読者からのコメント 11/30

衣笠書林@猫の生活が第一さま
「民主主義ニッポン」の現状

安倍晋三の「美しい国」は民衆が、権利を捨てて国家、体制に服従する義務のみを負う「言挙げせぬ国」ということでしょう。
「日の丸・君が代」は服従心を自覚する為に拝跪させる偶像。救いがたい偶像崇拝の宗教だと思います。
一刻も早く権力悪を防ぐ為の陣地作りを!  



名前なしさま
数の横暴 もう許されぬ

特定秘密保護法を成立すると日中戦争が起こる
特定秘密保護法を成立すると第3次世界大戦が起こる

              南京錠, Public domain  
       
 
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辺野古 闘いは非暴力直接行動で

 アセス法違反の「事前調査」を阻止する「カヌー隊」が、訓練にむかっていった。
ロープで結ばれたカラフルな十数艇のカヌーが、沖合いに出ていくのを、わたしは、なにか頼もしいような、頼りないような矛盾した気持で、浜辺から見送っていた。リーフのむこうの波の荒い海で、調査を阻止するための訓練である。 

 調査船がくるとその前に立ち塞がってピケを張り、「違法行為はやめろ」と説得する。若者よりも、中高年以上が多い寄せ集め集団である。そのカヌー隊を中心に、プカプカ隊、飛び込み隊などが組織されて、1100日以上にわたって工事を阻止してきた。 
 10年前、名護市住民は、市民投票によって、「基地建設反対」を決定したが、政府に脅かされた比嘉鉄也市長(当時)と市議会がその決定を裏切ってきた。それへの怒りも、身体を投げだす抵抗闘争の背景になっている。 

 辺野古になんどかきて、いままでにない運動として驚かされたのは、沖縄内外からやってきた60~70代、あるいは20代男女の「隊員」が、救命具をつけているとはいえ、カヌーに乗って、海のなかで行動していることである。泳げないひともいる、という。
 作業員に海に突き落とされたり、やぐらの上から船べりに落下させられて負傷したひともいる。
 非暴力とはいえ、身体を張った直接行動をやりぬいてきた。 

 実力闘争はこれまでも、成田闘争などでもあったが、公務員や教員の退職者が常駐し、あとは出入り自由、これだけ長期に闘っているのは、めずらしい。沖縄のあかるい海とかつての膨大な死者が、この闘争の解放感とひろがりをつくりだしているのかもしれない。 

 「カヌー隊」の隊員たちは、言葉の暴力としての罵詈雑言を投げつけず、ていねいな言葉で対応するように指導されている。非暴力直接行動の精神である。 
 これにたいして、自衛隊が投入したのは、機雷敷設や回収にあたる軍事専門のダイバーたちである。海上保安庁の大型巡視艇やチャーターされた漁船、ゴムボート、ランチなどが大量に動員された。その大作戦に援護されながら海底に調査機器を敷設する。 
 どうせ、基地建設だから、自衛艦を派遣しても問題ない、と久間大臣は考えたかもしれない。

 が、この憲法無視の強権行使を追及しなかったなら、これから住民運動は、軍事国家のように軍隊に、蹴散らされることになる。
『沖縄 抵抗と希望の島』七つ森書館、2010年4月

写真=辺野古車庫, Photo by N, Public domain

お知らせ 「NO NUKES えひめ」

 

これから、原発再稼働の動きのある伊方、大飯、川内など全国各地で再稼働を止めるためのさまざまなイベントや抗議活動が行われます。
明日は、再稼働の一番手にされようとしている愛媛・伊方原発の再稼働を止める「1万人祭」が、松山で開催されます。くわしくは、http://www.ikata-tomeru.jp/no-nukes まで。

鎌田慧さんはじめ当ブログにかかわっている人たちも多く参加します。現地でも反対活動がおこわれます。
再稼働をさせないために、ひとりでもたくさんの国民・市民の参加が待たれます。(編集部)

特定秘密保護法案~数の横暴 もう許されぬ 11/29

 安倍晋三政権は今、国会での「数の力」で特定秘密保護法案を成立させようとしています。
 その数の力が今回の判決で事実上否定されました(28日、広島高裁で初めての参院選無効判決)。もう、横暴は許されません。 

 私は潜入取材や内部告発をもとにルポを書いてきました。期間工として潜り込んだ自動車工場の過酷な労働実態や、製鉄所の下請け差別に苦しむ労働者らがテーマでした。 
 1979年出版の「日本の兵器工場」では、兵器産業の現場を追いました。
 ある企業の秘密保全に関する内部文書を工場関係者から入手し、全文を収録。「兵器を扱う」との理由で、工場側が労働者のプライバシーにあたる交友関係や酒量などを調べていた実態も明らかにしました。 

 特定秘密保護法ができたとします。軍需工場や原発施設への潜入ルポに対し、国が「秘密を不正に入手しようとした」として捜査対象にする可能性が出てきます。法案はルポの手法を否定し、真実を覆い隠すものにほかなりません。「真実を暴けば摘発される」というムードが広がり、戦中のような「大本営発表」だけが流されるでしょう。
 市民の「知る権利」が制限されれば、取材者だけでなく社会全体が絶大な不利益を被ります。選挙制度改革もできない国会に、そんな危うい法案を成立させてはなりません。 (聞き手・佐藤達弥)
朝日新聞・大阪本社版、11月29日

写真=参議院議員会館にて,11月26日(編集部撮影)

「絶望工場」の日本列島化 

 わたしは70年代前半に、トヨタ自動車で出稼ぎの期間工として働き、『自動車絶望工場』(講談社文庫)というルポルタージュをまとめた。製造ラインに立って、秒単位で身体を動かし、部品を組み付けていく作業はきつく、多くの同僚が途中でやめていった。 

 「世界一の生産台数、世界一の利益」を誇るトヨタ自動車は、世界一ひと使いが激しい会社、というのが、『自動車絶望工場』を書いて以来の、わたしのトヨタ批判である。その支配力は、工場の塀を越え、「協力会社」や部品下請け会社まで貫き、それも末端に行くにしたがってさらにますます獰猛(どうもう)にあらわれる。 
 トヨタの奥田碩会長(現・相談役)が、日本経団連会長の時代に、国政選挙で小泉自民党を露骨なまでに応援していたことは、マスコミでも報道されていた。
 このとき、「労働者派遣法」の製造現場への解禁が実施されている。 

 労働者派遣法の制定が、戦前の「桂庵」「口入れ業」「人夫出し」「労働者供給業」を復活させ、まったくの無権利、使い捨て自由の労働者をつくりだした。常傭(じょうよう)から外され、日雇い、さらには時間給労働者にされてしまえば、働けど働けどその日の生活に追われ、生活不安定のまま歳をとっていく。 
 そんな社会にしていいのか、とわたしは訴えてきた。「絶望工場」の日本列島化なのだ。

 日雇い派遣で働くいまの若いひとたちがわたしの本を読むと、「好待遇」と感じるという。かれらは、登録している派遣企業から携帯電話にとどく求人の連絡を待っていて、明日は仕事があるか、つぎはどんな仕事だろう、と不安を感じながら職場を転々としている。
 期間工が大企業に直接雇用されて三ヵ月、六カ月と安定して働け、ボーナスや退職慰労金までもらえるなんて、うらやましい、という。 

 戦後、労働者がこれほど絶望的な気持ちを抱いた時代ははじめてのことだ。
 ところが、派遣労働者よりも、さらに苛酷な条件で酷使されている労働者群がいる。「研修・実習生」という名の外国人労働者である。 (つづく)

