取材とは何か

権力とどう向かい合うか 

 いまは、ジャーナリズムとマスコミが同じにされていますけれど、それはもちろん違うわけでして、マスコミ人という形でなくて、ジャーナリストであってほしい。
 ジャーナリストとは何かといいますと、権力と自分とがどう向かい合うかという、その緊張感が前提です。マスコミになってしまうと、結局、より多く商品として売るというような形になっていまして、最大公約数的な意見になりがちなのです。 

 いまの社会に不満がない人、あるいは矛盾を感じていない人は、ジャーナリストになる必要はないということです。いまの社会でよいという人は、別にジャーナリストになる必要はない。いまの社会に対して、何かいいたい、何かをしたい、いまの状況を変えたいという人こそ、ジャーナリストになってほしい、その一言に尽きるのです。 

 ジャーナリストの精神とは、改革でもいいし、変革でもいいし、まあ革命でもいいのですけれども、とにかくいまの社会を自分のペンの力によって変えたいという精神です。


報道を規制されるジャーナリズム


 ジャーナリズムというのは、明治の時代から弾圧されつづけてきました。
 明治の自由民権運動のなかから、政論新聞があらわれたのですけれども、もう一方では権力側というか、県令(県知事)のほうから新聞をつくれという、この二つの対立する方向から新聞の歴史がはじまっています。
 その自由民権運動の新聞は、「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」などによって、弾圧されつづけています。 

 最近では、個人情報保護法、あるいは人権という言葉を使って人権保護法とし、たしかに人権保護法は必要なのですが、そのなかにジャーナリストの規制を入れています。
 常に権力側は報道を規制しようとしているのですが、報道側は次第に鈍感になっています。最近は「共謀罪」など、政治権力はより完成した権力たらんとします。 
 明治時代に、陸羯南(くがかつなん)というジャーナリストがいまして、これは『反骨のジャーナリスト』(岩波新書)という本に書いているのですけれども、彼が発行していた『国民新聞』は、23回の発禁、発行停止の処分を受けています。 

 いまのマスコミは、発行停止をされると、何千人という従業員の賃金を払えなくなってしまうので、えてして権力と真っ向からぶつかるような報道をしなくなっています。
 NHKの番組に対して、自民党がどのような関与をしていたかということが、問題になりましたけれども、これはマスコミの社会では常識的なことです。民放やNHKは時の権力に全く弱い。いまでも、その事業の許認可権を握られているからです。〈この項、続く〉
『ジャーナリズムの方法』(原剛コーディネート)より、早稲田大学出版、2006年11月
写真=the woman of rock,  Escapologist at en.wikipedia the Creative Commons Attribution 2.5 Generic license.
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