「横浜事件」にみる報道の弾圧 

11月22日付「取材とは何か」の続きになります。

 権力と報道というのは常に向かい合ってきた。弾圧されてきた歴史だったというのが、日本のジャーナリズムの歴史です。ジャーナリストになろうという人は、そのような権力によってつぶされてきた先輩の苦渋の歴史を担って書いていくのだという意識を、きちんとしておいてほしいと思うのです。 

 たとえば、「横浜事件」というのがあります。日本軍の真珠湾攻撃のあと、富山県の旅館で、経済学者とジャーナリストが、出版記念のささやかな宴会を開いたことが、共産党の再建会議だとされました。
 このころはもう共産党は弾圧されてしまっていましたから、再建する会議だというように特高(特別山口同等警察)にでっち上げられました。『中央公論』や『改造』といった当時の進歩的な雑誌の編集者などが投獄されまして、雑誌はつぶされ、拷問で獄中で殺された編集者もいます。
 
 
ヒトラーとの会談に臨む松岡洋右外相,1941年3月、著作権満了

 それは、治安維持法という罪で投獄されたのですが、一つは、戦後すぐにこの治安維持法はなくなっているはずなのに、戦後に判決がだされている。もう一つは、取調べに拷問があったという。この事実をきちんとさせていなかったというので、もう一回裁判をやろうという、なんと六十数年経ってから裁判が始まるということになりました。
 これが、横浜事件です。それによって、ようやく、特高と治安警察が拷問によって罪をでつち上げていたことが裁判で認められました。

 人権を守るジャーナリズム 新聞記者や雑誌記者たちは、軍部が発表するとおり戦争を鼓吹する、煽る記事をずっと書いていました。
 これを戦後になって、それぞれの新聞社が反省しまして、もう二度と戦争には協力しないという、それは憲法の精神でもありますけれども、そのような形で戦後のジャーナリズムが始まりました。 

 しかし、敗戦があっても、権力というのは常に存在し続けているわけです。だんだん日本は、もう一度大国というか、強国というか、明治のような富国強兵政策のような形になってきています。
 最近、ジャーナリズムに対する攻撃というのは、ますます激しくなってきているのです。 

 「国益」という言葉が、もう一度復活してきています。ジャーナリズムでの「国益」という問題が、ジャーナリズムの一つの落とし穴になっているのです。つまり、昔は非国民という言葉があったのですけれども、国の利益とは何かという問題、それにたいする抵抗を抜きにして、ジャーナリズムは成立しない、とわたしは考えています。
 国の利益とは何か。国益、国権と対立するのは、人権というように考えるとわかりやすいのです。人権を守るのか、国権を守るのかという、このような対立になったときに、やはりジャーナリズムは人権に依拠しなければいけない。人権を守るほうに行く。国益や国権を損じても、人権を守る。それがジャーナリストの姿勢、方向だろうと考えています。 

 本来は、それは新聞社・テレビ局の労働組合を、そこを一つの結集軸というか、集まる一つの精神の拠りどころにすべきなのです。
 もう二度と戦争には協力しない、国権・国益よりも人権だという意識を、ひとりひとりが自分の中で打ち立てる必要があるのですけれども、そこまでに至っていないと思います。
 個人の尊厳の問題なのです。そのようなことを言うのは、少しでもジャーナリストの精神というか、なぜ自分が報道するのかという原点に立って、これから仕事をしてほしいと思うから、あえて言うのです。
『ジャーナリズムの方法』(原剛コーディネート)より、早稲田大学出版、2006年11月
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