『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月


写真= Worker at carbon black plant, Sunray, Texas, taken by John Vachon,public domain

最近の新聞記事から 「さようなら原発」鎌田慧発言を中心に

11月27日付の「報告: さようなら原発1000万人署名提出行動 &秘密保護法衆議院強行採決」にはのせなかった鎌田慧さんの発言を掲載します。

 署名は昨年6月に一次分として提出した約751万人分とその後に集まった86万人分をあわせたもの。既存原発の廃炉や自然エネルギーへの転換を求める。 
 呼び掛け人の一人でルポライターの鎌田慧さんは、八百万人以上の署名が集まったこと  について「いかに原発が嫌だという声が強いかということを示している。労働組合や政党が集めたものではなく、市民を中心に全国の人たちが署名した」と話し、ひとり一人の思いがこもった署名の重みを強調した。(東京新聞・東京版朝刊第一面、11月27日)

日比谷野音3 
日比谷野外音楽堂での集会から(11/26)

以下は、やや前になりますが「さようなら原発! 栃木アクション11・10」の記事の抜粋です。
 
 脱原発や再生可能エネルギー推進などを訴える「さようなら原発! 栃木アクション11・10」が10日、宇都宮市本丸町の宇都宮城址公園を主会場に開かれ、同公園から大通りなどを経て、宮の橋までパレードした。参加者は主催者発表で約2200人に上った。
 県内で脱原発を訴える43団体で組織する実行委員会の主催で昨年に続き2回目。参加者らは、絵本作家いわむらかずおさんの14匹のネズミのイラストが描かれた風船などを掲げながら「原発反対!」「再稼働反対!」などと声を上げた。
 パレードに先立ち、同公園ではルポライター鎌田慧さんやいわむらさんのほか、福島県からの避難者によるリレートークも行った。
 鎌田さんは「日本の原発がすべて止まっているのは、私たちが続けている運動の影響が大きい。すべて廃炉にするまでが私たちの闘いだ。原発はなくても生活に不自由はない」などと力を込めた。 (下野新聞・朝刊 11月12日 )

鎌田慧☓落合恵子 対談「脱原発~原発で地域振興はウソだ」

鎌田 オイルショックの時はこれからは石油がなくなる。だから、原発にしますと産業界は言った。石炭から石油へ。石油から原発へ。でも、石油はあれから40年たったも、まだ枯渇していない。石油から原発へ。これは産業界の言い方でしてね。
 水力、天然ガス、自然エネルギー。いろんなものを組み合わせていけば電力は賄えるんですよ。それなのに、病院の電力が足りなくなったら患者が死亡するなんて、子供だまし的に今言うのは原発を造る時の電力不足の恐怖をアオったのとよく似ています。

落合 日本は従来、海外の反応を恥ずかしいくらい気にする民族です。ところが、今回は海外で子供がこんな危険な地域に置き去りにされているとか、国の放射能に対する政策は間違っているなどと、はっきり批判されているのに無視している。

鎌田 僕が本当に怒っているのはこれから節電していこうという機運に、国や電力会社が水を差したことです。今までムダな電気を使っていたが、少しの電力で済む生活に変えていこうと皆、決心し始めたわけですよ。
 ところが、そのやさき、再稼働して電気の心配をしなくてもいいから、どんどん使えと決心を鈍らせた。それをすごく怒っているわけですよ。

落合 みんな、節電を誓いましたものね。
 映画監督の若松孝二さんが「日本中が補助金という名のポン中(覚醒剤中毒)になっている」と言っていましたが、鎌田さんが原発が立地している地域をルポして感じたことは、どういうことですか。

鎌田 原発が立地するところは、本来は過疎化していたところです。政治的には問題を何も解決せず、ほったらかしにしておいて、(企業誘致が)喉から手が出るほど困っていたところに原発を持っていった。それで原発依存にしてしまったわけです。


参議院入口にて 
写真=左から落合恵子、佐高信、鎌田慧各氏、参議院入口にて(11月26日)

落合 そういう構造を作り上げたこと自体が問題です。

鎌田 海もあるし、山もある。畑も田んぼもある。それを重ね合わせて、先祖代々暮らしてきたわけですよ。原発がなかったら、いろんなことを考えることができたが、原発がやって来たために、自分たちの手で地域振興を図るとか考えない依存の状態にされた。

落合 拝金主義が生み出し、それに支配されてきた経済万能社会の罪ですよ。

鎌田 しかし、原発が来ても豊かにはならなかった。原発労働は孫請け、ひ孫請けですから、原発の中で働く人は、いろんなところを転々としているんですよ。だから、零細な仕事しか地元に落ちない。原発が来ると地域が発展する、と言ったのはウソで、カンフル注射のように、電源三法の交付金(注)を投入したからです。

(週刊アサヒ芸能 2012年8/16・23合併号)
(注)電源三法交付金=オイルショック後、電源の安定供給を図るため、原発などを建設した地域に交付されるようになった補助金制度のこと。フクシマ原発事故以前の交付金は800億を超えていた。自治体べつにみると、福島が130億で第一位だった。

報告: さようなら原発1000万人署名提出行動 &秘密保護法衆議院強行採決

 昨日の「とどけよう!脱原発の声を さようなら原発1000万人署名提出行動」は東京新聞、朝日新聞各紙の朝刊に掲載されました。

ウェールズからの視察院内集会 国会周辺は、秘密保護法案の衆議院特別委員会と衆議院本会議での強行採決がすすんでいたこともあり、騒然とした雰囲気のなかで、政府と衆参両院への署名提出行動は行われました。参加者は予想以上に多かったのですが、呼びかけていた新聞各紙は秘密保護法に記者が集中したのか、取材は少なめでした。
 そのあと、夕刻6時半からの日比谷野外音楽堂での集会は、昼のあたたかな陽気とはうって変わって底冷えのする夜半の集まりでしたが、会場の奥方、左手半分を全国から集まった数多くの団体が陣取り、入り口周辺はおもに小さな集団や個人が銘々散らばっていました。場合によっては、近い将来この国にふたたび悪夢のような時代が訪れるのではないかといった予兆と、真冬を感じさせる寒さにすこし慄えながら、誰しも精一杯に声をはりあげていたように思われます。そして壇上でリレートークに立った論者は、ビル風を直接膚にうけながら、いつも以上に熱のこもったスピーチでした。
 そのあと、数寄屋橋から銀座を抜け、東京駅の近く鍛冶橋までのパレード。賑やかな銀座周辺の夜を抜けるパレードに興味をもち、励ましてくれる通行人も見うけられ、心が温められると同時に、脱原発・秘密保護法への反対が、私たち多くの市民にとって自然で日常的な営みになるかどうかの分水嶺に差しかかっている、と感じました。

 朝日新聞は共同通信からの配信記事によるものでしたが、東京新聞は単独取材し、いくらか詳しい内容で第1面にとり上げていました。以下、引用します。

反原発署名、840万人分提出 大江健三郎氏「市民の声大きく」
鎌田・大江両氏  脱原発を訴える「『さようなら原発』1000万人署名市民の会」は26日約837万人分の署名を政府と衆参両院に提出した。
 提出後に記者会見した呼びかけ人の作家大江健三郎さんは、福島市で開かれた特定秘密保護法案の公聴会での「情報が出ていれば被ばくを避けられた」という公述人の発言を引用。「福島の大きい経験と秘密保護法の問題とが一緒になって私たちの現代の問題となっている。今日ここで私たちが署名簿をもってきたことは意味があった」と話した。
(ここまで、東京新聞11月27日朝刊から引用)

