増子義久「宮沢賢治没後80年…イーハトーブの今」(寄稿)

 賢治が夢枕に立つことが最近とみに多くなったような気がする。今年が没後80年という節目に当たっているからかもしれないが、どうもそれだけではないようだ。東日本大震災以降、被災者に向けられる眼差しの風化やオリンピック誘致の方便としか思えない「福島(原発)の安全宣言」…。数日前も賢治の声に起こされた。

宮沢賢治 「おめさん、だいぶ疲れてるみでだな。オラさ、ついでおだれ」。今ではすっかり廃(すた)れてしまった土地の言葉で賢治はそうつぶやいた。トボトボと後をついて行くと、やがてまばゆいばかりの世界が行く手に広がった。厳(おごそ)かな口調で賢治が言った。

 「イーハトーヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリーランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』の宣伝用広告チラシより)

 「大小クラウス」はアンデルセンの『小クラウスと大クラウス』、「少女アリス」はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』だとすぐに察しがついたが、さて、「テパ-ンタ-ル砂漠」って?こんな時の手引書にしている『宮澤賢治語彙辞典』(原子朗編著)をめくってみると、インドの詩人タゴ-ルの詩篇がその出典らしい。タゴ-ル(1861年~1941年)は詩集「ギーターンジャリ」でアジア人として初めてのノ-ベル文学賞を受賞している。さすがは博覧強記(はくらんきょうき)な賢治である。縦横無尽に銀河宇宙の旅を楽しんでいる姿が目に浮かんでくる。

 次の瞬間、私の眼はそのあとに続く「イヴン王国」に釘付けになった。トルストイの民話集のひとつ『イワンのばかとそのふたりの兄弟』がその下敷きになっているらしいとは想像がついたが、「なぜ、そのばかの王国がイーハトーブと関係があるのか?」。背後から賢治がのぞき込むようにして、ニヤリと笑った。「おめさん、よぐそごさ気がついたなっす。オラ一番、そごが書ぎだがったのす」

 刹那(せつな)、山猫が下す判決文の一節が頭に浮かんだ。「しづかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちやくちやで、てんでなつてゐなくて、あたまのつぶれたやうなやつが、いちばんえらいのだ」(『どんぐりと山猫』)。

 「手にたこのある者は食卓につけ、そうでない者は残り物を食え」(働かざる者食うべからず)―― がイワンが住んでいる王国の掟(おきて)である。一方、賢治の童話『虔十公園林』は知的な障がいを持つ「虔十(けんじゅう)」が周囲に馬鹿にされながらもせっせと杉の苗を植え続ける物語である。この主人公の姿が権力欲や金銭欲、物欲とは関係のない純朴愚直なイワンと重なる。そうだ、あのことも聞いておかなくては…。

 賢治の詩「雨ニモマケズ」は震災後、復興のメッセ-ジとして、世界中を駆けめぐった。この中で賢治は直截に「行ッテ」と何度も繰り返し、受難者の元に直接赴くことを促した上で、こう結んでいる。「ミンナニデクノボ-トヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニワタシハナリタイ」

 「このデクノボ-って、賢治さん自身のことなんだべす」とわたしは尋ねた。照れ笑いを隠すようにして賢治は伏し目がちにつぶやいた。「おめさんがそう思うなら、それでいいんじゃねすか。何事も感じだままが一番なのす」。そう、賢治にとっての「イヴン王国」とはまさしく「デクノボー王国」のことだったことに思い至った。 (この項、続く)


増子義久=元朝日新聞記者で、現在は岩手県花巻市議会議員。おもな著書に『賢治の時代』(岩波書店、同時代ライブラリー)、『東京湾の死んだ日』(水曜社)などがある。本ブログの定期寄稿者のひとり。
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