労災が認められない被曝労働者 (『原発暴走列島』より)

 与謝野馨通産大臣(当時)は、JCOの事故(注)発生からだいぶたってから、「今後は原発だけでなく、燃料加工施設にもフェイルセーフの考え方を取り入れる必要がある」などと発言している。 

 あなたは、祖母である与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」の詩をよく読んだほうがいい。危険な放射性物質をあつかいながら、フェイルセーフの考え方のかけらもなかった。そうしたJCOを指導できずに、原発を推進してきたことにたいする自己批判がまったくない。 
 そもそもフェイルセーフのシステムどころか、核物質に関する基本的な知識すら、この会社では従業員に教えていなかった。

 事故を引き起こして病院に運ばれたJCOの労働者は、 
 「23年前に(会社に)はいった直後に研修を1回受けただけで、意味がよくわかっていなかった」 
 と証言している。このように教育することなく、世界でもっとも危険な物質をあつかわせ、それでなお安全だ、といい放ってきた政府・経産省・旧科学技術庁は、犯罪者集団といってもいい。 

 さらにJCOの工場は、民家に隣接していながら、放射線洩れを防ぐような建築物でさえなく、臨界をとめる装置もなかった。これまで原発は「トイレのないマンション」などと呼ばれてきたが、これではまるで「ブレーキのきかない自動車」というものである。 
 これだけ危険な暴走核工場が、日本のあっちこっちにあるのがおそろしい。だいたい安全対策など手のまわらない中小工場に、危険な作業を押しつけ、原発のコスト削減を実現するなど、弱者いじめにほかならない。 
 結局、その後始末役は、もっとも立場の弱い労働者にまわってくるのだ。

 JCOの臨界事故をかろうじてくいとめたのは、JCOの社員33人である。
 彼らは核汚染の現場に突入させられ、冷却水の抜き取りやホウ酸注入などの作業を実施した。最強の放射線である中性子線が発生しているのに、それを防ぐ防護服もなく、被曝覚悟の行為によって、この事故はくいとめられた。 
 「ブレーキのきかない自動車」のブレーキ代わりにされたのは、人間だったのだ。臨界がつづくなか、工場への突入を命じられたJCO社員、そしていま、福島原発で核燃料溶融の現場で死守させられている、多くの下請け、孫請け労働者たち、それはかつて天皇の命令で空に散った特攻隊を思わせる。 

 このときに命令を下したのは、旧科学技術庁であり、その命令にしたがったJCO社長だった。いまは内閣府の命令である。
 被曝を承知で突入しなければならない労働者は、責任を押しつけられている。現場での特攻行為を「嫌です」と拒否できない。わたしが取材したJCO社員も「自分たちがやったことだから、自分たちで始末しなければならない」と語っていた。〈つづく〉 


(注)1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所」で、核分裂反応が連続する臨界事故が発生し、2人の労働者が放射能被曝によって死亡した。
被爆して東大病院に運ばれた2人は、全身の皮膚が脹れ上がり原爆症同様の悲惨な状態で、MRSAによる肺炎で亡くなるまでの83日間、何の見込みもないままいたずらに苦痛を引き延ばされたことに、人体実験ではなかったのかとの非難もある。
写真=最初の原子力発電の実験。1951年アメリカ・アイダホ州。Public domain
『原発暴走列島』ASTRA,2011年5月
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