 他には、「さようなら原発」呼びかけ人の落合恵子さんの「福島の現実から目をそらし、秘密保護法案を通そうとする。そうした動きに反対と言い続けたい」という訴え(朝日新聞)、澤地久枝さんの「こんなに私たちが反対し、前途を憂えている法案をやすやすと通していいのか」「みんながどんなに福島の切り捨てをやった政府が許せないか。その福島で公聴会なるものを形式的にも整わずやったことに対し、怒りと絶望を感じる。法案がたとえ議会で形式的に決まっても認める気はありません」(東京新聞)と強行採決への強い批判をした、といった内容が紙面にとりあげられました。

 どの会場でも鎌田さんが語り、上記の呼びかけ人はじめ多くの論者のスピーチに共通するのは、福島と秘密保護法は重なり合い、つながっているという視点です。原子力村をつくり、甘い汁をすすってきた政官財大メディアにとって、放射能汚染を隠蔽することと、秘密保護法で行政側がじぶんたちにとって不都合なことを国民に一切知られないようにすることは、同じカテゴリーに属します。一般国民を犠牲にして、じぶんたちの権益を守ろうというわけですから。
 さらに「さようなら原発」のような市民による自発的な運動が2年半前から広がり、その熱気は冷めるどころか定着してきて、原発の再稼働を抑えるという重要な役目を果たしています。こうした動きも、政権にとっては邪魔なので何とか押さえたいようです。そこで、安全保障・公益・秩序などあいまいな表現によって、どんなことでも秘密指定条項にいれることを可能にし、知ろうとした者すら刑罰に処し、弾圧を図るというものです。
 ここには、もはや「政治」はありません。さまざまな異なる立場や利害をもった国民が、知識や情報を共有し、そのうえで社会の未来や公益を考慮しながら、可能な限り議論をたたかわせ、ひとりでも多くの有権者が納得のいく妥協を図っていく。これが近代国家の根本となる政治の在り方です。
夜のパレード 今回の秘密保護法案は、近代国家であることの自己否定だといえます。近代国家の鬼子ともいうべきファシズム国家への転落です。ドイツやイタリアでは、ナチズム・ファシズムへの反省と点検が言論や教育、文学や音楽その他の芸術活動を通じて粘りづよく行われ、復活の気配が出てくると、多くの市民がすぐに立ち上がって身を挺し、反対してきました。日本はそれを曖昧にしてきたことのつけが、現在でてきているのだともいえるでしょう。
 民主主義は与えられるものではなく、みずから日々声をあげ、権力そのものや権力による暴力を監視するなかで、はじめて積み上げられていきます。

 大江健三郎・鎌田慧・澤地久枝各氏は、こうも壇上で語りました。「秘密保護法案がきょう衆議院を通るかもしれない。しかし、これははじまりだ。参議院もあり、かりにそれを通ったとしても国民の声でこの法案を廃案にすればいいのだ、その闘いのはじまりなのだ」。この不屈の精神が、私たちの社会に広がっていくとき、21世紀のあたらしい民主主義社会は出現するはずです。(編集部・藤崎)

写真=編集部撮影

「民主主義ニッポン」の現状

 以前安倍首相が唱え、忘れられてしまった「美しい国」というスローガンを最近になって思いだすことが多くなった。あの言葉は、銭湯の正面に飾られていた、富士山のペンキ絵のような安手で、壁の汚れ隠しのようなしらじらとした、うそ寒い一幅の絵だった。 
 あたかも現実の矛盾を言葉で隠蔽(いんぺい)しようとした彼の底意が、きわめて意図的に、『文藝春秋』や同社の新書版(ベストセラーになった)によって、ひろく流布されていた。 

 あの甲高い声の小泉元首相が、いつも傍らにいた小太りの御用経済学者と一緒になって強行した、「生きるも死ぬるも自己責任」「貧乏人は死ね政治」のあとを継いだ安倍は、自殺者多発、死屍累々(ししるいるい)の荒野を、「美しい国」のペンキ絵で塗りつぶすつもりだった。 
 しかし、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍には、「自民党をぶっ壊す」と絶叫する大衆欺瞞によって権力を握った、小泉ほどには演技力がなかった。小泉よりもさらに単純な安倍は、「日の丸、君が代、愛国心」の三点セットをもちだせば、政権を維持できると踏んだようだ。 

 が、使いまわした「日本美」のスローガンで人心をとらえるには、すでに現実は修復不能なまでにぶっ壊されていた。壊された25歳の青年が、自暴自棄の怒りを秋葉原の路上で暴発させ、安倍のあとを継いでいた福田康夫政権を直撃した。 
 17人もの死傷者を発生させた事件のあと、福田首相(当時)と舛添要一厚労大臣が、「労働者派遣法」の見直しを口走ったのは、この事件の背景に派遣法の悪意がわだかまっているのを感じとっていたからだ。 
 わたしは、事件と派遣法の関係の深さについて、共同通信に「格差社会への警告」とコメントをだし、『東京新聞』(「自殺か殺人か――派遣労働者の絶望」2008年6月12日)や『朝日新聞』(「正社員化で「絶望」緩和せよ」2008年8月3日)などで主張したのだが、それへの批判もでてきた。あれは家庭教育の問題だとか、本人の甘えとかわがままとか、個人の責任にひっぱりこもうとする勢力は根強い。「なんでも社会が悪いからだ、といういい方だ」というお定まりの合唱である。 

 K容疑者がもしも派遣の現場で働いていなかったならば、すくなくともあの悲惨な事件は起こらなかった、と断言できる。「雇用問題や格差社会の被害者」にしてしまえば、今回の事件はきわめてわかりやすい物語になる、という重松清の意見に依拠して、読売新聞の文化部記者も書いていた(『読売新聞』2008年7月21日)。それもまた、「自己責任論」のパターンでしかない。
 政府が政治的な課題にせざるをえない、とようやく判断したときに、「事件の原因はそれだけではない、よくわからない」とマスコミが不可知論で水を差す。罪が深い。 

 ついでにいえば、短命に終わった福田政権のあと、ついに「ミスター格差社会」というべき、麻生太郎が首相になった。自民党はいまだ高を括っているのだ。小泉三代目、安倍三代目、福田二代目、麻生三代目、と自民党がつぎつぎに繰りだす首相は、世襲政治家だけである。
 安倍が日米安保条約を強化した岸信介首相の孫なら、麻生は米国追随の元祖である吉田茂首相の孫、と日本の政治はいまだ戦後以来の対米従属に呪縛されている。 

 とりわけ麻生家は、日本人ばかりか、中国・朝鮮人坑夫、オーストラリア人捕虜の膏血(こうけつ)を絞ることによって栄華を恣(ほしいまま)にし、大久保利通、吉田茂、鈴木善幸、三笠宮寛仁などとの華麗な閨閥を形成してきた。 
 おそらく自民党最後の首相が、10万平方メートルの邸宅に住み、絵に描いたような格差社会の頂点に立っている男になったことが、転形期にさしかかった「民主主義ニッポン」の悲惨な現状をよくあらわしている。 
 「創氏改名」は朝鮮人の要望と発言したり、「被差別部落出身だから、野中広務は絶対総理にしない」といって野中を激怒させたり、その傲慢なエリート意識は、苦しんでいるものの傷口に塩を塗る冷酷に通じている。

『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月

写真=秋葉原通り魔事件、2008年6月8日、手前のトラックに乗ってK容疑者は人ごみに突っ込んだ。taken by carpkazu, Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license.

