言論封殺に抗して(本音のコラム)

 「言論の自由」がなければ、民主主義社会とはいえない。
 9・11のあとのアメリカで、ブッシュの戦争政策を批判したジャーナリストたちが職場を追われ、ロシアでは、プーチン政権の腐敗を暴露してきたアンナ・ポリトコフスカヤ記者が暗殺された。 といって、言論封殺は、対岸の火事ではない。 

 1987年の憲法記念日に、朝日新聞の小尻知博記者が射殺された。が、犯人は逮捕されていない。
 2006年の敗戦記念日には、小泉純一郎首相の靖国参拝を批判して、加藤紘一議員の実家が焼き打ちされた。 
 また「天皇にも戦争責任がある」といっただけで、銃撃された本島等長崎市長の例もある。
 日本の民主主義は、いまだ幼い。 

 加藤氏宅焼き打ち事件のあと、日本のファシズム化に危惧を抱いた市民の提案をうけ、わたしは親しい物書きたちと、「言論封じのテロを許さない」共同アピールの運動をはじめた。これはネットでつぎつぎに転送されてひろがった。 
 2006年10月17日、漫画家の石坂啓さん、上原公子・国立市長(当時)、経済評論家の佐高信さんやわたしなどの呼びかけ人たちが発言する集会がひらかれた。組織のない市民による集会だったが、240人ほどが集まった。
 ささやかなものだが、ほかの地域にもひろがっているようだ。小さな動きでも、間髪をいれず、打てば響くような運動が必要だ。
東京新聞「本音のコラム」2006年10月24日

鎌田慧さんは「もんじゅ」の集会などで福井に出かけていて、週末東京に戻ってきてからでなければ「秘密保護法」については書けないので、すこし前のものですが、言論封殺に関する文章を掲載しました。 ただ、きょうの北海道新聞にはコメントが掲載されているそうです。当ブログでは8日(日)以降に掲載する予定です。

具体的な内容がまったく見えてこないままに強行されようとしている「秘密保護法」ですが、言語道断なのは手続きもずさんなまま国会を強行突破しようとしている点もそうですが、何より問題なのは徹底的に憲法に反するあきれ果てた内容である点です。

石破茂自民党幹事長は国会周辺の秘密保護法案反対デモに対してテロと言ったわけですが、保護法が通れば、法の対象とする範囲が不明瞭なので、権力を有する側がテロ行為と解釈すればどんなことでも罰することができ、それにかかわるすべてのプロセスを秘密のうちに進めることすらできます。
たとえば、核兵器製造ですら国家機密ということで、一切を国民に伏せ、暗黙のうちに核兵器を保有する戦争国家になり下がることもできます。そして現政権には核兵器保有を公言する閣僚もいるのですが。
知る権利も含めて、憲法に違反する内容満載の「秘密保護法」ですが、集団自衛権も含めて、現政権が進めている多くの政策やこの法案など、日本国憲法に完全に反するものです。現政権は「国民の敵」というだけでなく、法の原点に照らしても憲法に背く行為に手を染めているといえます。三権分立という民主主義の原則に基づいてこの国が存立している以上、政権がもし重大な憲法違反を犯すのなら、やはり独立した司法の場で裁かれるべきです。

ちなみに1999年の「君が代・日の丸法案」が国会で審議されたとき、当時の有馬朗人文部科学大臣(前東大総長)は国会答弁で、君が代・日の丸が法制化されても、国民にそれを強制することは決してありません、と断言しました。ところが、法律として制定されてしまえば、たとえば東京都や大阪府の独裁的な首長たちはそれを踏み絵のように用い、公務員や生徒の心のなかまで従属させ、支配する道具にしてしまいました。法律はいったん決まれば、為政者の手によって勝手に操作できる性質をもちます。ところで、「君が代」は国民主権に反する意味をその歌詞に含んでいるので、少なくとも法制化はしてはならない。これもまた憲法に照らして、廃案にすべきものです。

秘密保護法は、もちろん国会を通過させてはならないものですが、もし通れば「君が代・日の丸法案」以上に国民の自由と人権を踏みにじっていく危険性があります。一日も早く廃案にして、日本を平和で民主的な社会に戻すよう、わたしたちは本腰を入れて取りくまなければなりません。そうしたことの積み重ねの中で、日本は真の意味での民主主義社会へ成熟していくことができるはずです。民主主義かファシズムか、自由か隷属か、国民の選択のときが迫っています。(藤崎)
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