80系臨時特急北斗1987」(GNU Free Documentation License)
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