《海外からのメッセージ》さようなら原発 署名提出行動11/26

フランスからのメッセージ

 私達、フランス在住日本人有志は、「さようなら原発1000万人署名」に発足当初から協力し、フランスで集めた署名をお送りしてきました。昨年7月大飯原発が再稼動した時、危機感を共有した事が契機となって、「よそものネット」を立ち上げるに至りました。
 今では、スイス、イタリア、オランダ、ドイツ、イギリス、ベルギー、アメリカなど世界各地の邦人脱原発グループや有志ともつながり、情報の共有や問題提起、ネット署名の拡散や連携したアクションを行っています。 

 フランスでは、福島原発事故による海洋汚染や小泉元首相の「原発即ゼロ」発言について比較的よく報道されており、国民は日本の状況に注目しています。フランスでの脱原発集会で、私たちが「日本では今年の9月以降、原発が一基も稼働していない、それでも国民生活は支障なく営まれている」と言うと、フランス人の多くが驚きます。58基もの原発を抱え、電力の75%を原子力に頼るフランスでは、日本における稼働原発ゼロの実績こそ、脱原発に向けた大きな説得力となることでしょう。
 稼働原発ゼロの状況は、再稼動を許すまいと、日夜活躍されている市民によって支えられています。

 ところが今まさに、安倍自民党政府は、主権在民と市民の知る権利を踏みにじり、戦前に逆行するような「特定秘密保護法案」を衆議院で採決しようとしています。民主主義に反するこの法案が施行されたら、原発問題についても真実は闇に葬られ、市民活動の自由も阻まれる危険が大きくなります。このメッセージが読まれるのが、たとえこの悪法案が可決された後だったとしても、私達はこれからもあらゆる機会をつくり、日本の脱原発運動を支援していく覚悟です。
 1000万筆達成はあと一息です。皆でたずさえあって署名運動を続け、市民の声を絶やさずに広めていきましょう。
よそものネット・フランス一同
http://yosomononet.blog.fc2.com/


ドイツからのメッセージ

 どんなに遠く離れていても、私たちの活動の原点は日本の運動です。
 日本の運動があってはじめて国外に住む日本人も勇気をもらっているのです。そしてくじけずに頑張って欲しいと云う思いが、また遠く離れた故郷へとエールを発信し続ける活動の原動力になります。

 今年の東京に合わせた3月9日のベルリンでの脱原発デモと、6月2日はベルリンで大きな環境フェスティバルに参加し、日本人ばかりでなくベルリン市民からも署名を集め、さようなら原発の事務所に送付する事ができました。環境フェスティバルでは、一般客にまじり自転車デモに参加されていた緑の党のシュトレーベレ連邦議員も署名してくださいました。
 2年を経て、未だ収束を見せないフクシマの現状には、ここドイツにおいても関心の高さを感じない日はありません。

 みなさんのひたむきな努力と希望が積もり積もった850万筆もの署名に期待を寄せつつ、ベルリンでもこの行方を見守っています。原発のない社会を目指して、共に声をあげて頑張りましょう。

橋本勝の風刺マンガ 「原発の嘘は国民の命と暮らしを破滅に導く」

原発の嘘 
原発の嘘は国民の命と暮らしを破滅に導く

有名デパートや高級料理店、レストランの偽表示の
問題が続出して大きな問題になっている
嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘だらけの日本………
だが、国民の命と暮らしをおびやかす
最大、最悪の嘘こそ
原発に他ならない
東京電力福島第1原発の事故は
原発が長年つき続けてきた嘘を暴露せずにおかなかった
事故は原発の安全神話を崩壊させ
環境の放射能汚染は地域一帯を人の住めないところにした
原発がクリーンなんて、とんでもない嘘であった
事故から2年以上たちながらいまだに10数万人の人が
避難生活を強いられ、収束のみこみはたたない
核のゴミの処理、廃炉の費用、被害の賠償金は莫大なものとなるであろう
原発は安い、はまったくの嘘であったのである
こんな嘘だらけでなりたっている
原発は日本から即刻ゼロにするしかない。

本音のコラム 13/11/26 「フリーのため息」

 わたしが駄々をこねていると、思いあまった母親は「憲兵が来るよ」といって脅かした。戦争中のことである。
 いまなら「お巡りさんが来るよ」というのだろうが、民主警察の現在、これで泣きやむ子どもはいない。 

 なぜ、母親が憲兵隊を引き合いにだしたかはわからない。庶民にとって「泣く子も黙る」恐怖の存在だったからであろう。
 まだ、天下の悪法「特定秘密保護法案」に無関心なひとたちがいるのは、戦後68年、戦時中のことなど知らない世代がふえたからだ。 

 しかし、副総理の麻生さんが、祖父の吉田茂元首相が米国との和平工作に加担した疑いで、憲兵隊に逮捕、投獄された事実を知らないはずはない。
 安倍首相の祖父岸信介氏は、戦争中、満州国の最高幹部のひとりであり、東条内閣の閣僚だったから、憲兵隊に守られるほうだった。 
 だから、孫の安倍さんは「秘密漏えい」を理由に取り締まられる恐怖など想像することもない。あの振り払うような物言いを耳にすると、自分に都合のいい意見だけを聞き、意見の違う人たちから学ぶなどとは縁がなかった、と考えたりする。 

 「秘密」が幅をきかせ、報道に厳罰が加えられる時代になれば、わたしのようなフリーライターはお手上げだ。「正当な取材」の官製情報を書いているのでは、フリーライターの存在理由はない。
(東京新聞、11月26日)

お知らせ 「とどけよう!脱原発の声を」 

とどけよう!脱原発の声を 
さようなら原発1000万人署名提出行動


本日14:30から、参議院議員会館B109にて院内集会。
夕刻18:30より、日比谷野外音楽堂で署名提出の結果を報告する集会が開かれます。

衆議院で「特定秘密保護法案」の採決も行われることが懸念されていますが、
政権がつぎつぎに繰り出してくる、法の制定や原発再稼働といった国民に敵対する動きに対して、わたしたちはいま声を上げるほかありません。
未来の子供たちが、安心して笑顔で生きることのできる社会を築くために、立ち上がりましょう。 そして、被災から二年半が過ぎ、ますます放射能汚染が進み、窮状に陥っているフクシマの人たちとわたしたち市民・国民がつながっていることをはっきりと示しましょう。
今日は衆議院の採決次第では、国会周辺の混乱が予想されますが、署名の提出および二つの集会は決行されます。 是非ご参加ください。

参議院議員会館には、地下鉄国会議事堂駅からもいけますが、永田町駅からがもっとも短い距離になります。
入り口で「さようなら原発」の集会に参加すると告げ、入館証を受け取ってから、中に入ってください。
14:00から入館できます。
日比谷公園の紅葉
日比谷野外音楽堂は、地下鉄霞が関駅、内幸町、日比谷駅のいずれからも行けます。日比谷公園の南西、日比谷公会堂、日比谷図書文化館の並びです。
結果の報告集会は18:30からはじまり、19:30よりパレードになります。コースは数寄屋橋を抜け、鍛冶橋まで。

発言者は、以下の通りです。 
    司会:木内みどりさん(女優)
    署名提出の報告:鎌田慧さん(ルポライター・呼びかけ人)
    福島からの訴え:千葉親子さん(脱原発福島県民会議)
    リレートーク:大江健三郎さん(作家・呼びかけ人)
           落合恵子さん(作家・呼びかけ人)
           澤地久枝さん(作家・呼びかけ人)
           佐高信さん(評論家・賛同人)
           辛淑玉さん(人材育成コンサルタント,賛同人)
    署名をされた方からのメッセージ:林洋子さん(女優,クラムボンの会主宰)


