「生きにくさの時代」 川田文子との対談

鎌田 (生きにくい指標の最たるものは、98年から自殺者が11年間連続して3万2000人ていど発生していることですね。この11年間だけで35万人以上です。戦争状態ですね。)こうした状況下ですから、本当に「生きにくさの時代」というキーワードどおり、力いっぱい働いて、日々の生活を切りひらいていくという方向がみえない、明日はどうなるかわからないというところに大半の人がいる、そういう時代なのです。
こういうことは、戦前は知りませんけど、戦後の歴史でははじめてだし、戦前だって、政治的抑圧があったり、戦争があったりして、いつ死ぬかわからないというのはあったでしょうけど、しかし、こんなに混沌とした、展望のない感じではなかったのではないかと思います。  

川田 生きにくさ、この言葉はもちろん現代の言葉だと思うんですね。
 わたしは1970年代に雑誌の編集部にいて、「日本の唄」や「唄のある女たち」という連載をしていた時期がありました。軍歌とか春歌とか子守歌とか、歌を通して当時の社会状況を追っていくという企画でしたが、子守歌のなかに、間引きをうたった歌が日本の全国各地に残っていることを知りました。
 たとえば、男の子が生まれたら取り上げて、女の子が生まれたらおっちゃぶせ、殺せという歌です。そのような間引きの子守歌を追っていったら、沖縄の石垣島のすぐちかくの竹富島に間引き墓があることを知りました。

 とってもきれいな島で、現在では観光スポットになってますが、大きいものでは30センチほどにもなるシャコ貝がある。生まれた子が産声を上げるか上げないうちに息を止め、埋めて、遺体がカラスなどに突かれないように、その貝殻をかぶせて墓標代わりにしたのが間引き墓です。 
 そんな話を聞いて竹富島を歩いていたら、あるおばあさんが、石垣に自生している豆を取っているんですね。なんていう豆ですか、と聞いたらヒンズー豆だと。
 竹富島は周囲9キロぐらいでしょうか、とてもちいさな島で、標高でいえば10メートルか20メートルくらい、平らな島で井戸を掘っても海水がでるようなところです。台風にはもちろん襲われるんですが、台風だったらまだサツマイモが生きている。ところが、旱魅(かんばつ)になるとサツマイモも枯れて、なにもなくなる。そんなときでも最後まで残っているのがこのヒンズー豆だと。竹富島は「餓死島」と呼ばれたけれども、食べるものがなにもなくなったときに食べた豆なんだよ、と教えてくれたんですね。
 
  写真=竹富島伝統的建造物群保存地区, photo by 663highland ,GNU Free Documentation License1.2

 竹富島のこうした過酷な状況というのは、薩摩の支配による重い人頭税のためでもあり、琉球王朝の支配も受け、その末端でひどい収奪を受けたことがより大きな要因です。そういう人為的な収奪にたいして無力で、厳しい自然災害によって生きられないという状況では、神にすがる以外になくて、竹富島では毎月のように祭りがあったそうです。
それが観光資源のひとつになってるんですが、なぜお祭りするかというと、ひたすら豊穣を願ってお祈りするしかなかった。

 その時代の生きられない状況と現在の生きにくさとを比較すると、質が違いますよね。かつての竹富島のような生きられない状況は、現在は、すくなくとも日本社会ではないですよね。いま、「生きにくい」ということはなにかといったら、社会がみえない、あるいは世界がみえない、そういうことなのかなと感じるんですね。
『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月
川田文子 
1943年生まれ。早稲田大学文学部卒業。ノンフィクション作家。農山漁村の女性や日本軍性暴力被害者の人生を記録する一方、保育問題や住宅問題、最近は若者のこころの病、とくに摂食障害について取材。著書に、『イアンフとよばれた戦場の少女』(高文研)、『自傷』『皇軍慰安所の女たち』『赤瓦の家』(以上、筑摩書房)、『女という文字、おんなということば』『インドネシアの「慰安婦」』『戦争と性』(以上、明石書店)、『授業・「従軍慰安婦」』(教育史料出版会)、など、共編著に『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(大月書店)がある。
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