再稼働に向かう原発を止めろ


原発村の住民が安全審査

 今回の事故ではっきりしているのは、膨大な規模の被害を発生している原発事故の責任を、誰も取っていないということだ。
 原発を推進してきた政治家はもちろん、原発の安全性をチェックするはずだった原子力安全・保安院はなにもしなかった。電力会社は補償金すらまともに払おうとしていない。

 再稼働についても、この図式は変わることはない。
 原発推進の経済産業省内に、原発の安全を司る部署があるのはおかしいということで安全・保安院は解体され、環境省に原子力規制委員会が発足した。省庁の利益からも政治家の圧力からも自由な組織になるとの期待もあったが、すでに再稼働にむけた安全審査が始まる前から、日程の短縮を発表している。
 先月末には、自民党の衆参両院議員でつくる「電力安定供給推進議員連盟」が提言を発表。原子力規制委員会に圧力をかける、国会の監督強化を掲げている。
 原発の推進圧力の激しさは、眼に余る。福島原発の事故以来、原発推進に国民から厳しい目が注がれていながらも野田政権時は、大飯原発の再稼働を認めた。机上の空論であり、ただのシミュレーションでしかないストレステストを実施して、「安全だ」と保安院が太鼓判を押して、強引に再稼働させた。電力会社をはじめとする原発推進陰謀集団の圧力に、野田政権が抗しきれなかったのだ。

田中俊一2 原子力規制委員会のいびつさは、委員の人選にも表れている。5人の委員のうち3人が原子力村の人間である。田中俊一委員長は、福島原発事故直後、記者会見で反省の弁を述べた原子力村の住民の1人ではあった。
 「原子力の平和利用を進めて、まさかこういう事態、これほど国民に迷惑をかけるような事態は予測していなかった。結果的にこういうことになっていることについて、原子力を進めてきた人間として、国民に謝らなくてはならない」(JCASTニュース 2011年4月16日)との心境を語った。
 が、その一方で、「100ミリシーベルト以下なら健康への影響は大きくない」「一番のリスクは被ばくを怖れるストレス」とも発言した無神経人間でもあった。
 つまり原発の危険性を訴える嫌悪する市民感覚の持ち主ではなく、原子力産業の利益の代弁者である。このような人たちが、原発業界からの圧力を受けながら、客観的な安全の審査をできるはずがない。

 また、新しい安全審査基準そのものにも大きな問題がある。それは事故対策が中心だということだ。たしかに「安全神話」に彩られ、事故はまったく起こらないという過去の姿勢よりは少しは進歩したが、事故が起きたら制御しようがない原発に、どんな安全基準があるというのか。
 実際、福島第一原発は事故から2年半近くたっているのに、メルトスルーした核燃料はどこにいったのかわからず、高濃度の汚染水が地下を通って海に垂れ流している状態だ。

 新しい安全基準の1つの目玉である「フィルター付きベント(排気)設備」についても、たしかに緊急時に原子炉内の蒸気に含まれた放射性物質を取り除くフィルターがあれば、放射性物質の飛散は抑えられる。しかし福島原発の事故では、ベントが水素爆発の原因になった可能性も指摘されている。
 フィルターによって排気時の放射性物質を取り除いても、その後に爆発が起こって放射性物質が飛散するようでは安全とはいえない。
 もし、核燃料プールの冷却がうまくいかなければ、東日本一帯が避難地域になる可能性があった。プールの冷却についても偶然の幸運が重なって救われた状況を考えれば、小手先の安全審査基準がどれほど滑稽かがわかる。制御できないほどの危険な技術は廃棄すべきだ。

「月刊記録」2013年7月
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