写真=日比谷公園の黄葉(11月20日)編集部撮影

「種を蒔く人」、雪の秋田から

種まく人 1850  新幹線秋田駅から20分ほど。土崎港の商業施設での「さようなら原発集会」に出かけたのは、「種蒔く人」に関心があったからだ。 

 翌朝、ホテルにラジオ局に勤めている年少の友人が迎えに来て、図書館前に建っている顕彰碑の前に立つことができた。横なぐりの雪が、雑誌をかたどった碑面にたたきつけていた。 
 「種蒔く人」第1号の表紙は、岩波文庫でよく知られているミレーの農夫の絵を模したもので、「自分は農夫のなかの農夫だ」「自分の綱領は労働である」というミレーの言葉を刻んでいる。 

 土崎出身のフランス文学者・小牧近江が、おなじ小学校出身の小説家である金子洋文や今野賢三などと発刊した、反戦と労働運動の雑誌「種蒔く人」は、日本のプロレタリア文学運動の一頁を飾っている。
 大杉栄や荒畑寒村などの「近代思想」とほぼおなじ、1910~20年代の文学運動だが、いわば東北のちいさな港町の出身者たちが、地元ではじめた文化運動として意昧が大きい。 

 土崎港の空漠たるヤードに積まれた、貨物船に載せるコンテナのうえに、雪が降りしきっていた。いよいよ北東北に本格的な冬がやってきた。 
 前夜の集会で、原発のない秋田県でも、雪にめげず「さようなら原発1000万人署名」運動に取り組んでほしい、と訴えたのは、脱原発運動はいまや全国民的運動になったからだ。
『怒りのいまを刻む』七つ森書館、2013年3月

画像=ジャン・フランソワ=ミレー「種まく人」1850年,ボストン美術館所蔵

「原発」の存在はフィクション ~ ほうしゃせんきらきらきらいだよ

 この狭い日本列島に、まして地震の巣のようなところに54基も原発をつくったのはどうしてか?

 アメリカには104基の原発があり、数が日本の倍ですが、アメリヵの国土の面積は日本の25倍です。つまり、日本は、アメリカの25分の一のところに、その半分の原発をつくってしまった。
 まして、地震大国にです。 
 北海道から東京まで飛行機で飛んでくると、両側の海が見えます。日本海側と太平洋側、その両側に日本の原発の約半分があります。これは「白河以北、一山百文」と明治政府にバカにされていた地域です。
 福島県の白河、会津藩は白虎隊で有名なように、明治政府に徹底的に弾圧された地域です。新潟も含めて奥羽越列藩同盟という地域ですが、その白河以北に新潟県、石川県、福井県も含めた地域に、全国の8割以上の原発が集中しているという状況です。 

 東京電力は関東一円をカバーしていますが、その管内には原発が1基もありません。あるのは、福島の10基、新潟7基、そして青森県に建設しようとしている1基です。どうしてそういう遠隔地に建設しているかといえば、それは、大間原発の許可条件にあったように、人口密度の低いところでないと原発をつくれない、建設を許可しないからです。
 つまり、危険だからです。危険だから都会にはつくらない、
 これは歴然とした差別です。 

 能登半島の先端にある珠洲市の場合、最初は電力会社や政府が懇談会とか講演会という形で、原発賛成派の学者やジャーナリストを、膨大な講演料を払って派遣して、原発は安全だとか電力が必要だ、などと宣伝しました。
 ある高名な原子力学者は講演会で、「原子力がないと日本の人口の四分の一が死んでしまう」といったそうです。そこで、1人の女性が、「死んでしまうのは都会の人間ですか、田舎の人間ですか?」と訊いた。
 そうしたら、その学者は、「都会の人間です」と答えたそうです。 
 要するに、電力がないと困るのは都会の人間で、その都会の人間が生活するために危険な原発を田舎でつくる――明確な差別ですね。都会の人間が死なないために発電所をつくるといいますが、原子力がなくても、誰も死んでいませんね。

 
写真=山口県上関町長島の上関原子力発電所計画地と祝島,Photo by Brackworry, public domain

 むしろ、原発のせいで死んでいるほうが多いんです。いま現在、54基の原発が全基止まっていても、誰も死んでいない。電気は煌々とついているし、何の不自由もない。フィクションだったんですね、原発がなければ人間は生きていけないというのは。 


 1970年代のオイルショックのときに、あと30年経ったら石油がなくなるという一大キャンペーンがはられ、それで、猛然と原発のほうにシフトしていきました。日本のエネルギー政策は、戦後の石炭から石油に代わって、石油から原子力へと、どんどん形を変えてきたんですね。そして、原子力も終わりに近づきました。 
 日本政府は、あと40年間は原子力政策を続けるといっていますが、とんでもない。とにかく、再び事故が起きる前に止めなくてはいけない。これが、私たちの運動です。

澤地久枝・鎌田慧編著『ほうしゃせん きらきら きらいだよ』七つ森書館、2012年12月

ベルリンからの手紙

はじめまして、こんにちは。
私はドイツのベルリンで脱原発運動をしているヘルド比呂子と申します。
長針真奈美さんからアドレスをいただき、メールをしております。

実は夏頃でしょうか、鎌田さんの主催されるウェブサイトにベルリンからと云うことで、メッセージを入れたことがあります。鎌田さんのブログを勇気づけられる思いで拝見させていただきました。

ベルリンでは、今年の3月9日より遅ればせながら脱原発集会を行い、この地域にある様々な団体と親睦を深めながら、ベルリンに在住する日本人に情報を提供する活動をしております。

ウェブサイト http://sayonara-nukes-berlin.org/

日本の脱原発運動に期待を寄せると共に、故郷のみなさんへのエールを送り続けたい方針で、遠く離れたこの土地で何ができるのか、若手のメンバーが中心となって試行錯誤しております。現在は、来年の3月のデモ活動について話し合いをしているところです。

「横浜事件」にみる報道の弾圧 

11月22日付「取材とは何か」の続きになります。

 権力と報道というのは常に向かい合ってきた。弾圧されてきた歴史だったというのが、日本のジャーナリズムの歴史です。ジャーナリストになろうという人は、そのような権力によってつぶされてきた先輩の苦渋の歴史を担って書いていくのだという意識を、きちんとしておいてほしいと思うのです。 

 たとえば、「横浜事件」というのがあります。日本軍の真珠湾攻撃のあと、富山県の旅館で、経済学者とジャーナリストが、出版記念のささやかな宴会を開いたことが、共産党の再建会議だとされました。
 このころはもう共産党は弾圧されてしまっていましたから、再建する会議だというように特高(特別山口同等警察)にでっち上げられました。『中央公論』や『改造』といった当時の進歩的な雑誌の編集者などが投獄されまして、雑誌はつぶされ、拷問で獄中で殺された編集者もいます。
 
 
ヒトラーとの会談に臨む松岡洋右外相,1941年3月、著作権満了

 それは、治安維持法という罪で投獄されたのですが、一つは、戦後すぐにこの治安維持法はなくなっているはずなのに、戦後に判決がだされている。もう一つは、取調べに拷問があったという。この事実をきちんとさせていなかったというので、もう一回裁判をやろうという、なんと六十数年経ってから裁判が始まるということになりました。
 これが、横浜事件です。それによって、ようやく、特高と治安警察が拷問によって罪をでつち上げていたことが裁判で認められました。

