「原発」の存在はフィクション ~ ほうしゃせんきらきらきらいだよ

 この狭い日本列島に、まして地震の巣のようなところに54基も原発をつくったのはどうしてか?

 アメリカには104基の原発があり、数が日本の倍ですが、アメリヵの国土の面積は日本の25倍です。つまり、日本は、アメリカの25分の一のところに、その半分の原発をつくってしまった。
 まして、地震大国にです。 
 北海道から東京まで飛行機で飛んでくると、両側の海が見えます。日本海側と太平洋側、その両側に日本の原発の約半分があります。これは「白河以北、一山百文」と明治政府にバカにされていた地域です。
 福島県の白河、会津藩は白虎隊で有名なように、明治政府に徹底的に弾圧された地域です。新潟も含めて奥羽越列藩同盟という地域ですが、その白河以北に新潟県、石川県、福井県も含めた地域に、全国の8割以上の原発が集中しているという状況です。 

 東京電力は関東一円をカバーしていますが、その管内には原発が1基もありません。あるのは、福島の10基、新潟7基、そして青森県に建設しようとしている1基です。どうしてそういう遠隔地に建設しているかといえば、それは、大間原発の許可条件にあったように、人口密度の低いところでないと原発をつくれない、建設を許可しないからです。
 つまり、危険だからです。危険だから都会にはつくらない、
 これは歴然とした差別です。 

 能登半島の先端にある珠洲市の場合、最初は電力会社や政府が懇談会とか講演会という形で、原発賛成派の学者やジャーナリストを、膨大な講演料を払って派遣して、原発は安全だとか電力が必要だ、などと宣伝しました。
 ある高名な原子力学者は講演会で、「原子力がないと日本の人口の四分の一が死んでしまう」といったそうです。そこで、1人の女性が、「死んでしまうのは都会の人間ですか、田舎の人間ですか?」と訊いた。
 そうしたら、その学者は、「都会の人間です」と答えたそうです。 
 要するに、電力がないと困るのは都会の人間で、その都会の人間が生活するために危険な原発を田舎でつくる――明確な差別ですね。都会の人間が死なないために発電所をつくるといいますが、原子力がなくても、誰も死んでいませんね。

 
写真=山口県上関町長島の上関原子力発電所計画地と祝島,Photo by Brackworry, public domain

 むしろ、原発のせいで死んでいるほうが多いんです。いま現在、54基の原発が全基止まっていても、誰も死んでいない。電気は煌々とついているし、何の不自由もない。フィクションだったんですね、原発がなければ人間は生きていけないというのは。 


 1970年代のオイルショックのときに、あと30年経ったら石油がなくなるという一大キャンペーンがはられ、それで、猛然と原発のほうにシフトしていきました。日本のエネルギー政策は、戦後の石炭から石油に代わって、石油から原子力へと、どんどん形を変えてきたんですね。そして、原子力も終わりに近づきました。 
 日本政府は、あと40年間は原子力政策を続けるといっていますが、とんでもない。とにかく、再び事故が起きる前に止めなくてはいけない。これが、私たちの運動です。

澤地久枝・鎌田慧編著『ほうしゃせん きらきら きらいだよ』七つ森書館、2012年12月
関連記事

コメント


トラックバック

↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。