「絶望工場」の日本列島化 

 わたしは70年代前半に、トヨタ自動車で出稼ぎの期間工として働き、『自動車絶望工場』(講談社文庫)というルポルタージュをまとめた。製造ラインに立って、秒単位で身体を動かし、部品を組み付けていく作業はきつく、多くの同僚が途中でやめていった。 

 「世界一の生産台数、世界一の利益」を誇るトヨタ自動車は、世界一ひと使いが激しい会社、というのが、『自動車絶望工場』を書いて以来の、わたしのトヨタ批判である。その支配力は、工場の塀を越え、「協力会社」や部品下請け会社まで貫き、それも末端に行くにしたがってさらにますます獰猛(どうもう)にあらわれる。 
 トヨタの奥田碩会長(現・相談役)が、日本経団連会長の時代に、国政選挙で小泉自民党を露骨なまでに応援していたことは、マスコミでも報道されていた。
 このとき、「労働者派遣法」の製造現場への解禁が実施されている。 

 労働者派遣法の制定が、戦前の「桂庵」「口入れ業」「人夫出し」「労働者供給業」を復活させ、まったくの無権利、使い捨て自由の労働者をつくりだした。常傭(じょうよう)から外され、日雇い、さらには時間給労働者にされてしまえば、働けど働けどその日の生活に追われ、生活不安定のまま歳をとっていく。 
 そんな社会にしていいのか、とわたしは訴えてきた。「絶望工場」の日本列島化なのだ。

 日雇い派遣で働くいまの若いひとたちがわたしの本を読むと、「好待遇」と感じるという。かれらは、登録している派遣企業から携帯電話にとどく求人の連絡を待っていて、明日は仕事があるか、つぎはどんな仕事だろう、と不安を感じながら職場を転々としている。
 期間工が大企業に直接雇用されて三ヵ月、六カ月と安定して働け、ボーナスや退職慰労金までもらえるなんて、うらやましい、という。 

 戦後、労働者がこれほど絶望的な気持ちを抱いた時代ははじめてのことだ。
 ところが、派遣労働者よりも、さらに苛酷な条件で酷使されている労働者群がいる。「研修・実習生」という名の外国人労働者である。 (つづく)

『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月


写真= Worker at carbon black plant, Sunray, Texas, taken by John Vachon,public domain
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