 人権を守るジャーナリズム 新聞記者や雑誌記者たちは、軍部が発表するとおり戦争を鼓吹する、煽る記事をずっと書いていました。
 これを戦後になって、それぞれの新聞社が反省しまして、もう二度と戦争には協力しないという、それは憲法の精神でもありますけれども、そのような形で戦後のジャーナリズムが始まりました。 

 しかし、敗戦があっても、権力というのは常に存在し続けているわけです。だんだん日本は、もう一度大国というか、強国というか、明治のような富国強兵政策のような形になってきています。
 最近、ジャーナリズムに対する攻撃というのは、ますます激しくなってきているのです。 

 「国益」という言葉が、もう一度復活してきています。ジャーナリズムでの「国益」という問題が、ジャーナリズムの一つの落とし穴になっているのです。つまり、昔は非国民という言葉があったのですけれども、国の利益とは何かという問題、それにたいする抵抗を抜きにして、ジャーナリズムは成立しない、とわたしは考えています。
 国の利益とは何か。国益、国権と対立するのは、人権というように考えるとわかりやすいのです。人権を守るのか、国権を守るのかという、このような対立になったときに、やはりジャーナリズムは人権に依拠しなければいけない。人権を守るほうに行く。国益や国権を損じても、人権を守る。それがジャーナリストの姿勢、方向だろうと考えています。 

 本来は、それは新聞社・テレビ局の労働組合を、そこを一つの結集軸というか、集まる一つの精神の拠りどころにすべきなのです。
 もう二度と戦争には協力しない、国権・国益よりも人権だという意識を、ひとりひとりが自分の中で打ち立てる必要があるのですけれども、そこまでに至っていないと思います。
 個人の尊厳の問題なのです。そのようなことを言うのは、少しでもジャーナリストの精神というか、なぜ自分が報道するのかという原点に立って、これから仕事をしてほしいと思うから、あえて言うのです。
『ジャーナリズムの方法』(原剛コーディネート)より、早稲田大学出版、2006年11月

読者からのコメント 11/23 秘密保護法。小泉発言etc.

シジフォスさま
「すでに秘密保護法下にあるようなNHKと公務員労組」

昨日の秘密保護法反対集会には参加したかったが、足の不調で断念。しかし、やっと大きな関心が生まれてきたし、メディアの前線にいる記者やデスクの姿勢も変わってきた。bigliobeのニュース画面でも、時事の「『情報隠し』反対1万人=秘密保護法案『希代の悪法』;撤回求め集会・東京」をとりあげ、見出しから雰囲気が違う。
なお讀賣のwebには朝5時段階で報道自体が見当たらない(産経はあった)。
また、維新やみんなの「修正」(?)でさらに悪法となっていることを、東京新聞はきちんと指摘している。ちなみに時事の………
http://53317837.at.webry.info/201311/article_20.html


衣笠書林@猫の生活が第一さま
「原発は無限に被曝者を生む」

東電が事実をもみ消し、メディアから司法まですべて被害者の訴えを否認し隠蔽する。明治以来ずっとこの支配集団の共謀の構造が。
秘密保護法は支配集団の権力悪を内部告発する人が出て来るのをを防ぐのが目的。
権力悪の構造を民衆が共有することが大切だと思います。


drt さま

今回の小泉「原発ゼロ」発言はかなりマトモな内容で、発言内容だけで言えば、 原発反対派から見ても文句を付ける個所が殆ど見当たらない。
 安倍総理の原発再稼働姿勢にも、「核のゴミが出る」と言って批判的であり、 今週の週刊現代などの詳報によれば、最終処分場の問題だけでなく、 中間貯蔵プールの不足にまで言及している様子。
 こういった状況の中で自民党政権が再稼働を進めるのは、 小泉元総理が言うように正に「無責任」であり、現役時代を彷彿とさせる言葉の力に驚かされる。
 とはいえ、原発反対派から見れば、小泉政権は原発推進側だったのも事実で、 政権時代の原発推進の反省と、将来的な脱原発ではなく「即時ゼロ」、 を要求しつつ、今回の発言は評価する、という事で良いと思う。
 小泉元総理の恩師の加藤寛の遺作も「日本再生最終勧告 ‐原発即時ゼロで未来を拓く」だ。

お知らせ ♪11/27  チャリティ・コンサート「福島を想い奏でる夕べ」♪

いよいよ来週。プロのチェリストの方や、フルート&ギターユニットの方も参加!
ゼロノミクマのピアノ&ダンスも。
福島からの避難ママプロジェクト、子どもたちの保養プロジェクトを支援します。

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チャリティ・コンサート「福島を想い奏でる夕べ」は、音楽を通じてつながり、福島を想い、社会を変える力に結びつけるコンサート。
音楽には人の心を動かし、勇気づけ。つなげる力があります。
一人が、仲間と、多くの人と、動きだすことで、何かを変える。...
今を、未来をつくるのは、わたしたち自身です。
一緒に聴き、感じ、歌いましょう!

【日時】 2013年11月27日(水) 19:00~(18:30開 場・21:00終演予定)
【場所】 カトリック世田谷教会・集会室
【料金】 投げ銭方式(お帰りの際にお好きな額をお支払いください)
【詳細・お申込み】 http://miraishiminchorus.jimdo.com/

【出演(予定)】
えもみも(ピアノ連弾)
COLORED RAIN(フルート、ギター、パーカッションのユニット)
河合 弘之(弁護士)
ゼロノミクマ(クマ)
寺田晶子(指導・指揮)
二瓶和子(スノードロップ/福島市から練馬へ避難)
野瀬正彦(チェリスト)
未来市民合唱団
    ほか(50音順)

【こんなふうにつながっていきます!】
だれでも参加歓迎!お友達をお誘いください。
福島および周辺からの避難者の方は無料でご招待。
収益は、二瓶和子さんの「スノードロップ」の活動および、「福島ぽかぽかプロジェクト」に寄付。
弁護士の河合弘之氏がゼロノミクマの伴奏で飯館村の歌を歌います。
コンサートの最後には、出演者・未来市民合唱団のメンバーと共に、「花は咲く」やふるさとを一緒に歌います。明日に向かって心をひとつにしましょう!

【主催・問合せ】
未来市民合唱団 080-5173-0136(吉田)090-3528-8539(秋山)
【練習から参加のメンバー・出演者も大募集!】
11月24日(日) 17:00~19:00 @カトリック世田谷教会
           直前練習&打合せ
当日は(できれば)18時に集合

★詳細・最新情報は、FBページもごらんください。
    https://www.facebook.com/miraishiminchorus
イベントページ:https://www.facebook.com/events/567163843331577/

原発は無限に被曝者を生む

 
被曝量までウソ

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所」で、核分裂反応が連続する臨界事故が発生した。 
 青い閃光が走った、という。 

 この事故で2人の労働者が放射能被曝で死亡した。 
 被曝したのは従業員だけではない。この事故による被曝者を、国は周辺住民も含めて667人と認定した。ただ住民らの健康被害については、「急性の身体的な影響はなく、発ガンなどの長期的な影響も検出されない」と、国の健康管理検討委員会は結論づけた。 

 ところが大阪府松原市の阪南中央病院が独自に220人を調査した結果、国の調査より高い線量が検出されたことがわかった。その値は最大で181ミリシーベルト、50ミリシーベルトを上回る人も5人いた。
 181ミリシーベルトとなれば、福島原発の事故前の作業員の被曝線量上限である、100ミリシーベルトを上回っている。 
 検査した医師は朝日新聞の取材に「国の調査は被曝を意図的に過小評価している。心的外傷後ストレス障害(PTSD)なども含め、住民らは明確な被害者だ」(02年9月2日)と答えている。実際に原因不明の健康被害に悩む地域住民がいるのだ。 

