報告: さようなら原発1000万人署名提出行動 &秘密保護法衆議院強行採決

 昨日の「とどけよう!脱原発の声を さようなら原発1000万人署名提出行動」は東京新聞、朝日新聞各紙の朝刊に掲載されました。

ウェールズからの視察院内集会 国会周辺は、秘密保護法案の衆議院特別委員会と衆議院本会議での強行採決がすすんでいたこともあり、騒然とした雰囲気のなかで、政府と衆参両院への署名提出行動は行われました。参加者は予想以上に多かったのですが、呼びかけていた新聞各紙は秘密保護法に記者が集中したのか、取材は少なめでした。
 そのあと、夕刻6時半からの日比谷野外音楽堂での集会は、昼のあたたかな陽気とはうって変わって底冷えのする夜半の集まりでしたが、会場の奥方、左手半分を全国から集まった数多くの団体が陣取り、入り口周辺はおもに小さな集団や個人が銘々散らばっていました。場合によっては、近い将来この国にふたたび悪夢のような時代が訪れるのではないかといった予兆と、真冬を感じさせる寒さにすこし慄えながら、誰しも精一杯に声をはりあげていたように思われます。そして壇上でリレートークに立った論者は、ビル風を直接膚にうけながら、いつも以上に熱のこもったスピーチでした。
 そのあと、数寄屋橋から銀座を抜け、東京駅の近く鍛冶橋までのパレード。賑やかな銀座周辺の夜を抜けるパレードに興味をもち、励ましてくれる通行人も見うけられ、心が温められると同時に、脱原発・秘密保護法への反対が、私たち多くの市民にとって自然で日常的な営みになるかどうかの分水嶺に差しかかっている、と感じました。

 朝日新聞は共同通信からの配信記事によるものでしたが、東京新聞は単独取材し、いくらか詳しい内容で第1面にとり上げていました。以下、引用します。

反原発署名、840万人分提出 大江健三郎氏「市民の声大きく」
鎌田・大江両氏  脱原発を訴える「『さようなら原発』1000万人署名市民の会」は26日約837万人分の署名を政府と衆参両院に提出した。
 提出後に記者会見した呼びかけ人の作家大江健三郎さんは、福島市で開かれた特定秘密保護法案の公聴会での「情報が出ていれば被ばくを避けられた」という公述人の発言を引用。「福島の大きい経験と秘密保護法の問題とが一緒になって私たちの現代の問題となっている。今日ここで私たちが署名簿をもってきたことは意味があった」と話した。
(ここまで、東京新聞11月27日朝刊から引用)

 他には、「さようなら原発」呼びかけ人の落合恵子さんの「福島の現実から目をそらし、秘密保護法案を通そうとする。そうした動きに反対と言い続けたい」という訴え(朝日新聞)、澤地久枝さんの「こんなに私たちが反対し、前途を憂えている法案をやすやすと通していいのか」「みんながどんなに福島の切り捨てをやった政府が許せないか。その福島で公聴会なるものを形式的にも整わずやったことに対し、怒りと絶望を感じる。法案がたとえ議会で形式的に決まっても認める気はありません」(東京新聞)と強行採決への強い批判をした、といった内容が紙面にとりあげられました。

 どの会場でも鎌田さんが語り、上記の呼びかけ人はじめ多くの論者のスピーチに共通するのは、福島と秘密保護法は重なり合い、つながっているという視点です。原子力村をつくり、甘い汁をすすってきた政官財大メディアにとって、放射能汚染を隠蔽することと、秘密保護法で行政側がじぶんたちにとって不都合なことを国民に一切知られないようにすることは、同じカテゴリーに属します。一般国民を犠牲にして、じぶんたちの権益を守ろうというわけですから。
 さらに「さようなら原発」のような市民による自発的な運動が2年半前から広がり、その熱気は冷めるどころか定着してきて、原発の再稼働を抑えるという重要な役目を果たしています。こうした動きも、政権にとっては邪魔なので何とか押さえたいようです。そこで、安全保障・公益・秩序などあいまいな表現によって、どんなことでも秘密指定条項にいれることを可能にし、知ろうとした者すら刑罰に処し、弾圧を図るというものです。
 ここには、もはや「政治」はありません。さまざまな異なる立場や利害をもった国民が、知識や情報を共有し、そのうえで社会の未来や公益を考慮しながら、可能な限り議論をたたかわせ、ひとりでも多くの有権者が納得のいく妥協を図っていく。これが近代国家の根本となる政治の在り方です。
夜のパレード 今回の秘密保護法案は、近代国家であることの自己否定だといえます。近代国家の鬼子ともいうべきファシズム国家への転落です。ドイツやイタリアでは、ナチズム・ファシズムへの反省と点検が言論や教育、文学や音楽その他の芸術活動を通じて粘りづよく行われ、復活の気配が出てくると、多くの市民がすぐに立ち上がって身を挺し、反対してきました。日本はそれを曖昧にしてきたことのつけが、現在でてきているのだともいえるでしょう。
 民主主義は与えられるものではなく、みずから日々声をあげ、権力そのものや権力による暴力を監視するなかで、はじめて積み上げられていきます。

 大江健三郎・鎌田慧・澤地久枝各氏は、こうも壇上で語りました。「秘密保護法案がきょう衆議院を通るかもしれない。しかし、これははじまりだ。参議院もあり、かりにそれを通ったとしても国民の声でこの法案を廃案にすればいいのだ、その闘いのはじまりなのだ」。この不屈の精神が、私たちの社会に広がっていくとき、21世紀のあたらしい民主主義社会は出現するはずです。(編集部・藤崎)

写真=編集部撮影
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2013年11月28日(木) 08時42分 |

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