「生きにくさの時代」―― みえない「敵」の前で

 「生きにくさ」というキーワードがだされてるんですけど、わたしたちは敗戦以来、一生懸命働けば時代はよくなるし、生活も向上していくという、約束された時代のなかで生きてきたと思うんですね。
 わたしは1938年生まれで、敗戦のときに国民学校一年生ですけど、だいたい、そのあと、団塊の世代の人たちぐらいまではそういう思いがあって、事実、どんどん経済的に向上したと思います。でも、いまはそういう「いい時代」を経験していない若者たちがほとんどになってしまった。まったく時代が変わったと思います。 

 オイルショックがひとつの契機になるのでしょうか。1973年のオイルショックで、産業的にいいますと、ここから「雇用調整」とか「リストラ」とか「希望退職」という言葉が登場しました。
が、日本の企業は労組を捲きこんでは人員削減を徹底的にやって、合理化というのをやって、それで乗り切ってきましたから、そのままバブルにむかって、90年まで成長してきたわけです。
 90年以降に生まれた子どもたちというのは、ずっと低成長時代のなかで生きてきたのです。食べるのにはそんなに事欠かないというところではあったでしょうが。 

 ところが、2000年になる前ぐらいから、「フリーター」という言葉が蔓延してきました。いまは「派遣労働者」という言葉や、「ワーキングプア」という言葉が頻繁に使われます。現在、15歳から24歳の人たちの半分は、非正規社員、派遣や期間工です。この人たちは、経済がしり上がりによくなっていくという実感をもてないでいるでしょう。 
 「希望格差」という言葉がありますが、希望をもてない、将来の生活設計ができない世代といえるかもしれません。 

 わたしが中学生のころは「金の卵」といわれ、「集団就職」の時代とほぼ重なっていまして、大人の場合は出稼ぎ労働者というのが盛んになった時代なんですけど、そういう金の卵といわれた低賃金若年労働者、かれらも東京に来れば、幻想であれ、商店の経営者になるとか、町工場の経営者になるなどの希望をもてたし、実際それを達成した人もいました。しかし、ほとんどはそんな簡単に達成できないわけで、だんだん地価が上がってきたから、町工場も買えないというような状況になったんですね。 
 でもまあ、一生懸命やって貯金すれば、プレスの機械を一台買って、妻と二人でやるとか、下請けの仕事をもらったり、賃仕事をやって財産をふやしていくということも可能でした。床屋やクリーニング、時計屋や靴屋で修業したりして、集団就職の子どもたちは、挫折して帰る人もいたけど、それなりに一家を構える希望がありました。 

 いまはどうでしょうね、15歳で中卒だったら、ほとんどはじめから脱出できないでしょうし、高卒で働いてもフリーターになるくらいです。わたしは「一家に1人フリーター」といっているんですけど、時代が冷え切っている感じがします。
 いまは政治的な転換期なんでしょうが、転換が強くもとめられている感じですね。そこまで生きにくい時代は進行しています。
 生きにくい指標の最たるものは、98年から自殺者が11年間連続して3万2000人ていど発生していることですね。この11年間だけで35万人以上です。戦争状態ですね。
『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月


写真=レディー・ガガ(2011年7月), 彼女の踊りや歌、入れ墨、そして化粧、ファッションもすべて「生きにくさの時代」を象徴している。Eva Rinaldi撮影、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 2.0 一般ライセンス
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