終わらない公害 水俣病

 『週刊金曜日』連載の取材で、水俣市にいった。この悲劇の町に、産業廃棄物の処分場がつくられようとしている、と聞いたからである。 

 水俣といえば、たちどころに、湯堂のちいさな入り江の遠景が浮かんでくる。1968年9月、政府による「公害病」認定のあと、わたしは、はじめて出かけていった。このとき、湯堂の集落に下りていく道から見下ろした入り江は、光り輝いていて、息をのむほどに美しかった。 

 民家のすぐそばに、小舟が係留されていたような記憶がある。今度いってみると、岸壁がつくられ、降りつづいていた雨のせいか、海は濁っていた。 
 ひとびとの暮らしを丸ごと引き受けていた湯堂や茂堂のちいさな湾は、石牟礼道子さんによって、「苦海浄土」と名付けられた。その悲劇が起こるまえは、「椿の海」と呼ばれていたのだ。
 その海から7キロほど、湯出川に沿って上っていくと、あちこちのがけのうえから、流水が激しい。小さな川は、激流になっていた。それが市内の水源になっている。
 

 その山のうえの開拓地が、ゴルフ場として買収され、最近、203万トンもの産廃を投棄する計画が、ひそかにすすめられているのがわかった。 
 市長には反対派が選ばれ、市民ぐるみの反対運動がつづいている。チッソの廃液で苦しんでいる水俣市民の頭のうえに、こんどは産廃を捨てるなど、並の神経ではない。
 東京新聞「本音のコラム」2006年7月25日
写真=熊本県水俣市にある水俣病資料センター、Photo by STA3816, Public domain
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