反対運動が「負けて」原発がつくられる

 いま、50基すべての原発が止まっていますが、原発が建設されてしまったところというのは、原発反対運動が負けてしまったところです。運動に勝ったところに原発はありません。これは、歴然とした事実です。 
 過去に、いろいろな原発の候補地がありました。昔は、通産省が何ヶ所ででも実地調査をして、その調査したところの自治体が誘致するという形をとりました。1960年代後半までは、地方議会が誘致するという形でした。

ビキニ環礁nuclear-weapons-test ところが、全部の自治体が原発の誘致には反対でした。 
 どうしてかというと、日本の場合は、被ばく体験があるからです。広島・長崎、あるいはマグロが大量に汚染されて大問題になりましたが、ビキニから清水港に帰港した遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が放射能で汚染されていたという体験です(1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」は多量の死の灰を浴びた。捕獲したマグロと乗組員23名全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは「原水爆による犠牲者は私で最後にしてほしい」との遺言を残して半年後に死亡した。この水爆で数百隻の漁船と2万人以上が被ばくしたといわれる)。  
 こういうことから、日本人には放射能に対する恐怖というものが身に染み入っているので、政府がどれだけ理屈で安全だといっても、どこか信用できない。どこか危険だという気持ちがあり、住民は、ずっと反対運動をやってきました。 

 もう一つは、漁協が、各地でがんばっているということです。つまり、原発からは温排水という、通常の海水温より7度C以上高い水、というかお湯が川のように海に流れ込んでいます。
 それで、ホンダワラなどの海草が枯れて魚の卵が付着するところがなくなる、海流が変わるといった、さまざまな被害が出ます。漁民は海に敏感ですので、全国どこでも漁協が反対運動をくり広げてきました。その運動はだいたい30年、例えば、青森県の東通(ひがしどおり)村では30年以上にわたり反対してきましたが、残念ながら潰されてしまいました。

 長期間にわたる攻撃、買収、その他あらゆることがあって、原発が一つずつ建設されていきました。 
 一方、新潟県の巻町、能登半島の先端の珠洲(すず)市、宮崎県の串間市、三重県の芦浜、和歌山県の日高と日置、高知県の窪川などは原発を拒否しましたので、原発はつくられずにきました。 

 ところが、例えば、今回爆発事故を起こした福島第一原発の隣は浪江町といいますが、ここには、東北電力の「浪江・小高原子力発電所」が予定されていて、40年前からずっと反対運動がありました。
 ここの農民の舛倉隆さんというひとが猛然と反対していました。その理由は、彼自身が原発で働いたことがあったからです。福島原発で働いたが、内部の状況があまりにも酷いことを知っていた。 
 そのころ、福島第一原発の周辺では、原発で働いたひと、出稼ぎで働いたひとたちの中に、ガンや白血病で亡くなるひとが多かったんですね。舛倉さんはそういう状況を知っていたので反対運動に立ち上がりました。 

 「原発関係者立ち入り禁止」という木の札を作って、近所の家全部に配ったり、とにかく、「俺たちは百姓で、向こうさんは騙(だま)すのが専門だから絶対会わない」ということを決めて、40年間ずっと阻止してきました。
 けれど、今回の爆発事故で浪江町全体が待避、全村民が故郷を失うという事態になってしまいました。
 こういうふうに、反対して地元に原発をつくらせなかったけれども、隣の町の原発が爆発して大被害を被り、故郷を喪失するということもありました。

鎌田慧・澤地久枝『ほうしゃせんきらきらきらいだよ』七つ森書館、2012年12月

写真=ビキニ環礁での核実験(1946)Public domain
関連記事

コメント


トラックバック

↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。