厚顔無恥政治は誰のため

 これほど露骨に無視されると、なんだか毎日がバカにされて暮らしているようで惨めになる。首相は厚顔無恥のだんまり作戦、とにかくその場をしのいでいれば相手はあきらめてしまう、という日本的統治方法なのだ。

 「原発」と「オスプレイ」問題は、日本には主権がないことを嫌というほど知らせてくれた。パブリックコメントや署名やアンケートで、国民の意見を積み上げた結果、国民の7、8割が「原発ゼロ」を望んでいる。それが民意というものだ。

 「主権は国民に存する、国政は国民の厳粛な信託による」とは日本国憲法前文だ。
 だが、民意を受けた「原発ゼロ」(時期が長すぎるが)の閣議決定に横やりを入れたのは米政府だったことが、明らかになった(「東京新聞」9月22日)。
 一方の沖縄へのオスプレイ配備には、県知事以下、沖縄全市町村が反対決議しているのに、強行するための飛行訓練がはじまった。沖縄の反対運動では、逮捕されても年金がある65歳以上の人びとの座り込みが検討されている。悲壮である。

 原子力基本法に、「安全保障に資する」との文言が挿入されたのは、プルトニウムを生産する「核燃料サイクル」をつづけさせるためである。日米資本の原子力研究はそれほどまでに相互依存が深い。
 再処理工場に原料(核廃棄物)を送るために、原発を動かす。グロテスクな本末転倒である。
 『怒りのいまを刻む』七つ森書館、2013年3月

写真=オスプレイの給油シーン、2008年2月2日イラクにて。米国防総省・パブリックドメイン
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