壊憲の歴史を追う 『反憲法法令集』

 91年1月からはじまった湾岸戦争に、日本政府は130億ドルもの戦費を拠出したのにもかかわらず、「血も汗も流さなかった」と批判されたとの口実で、戦争終了後まで海上自衛隊がペルシャ湾に出動して、機雷処理の業務にあたった。 
 このあと、「国連平和維持活動法(PKO法)」によって、カンボジア、モザンビーク、ルワンダ、ゴラン高原、東チモールなどへ自衛隊が派遣されて、既成事実がつくられ、アフガニスタン攻撃にたいしても、政府は米軍支援の行動をはじめた。

 2001年9月11日以降、日本政府があわただしいまでに、戦争の準備をはじめたのは、米国の要請の強さをそのまま反映している。「反憲法法令」のほとんどが、9・11当時、すでに政権の座にあった小泉首相のもとで、成立させられている。 
 わずか2年のあいだに、専守防衛から集団的自衛権まで踏みこみ、首相が、公然と「自衛隊は軍隊ではないのか、戦力がないのは常識的におかしい」などといってのけるようになった。これは国会内外での野党の抵抗力が弱まり、選挙民の反戦の意識が、すっかりみくびられていることと無関係ではない。 

 防衛の基本政策として、99年5月に成立した「周辺事態法」と2003年6月に成立した「武力攻撃事態法」とのふたつが、曰本「参戦」の悪魔的な道案内人となったのだが、これは97年9月、ほぼ20年ぶりに更新された「新ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)にもとづいて、法案化されたものだった。 
 ここでは、日米安保論議で危険視された「極東の範囲」をはるかに越え、「アジア・太平洋」にまで拡大されている。こうして、米国の戦争に自衛隊が全面的に協力させられることになったのである。 

 「新ガイドライン」の「指針の目的」では、つぎのように規定されている。 
 「この指針の目的は、平素から並びに日本に対する武力攻撃及び周辺事態に際してより効果的かつ信頼性のある日米協力を行うための、堅固な基礎を構築することである。また、指針は、平素からの及び緊急事態における日米両国の役割並びに協力及び調整の在り方について、一般的な大枠及び方向性を示すものである」

 この「指針」によっても、日本にたいして、武力攻撃があるのか、あるとしたなら、どのようなケースなのかについて、なんらあきらかにしていない。
 Ⅳ-I-Iには、「……周辺事態が日本に対する武力攻撃に波及する可能性のある場合又は両者が同時に生起する場合に適切に対応し得るようにする」と規定されている。 

 ここで想定されているのは、「周辺事態がまず先にあって、それが武力攻撃となって、日本に波及する」(または同時に発生する)ということであって、日本にたいする攻撃だけが、単独で発生するなどは想定されていない。 
 自衛隊は、専守防衛をもっぱらにし、自衛のためにあるはずなのに、湾岸戦争のあと、アフガニスタン攻撃、イラク攻撃など、「米国の戦争」のたびごとに、しだいに遠くまで派遣されるようになった。 
 「周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものである」
 よくしられるようになった、禅問答のような規定は、「新ガイドライン」のVにある。 

 すると、誰が「周辺事態」を認定するのか、という疑問がでてくる。「新ガイドライン」には、「正確な情報及び的確な分析が安全保障の基礎であると認識し、アジア太平洋地域の情勢を中心として、……(日米両国政府が)情報及び意見の交換を強化する」(Ⅲ-1)とある。
 アジア太平洋地域は、米国の太平洋軍のよく把握するところなので、情報の収集と分析では、日本の自衛隊よりも米軍に指導権があるのはいうまでもない。大集団が小集団を鼻先でうごかすことはあったにしても、その逆はまずありえない。

『反憲法法令集』鎌田慧編、岩波現代文庫、2003年9月

写真=イラクへの飛行、Photo by Joshuashearn,the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license.
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