「民主主義ニッポン」の現状

 以前安倍首相が唱え、忘れられてしまった「美しい国」というスローガンを最近になって思いだすことが多くなった。あの言葉は、銭湯の正面に飾られていた、富士山のペンキ絵のような安手で、壁の汚れ隠しのようなしらじらとした、うそ寒い一幅の絵だった。 
 あたかも現実の矛盾を言葉で隠蔽(いんぺい)しようとした彼の底意が、きわめて意図的に、『文藝春秋』や同社の新書版(ベストセラーになった)によって、ひろく流布されていた。 

 あの甲高い声の小泉元首相が、いつも傍らにいた小太りの御用経済学者と一緒になって強行した、「生きるも死ぬるも自己責任」「貧乏人は死ね政治」のあとを継いだ安倍は、自殺者多発、死屍累々(ししるいるい)の荒野を、「美しい国」のペンキ絵で塗りつぶすつもりだった。 
 しかし、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍には、「自民党をぶっ壊す」と絶叫する大衆欺瞞によって権力を握った、小泉ほどには演技力がなかった。小泉よりもさらに単純な安倍は、「日の丸、君が代、愛国心」の三点セットをもちだせば、政権を維持できると踏んだようだ。 

 が、使いまわした「日本美」のスローガンで人心をとらえるには、すでに現実は修復不能なまでにぶっ壊されていた。壊された25歳の青年が、自暴自棄の怒りを秋葉原の路上で暴発させ、安倍のあとを継いでいた福田康夫政権を直撃した。 
 17人もの死傷者を発生させた事件のあと、福田首相(当時)と舛添要一厚労大臣が、「労働者派遣法」の見直しを口走ったのは、この事件の背景に派遣法の悪意がわだかまっているのを感じとっていたからだ。 
 わたしは、事件と派遣法の関係の深さについて、共同通信に「格差社会への警告」とコメントをだし、『東京新聞』(「自殺か殺人か――派遣労働者の絶望」2008年6月12日)や『朝日新聞』(「正社員化で「絶望」緩和せよ」2008年8月3日)などで主張したのだが、それへの批判もでてきた。あれは家庭教育の問題だとか、本人の甘えとかわがままとか、個人の責任にひっぱりこもうとする勢力は根強い。「なんでも社会が悪いからだ、といういい方だ」というお定まりの合唱である。 

 K容疑者がもしも派遣の現場で働いていなかったならば、すくなくともあの悲惨な事件は起こらなかった、と断言できる。「雇用問題や格差社会の被害者」にしてしまえば、今回の事件はきわめてわかりやすい物語になる、という重松清の意見に依拠して、読売新聞の文化部記者も書いていた(『読売新聞』2008年7月21日)。それもまた、「自己責任論」のパターンでしかない。
 政府が政治的な課題にせざるをえない、とようやく判断したときに、「事件の原因はそれだけではない、よくわからない」とマスコミが不可知論で水を差す。罪が深い。 

 ついでにいえば、短命に終わった福田政権のあと、ついに「ミスター格差社会」というべき、麻生太郎が首相になった。自民党はいまだ高を括っているのだ。小泉三代目、安倍三代目、福田二代目、麻生三代目、と自民党がつぎつぎに繰りだす首相は、世襲政治家だけである。
 安倍が日米安保条約を強化した岸信介首相の孫なら、麻生は米国追随の元祖である吉田茂首相の孫、と日本の政治はいまだ戦後以来の対米従属に呪縛されている。 

 とりわけ麻生家は、日本人ばかりか、中国・朝鮮人坑夫、オーストラリア人捕虜の膏血(こうけつ)を絞ることによって栄華を恣(ほしいまま)にし、大久保利通、吉田茂、鈴木善幸、三笠宮寛仁などとの華麗な閨閥を形成してきた。 
 おそらく自民党最後の首相が、10万平方メートルの邸宅に住み、絵に描いたような格差社会の頂点に立っている男になったことが、転形期にさしかかった「民主主義ニッポン」の悲惨な現状をよくあらわしている。 
 「創氏改名」は朝鮮人の要望と発言したり、「被差別部落出身だから、野中広務は絶対総理にしない」といって野中を激怒させたり、その傲慢なエリート意識は、苦しんでいるものの傷口に塩を塗る冷酷に通じている。

『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月

写真=秋葉原通り魔事件、2008年6月8日、手前のトラックに乗ってK容疑者は人ごみに突っ込んだ。taken by carpkazu, Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license.
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