 そもそも、これだけの人数の被曝者を出したのは、国や地方自治体が住民への避難指示を出さなかったからだ。施設から350メートルの住民に避難の指示がでたのは、事故が起こってから約4時間半後。半径10キロ以内の住民に、自主的な屋内待避を求めたのも、事故後12時間を経過してからだった。 
 しかも、この事故から10年目の09年5月、被曝による健康被害を受けたとしてJCOを訴えた夫婦に、東京高裁は、「被曝により悪化したという高度の蓋然性はない」と、下痢や口内炎などの身体不調はもちろん、PTSDまで一切を認めなかった。 
 その4ヵ月後の10年5月には、最高裁が上告を棄却して判決が確定した。 
 住民への避難指示の遅れ、被曝量の測定の操作、健康被害を認めない裁判など、福島原発の事故でも繰り返される可能性は高い。この国家の姿勢は許せない。

 このJCO事故で大量被曝した労働者の大内久さんは、99年暮れに、ついに多臓器不全で死亡した。この報道を子細に読むと、大内さんは苦痛を和らげるために鎮静剤で意識をもうろうとさせられていたことがわかる。熱で傷をうけた皮膚からは大量に体液が流れだし、そのために輸血や輸液、さらに弱った心臓の機能を維持するための処置をつづけながら、かろうじて生命を維持していた。 
 そして、ついに被曝から83日目、12月21日に死亡した。 

 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の治療にあたった医師など、各国の医師を集めた医師団による世界的規模の治療は、事故のほとぼりがさめるまで、大内さんの死の瞬間をただ先延ばしにしていたようなものだった。しかもそれは被曝者の治療の実験場でもあった。(注) 

 45年のヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、54年の第五福竜丸事件と、核兵器のおそろしさを日本人はイヤというほど味わった。
 そのあとに「平和利用」といわれて登場した原発だが、ついに日本の原発でも死亡事故が「公式」に発生、さらに04年8月、福井県美浜原発3号炉の復水管が破断、熱蒸気噴出で5名死亡、6名重大傷、そしてフクシマですでに2名死亡、3名重傷、これからの被曝労働者はどれほどになるか、まったく不明である。

 もちろん原発関連の死者は、大内さんがはじめてではない。慢性被曝によって、これまでも原子炉の定期点検に従事した下請け労働者が大量に被曝し、その因果関係を明確にできないまま死亡している。 
 おそらく、これからフクシマでは、多くの被曝労働者が、労働災害認定の訴えを起こすことになるだろう。
『原発暴走列島』ASTRA,2011年5月

写真= 日本原子力研究開発機構の大洗研究開発センターにある「常陽」Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
(注)……大内さんの治療にかんしては、以下のアドレスを参照してください。
   http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-649.html

取材とは何か

権力とどう向かい合うか 

 いまは、ジャーナリズムとマスコミが同じにされていますけれど、それはもちろん違うわけでして、マスコミ人という形でなくて、ジャーナリストであってほしい。
 ジャーナリストとは何かといいますと、権力と自分とがどう向かい合うかという、その緊張感が前提です。マスコミになってしまうと、結局、より多く商品として売るというような形になっていまして、最大公約数的な意見になりがちなのです。 

 いまの社会に不満がない人、あるいは矛盾を感じていない人は、ジャーナリストになる必要はないということです。いまの社会でよいという人は、別にジャーナリストになる必要はない。いまの社会に対して、何かいいたい、何かをしたい、いまの状況を変えたいという人こそ、ジャーナリストになってほしい、その一言に尽きるのです。 

 ジャーナリストの精神とは、改革でもいいし、変革でもいいし、まあ革命でもいいのですけれども、とにかくいまの社会を自分のペンの力によって変えたいという精神です。


報道を規制されるジャーナリズム


 ジャーナリズムというのは、明治の時代から弾圧されつづけてきました。
 明治の自由民権運動のなかから、政論新聞があらわれたのですけれども、もう一方では権力側というか、県令(県知事)のほうから新聞をつくれという、この二つの対立する方向から新聞の歴史がはじまっています。
 その自由民権運動の新聞は、「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」などによって、弾圧されつづけています。 

 最近では、個人情報保護法、あるいは人権という言葉を使って人権保護法とし、たしかに人権保護法は必要なのですが、そのなかにジャーナリストの規制を入れています。
 常に権力側は報道を規制しようとしているのですが、報道側は次第に鈍感になっています。最近は「共謀罪」など、政治権力はより完成した権力たらんとします。 
 明治時代に、陸羯南(くがかつなん)というジャーナリストがいまして、これは『反骨のジャーナリスト』(岩波新書)という本に書いているのですけれども、彼が発行していた『国民新聞』は、23回の発禁、発行停止の処分を受けています。 

 いまのマスコミは、発行停止をされると、何千人という従業員の賃金を払えなくなってしまうので、えてして権力と真っ向からぶつかるような報道をしなくなっています。
 NHKの番組に対して、自民党がどのような関与をしていたかということが、問題になりましたけれども、これはマスコミの社会では常識的なことです。民放やNHKは時の権力に全く弱い。いまでも、その事業の許認可権を握られているからです。〈この項、続く〉
『ジャーナリズムの方法』(原剛コーディネート)より、早稲田大学出版、2006年11月
写真=the woman of rock,  Escapologist at en.wikipedia the Creative Commons Attribution 2.5 Generic license.

「格差社会」は「差別社会」

 絶望的な若者の状況を、「ワーキングプア」、「格差社会」などの言葉でいってしまいがちである。が、「ワーキングプア」といういい方は、どこか差別的、自嘲的であり、「格差社会」は「差別社会」の婉曲話法である。 
 それぞれが、個人が落ちこんだ不幸のように考えられている。いままでもよくあった、社会の流れにうまく乗れなかったり、流れから外れてしまったりした、挫折のストーリーとして受けとめられているが、貧困は政策的につくりだされてきたものである。 

 1995年5月に発表された、日経連(現・日本経団連)の「新時代の「日本的経営」」が、終身雇用と年功序列型賃金を破壊する宣言として、よく引きあいにだされる。このとき、戦後50年目にして、日本経済を米国型市場原理主義に身を任せることにしたのだが、その前年、55年体制として自民党と対立(裏では協調)していた社会党は、自民党と連立政権(村山富市内閣)を組んで、それまで依拠してきた少数派労働運動や反原発などの市民運動家たちを切り捨てた。 
 労働者保護を標榜していた「日本的経営」の二大項目である、終身雇用と年功序列型賃金は捨てられたが、もうひとつの柱である「企業内組合」は、そのまま温存され、希望退職、出向、配転など、企業の「減量経営」に協力させられた。 

 すでに民間大企業を中心にした労働運動は、第二労務部、企業防衛のための組織になり果てていた。もともと企業内組合は本工中心だったが、「総評」を解体して形成された「連合」は、非正規労働者の運命についてはまったく無関心な、特権クラブと化していた。
 「新時代の「日本的経営」」は、「長期蓄積能力活用型」としてのエリート社員を企業の中核に据え、その下に専門職の「高度専門能力活用型」と取り替え自由の「雇用柔軟型」の社員を組み敷き、三つの階層に分断する、という露骨な政策だった。 
 このための「柔軟雇用」、あるいは「多様な雇用」を成立させるには、労働者を労働市場に放出し、それを好きなときに、好きな量だけ、雇用期間も勝手に自由自在に調達する条件が必要となる。その労働ビッグバンを成立させる法律が、1985年に成立した「労働者派遣法」だった。

