財閥と政治

 新日本製鉄の基礎をつくった八幡製鉄所と釜石製鉄所は、かつて官営製鉄所だった。このほか、三井、三菱、住友、古河などの財閥系企業は、1880年代の官業払い下げによって大きく飛躍している。それは政治家と結びついた力によってのことだった。 

 たとえば、三菱商会をつくった岩崎弥太郎は、大隈重信、大久保利通と結びついて、長崎造船所、高島炭鉱、佐渡金山、生野銀山などをきわめて安い価格で払い下げさせた。長崎造船所には、いまなお菊の紋章を刻んだドックがあり、ここには、明治天皇以来、三代の天皇が訪問している。 
 三菱重工長崎造船所は戦艦「武蔵」の造船所であり、日本の軍需産業の中心として、原爆の投下を受けたほどである。

 また、井上馨、山県有朋と近かった三井は三池炭鉱を、古河は院内銀山や阿仁銅山を、川崎重工業は兵庫造船所の払い下げを受けた。 
 福岡県の大牟田市は、三池炭鉱から出発した三井の"城下町"として、石炭コンビナートの町として発展してきた。駅のすぐそばの公園には、巨大な「三池炭山創業碑」がたっている。そこには官営鉱山の払い下げが、ときの大蔵大臣松方正義と三井物産社長益田孝とのあいだでおこなわれたことが記録されているのだが、「囚人をもっぱら使役した」とも刻まれている。 
 このとき、この鉱山ではたらいていた囚人は、2144人にも達していた。三井が支払った賃金は、一般労働者の49・6%だった。半分ですんだといっても、それは集治監(刑務所)側に支払われた金額で、囚人たちの収入は、そのうちのほんの一部にすぎなかった。 

 三池炭山創業碑のある公園のそばに、お寺がある。その墓地の片隅に、土に埋もれるようにして、いくつかのちいさな石杭(いしぐい)が並んで立っている。
 「囚徒墓」である。坑内事故や病気で死んだ囚人たちは、この墓地に葬られた。名前はない。一、二、三と和数字が刻まれているだけである。 
 安全設備のなかった坑内での死とむかいあった労働だった。囚人労働は三池のほかに、北海道の炭鉱などでも多かった。筑豊とよばれる福岡県の炭田地帯には、被差別部落が多かった。戦争中は、強制連行されてきた大量の朝鮮人が坑内で使役された。
『新版 現代社会百面相』岩波ジュニア新書、1993年6月

写真=古河・足尾銅山の中国人殉難烈士慰霊塔, Photo by Qurren, GNU Free Documentation License
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