前事不忘 後事之師

 アウシュビッツに立ってみたい、という願いは、たぶんランズマン『ショアー』をみてからだ、と思う。ショアーは、「ユダヤ民族大虐殺」を意味する、宗教的な意味合いの強い「ホロコースト」に代わる言葉として使われているようだ。
 「ロマ(ジプシー)」や政治犯や「身体障がい者」や「同性愛者」などのふくめた虐殺だったので、もう少し幅が広い『ショアー』になったのかもしれない。
 
ビルケナウ わたしには、アウシュビッツよりも、そこから3キロほど離れた、ひろびろとした空間に収容者を貨車で輸送してきた引き込み線の残る「ビルケナウ」第2収容所のほうが圧倒的に体に染みわたった。
 白樺や欅の様な大木が鬱蒼と生え、雑草が花をつけ、鳥の声がして蛙が動いている。惨劇から70年がたって、いまは美しい自然が蘇っているのだが、そのころ、貨車から降ろされた不安に戦く人々が、労働力として不向きと判別されるとピクニックの一団のように集められ、裸にされてガス室に送られた。馬小屋のような建物の三段ベットにさえ身を横たえることもなく消滅させられたのだ。
 運搬から殺戮、遺体焼却、廃棄まで、きわめてシステマチックに、ベルトコンベアのように的確に作業がつづけられた。作業者は選ばれたユダヤ人自身だった。
 
 広大な収容所跡を歩き回って、どうして人間にこのような恐ろしいことができるのか、と慄然とさせられたのだが、この冷酷な装置を設計した「知性」と死と向かい合っていた殺される個人の「尊厳」については、フランクフルの『夜と霧』に書かれている。
 大量虐殺は、日本軍の南京虐殺、重慶爆撃、ゲルニカ、ヒロシマ、ナガサキ、東京爆撃、ルワンダ、カンボジアのポルポト軍とつづき、イラク、シリアとつづいている。
 
 ビルケナウの「遺跡」を声もなく歩きまわりながら、わたしは「ハンセン病施設」のことを思い起こし、なお、「花岡事件」などの「強制労働」のことを考えていた。
 全国にあったハンセン病施設は、「療養所」としての医療施設だったはずだが、一生、脱出できない「絶滅収容所」だったことは、数多くの証言者が立証している。
 4万人の中国人が強制連行され、6830人が死亡した、といわれている。秋田県大館市の花岡鉱山にあった鹿島組(鹿島建設)では、過酷な労働で中国人が斃(たお)れつづけ、ついに「決起」となった。憲兵隊や警官隊が鎮圧し、逮捕者は拷問され100人以上が死亡した。
 
花岡事件慰霊碑 この事件は最近になって、中国での生存者と日本人弁護団が損害賠償裁判を起こし、鹿島組(鹿島)から補償金が支払われた。広島県では西松建設も裁判所による和解で支払った。
 それらの事件の裁判官が、大館市の公園墓地にある、大きな自然石に刻まれた「中国殉難烈士慰霊之碑」へ献花のために訪問している。このように、まず個人が謝罪すべきことなのだ。
 「前事不忘、後事之師」
 「改めるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」
 である。二度とおなじ過ちは犯さない、という決意が必要だが、日本政府はまだ謝っていない。
『先見経済』2013年10月号(9月30日発売)
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