 絶望的な若者の状況を、「ワーキングプア」、「格差社会」などの言葉でいってしまいがちである。が、「ワーキングプア」といういい方は、どこか差別的、自嘲的であり、「格差社会」は「差別社会」の婉曲話法である。 
 それぞれが、個人が落ちこんだ不幸のように考えられている。いままでもよくあった、社会の流れにうまく乗れなかったり、流れから外れてしまったりした、挫折のストーリーとして受けとめられているが、貧困は政策的につくりだされてきたものである。 

 1995年5月に発表された、日経連(現・日本経団連)の「新時代の「日本的経営」」が、終身雇用と年功序列型賃金を破壊する宣言として、よく引きあいにだされる。
 このとき、戦後50年目にして、日本経済を米国型市場原理主義に身を任せることにしたのだが、その前年、55年体制として自民党と対立(裏では協調)していた社会党は、自民党と連立政権(村山富市内閣)を組んで、それまで依拠してきた少数派労働運動や反原発などの市民運動家たちを切り捨てた。 
 労働者保護を標榜していた「日本的経営」の二大項目である、終身雇用と年功序列型賃金は捨てられたが、もうひとつの柱である「企業内組合」は、そのまま温存され、希望退職、出向、配転など、企業の「減量経営」に協力させられた。 

 すでに民間大企業を中心にした労働運動は、第二労務部、企業防衛のための組織になり果てていた。もともと企業内組合は本工中心だったが、「総評」を解体して形成された「連合」は、非正規労働者の運命についてはまったく無関心な、特権クラブと化していた。
 「新時代の「日本的経営」」は、「長期蓄積能力活用型」としてのエリート社員を企業の中核に据え、その下に専門職の「高度専門能力活用型」と取り替え自由の「雇用柔軟型」の社員を組み敷き、三つの階層に分断する、という露骨な政策だった。 
 このための「柔軟雇用」、あるいは「多様な雇用」を成立させるには、労働者を労働市場に放出し、それを好きなときに、好きな量だけ、雇用期間も勝手に自由自在に調達する条件が必要となる。その労働ビッグバンを成立させる法律が、1985年に成立した「労働者派遣法」だった。
『いま、逆攻のとき 使い捨て社会を越える』大月書店、2009年5月
写真=メキシコのブドウ労働者、photo taken by Tomas Castelazo, GNU Free Documentation License

市場原理主義がもたらすもの

 1980年10月16日、北炭夕張新鉱事故で事故死した93人のひとり、下請けの労働者の家では、女の子が産まれたばかりだった。 
 病院から帰ったばかりの若い母親に話を聞いた。あの子がもう26歳になった。取材に通っていただけのわたしでさえ、いま、さまざまな記憶が蘇っている。 

 多くのひとたちが、夕張を去った。そのひとたちにとって、この期間は長かったのか短かったのか。閉山後も、わたしはなんどか夕張に通った。あの「ふんどしのように」と形容されていたひょろ長い町並みを歩いていると、いつも名状しがたい悲痛な思いにとらわれていた。 
 町を歩いているときの悲哀は、事故で亡くなったひとたちへの想いばかりではない。事故を繰り返しては滅びていく、炭鉱の運命の拙さへの憤りもふくまれているようだ。
 
 
写真=池島のアパート,Photo by Jordy Theiller, クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植ライセンス

 あの事故のあと、三井三池有明鉱(福岡県)、三菱南大夕張炭鉱と大事故がつづいた。わたしはそれぞれの取材にでかけ、それぞれの閉山を見た。その前後にも、三井砂川と三井芦別の閉山があった。そして、長崎市の郊外、外海町の海のむこうにある、やや奇怪な島の形をした「松島池島」鉱が閉山になった。坑内火災事故が引き金になったのだ。 
 北炭夕張新鉱の大事故は、限度以上のコスト削減は事故をまねく、との悲しい例証だった。しかし、それは63年の三井三池三川鉱の458人の大事故、その2年後、三井山野(237人)の事故によって、すでにあきらかなものだった。 

 坑内労働は危険労働だが、安全対策によって辛うじて成りたっている。存在そのものが危険な原発とのちがいは明らかだが、放射性物質をあつかう原発や加工工場でさえ、コストと安全性の折り合いは悪い。
 東海村JCOの悲惨さにそれがあらわれた。会社を存続させるためのコスト削減が、事故を起こして会社の破綻をまねくのは、パラドックス(逆説)である。[東海村JCO事故=1999年9月30日、JCO(住友金属鉱山子会社)の核燃料加工施設内で、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応がおき、その状態が約20時間持続した事故。被爆者667名、死者も数名出た]

 たしかに石炭は海外との価格差は三倍といわれ、競争はむずかしい。「松島池島」があったころまで、炭鉱は政府から年間40億円の補助金を受け、電力業界が石炭を引き取って存続していた。松島池島閉山のあとは、日本の炭鉱は太平洋炭鉱一社だけである。 
 石炭産業の崩壊は、60年代の「石炭から石油へのエネルギー政策転換」と「スクラップ・アンド・ビルド」によるものだったのは、記憶に生々しい。 
 北炭夕張新鉱の爆発事故は、通産省(現、経産省)が育成したビルド鉱が国際競争に敗れた瞬間だったともいえる。その後のビルド鉱の潰走(かいそう)は、時間の問題だった。 

 ポスト石油としての原発も斜陽の影が深い。大農育成の農政の失敗もあきらかである。
 単一、大規模の追求は時代に逆行する。さまざまな産業をよりあわせた国に安定性がある。石炭もその一環だった。 
 国内炭の生産をどれだけ未来にむすびつけるかが問われている。すべてを国際競争力だけで判断し、切り捨てる「市場原理主義」はこの国の将来をやせ細ったものにする。 
 北炭事故からはじまったこの間の反省とは、すべての産業を死に至るまで国際競争に投げ込み、淘汰(とうた)の激浪にさらすのではなく、残すべき産業はキチンと保護する、ということだ。農業はまさしくそうだ。
『いま、連帯をもとめて』大月書店2007年6月

「経済競争に負けるな」という思想に負けた日本人

11月16日付「平等主義の崩壊を促すあらゆる力に抗するために」の続きになります。

(――私たちは言論にたいする権力側の圧力が高まっている現在の事態にどう対処すべきか。 
 一つは、NHKが公的機関として機能するよう要求を出したり、監視したりする運動をおこすことでしょうね。不払運動もはじまっています。 
 もう一つは、ミニコミもふくめ、あらゆる媒体で、右派ジャーナリズムと対決することです。黙認していてはいけない。すでに言論戦がはじまっています。むこうは露骨に攻撃を仕掛けているわけですから。)     
――日本の戦中、戦後の責任問題がメディアであつかわれなくなっているのと同様、教育現場でも平和教育の機会が奪われていますね。 

 東京で問題になっている「日の丸・君が代」の強制など、かつてはとても考えられなかったことが平然とおこなわれています。石原は「東京革命」を掲げ、その一環として東京に日の丸を打ち立て完全に学校を制圧するつもりです。
 ところがメディアをはじめ、石原への反撃はとても弱い。抵抗は、いまや一部の教師だけになっています。それではまずい。 
 いま、憲法の問題などで「憲法九条を守れ」と大きくスローガンを掲げたりするけれど、それだけでは足りない。それぞれ教育の場なり、ジャーナリズムの場なり、労働や生活の場できちんと抵抗していく。その行動が九条の持っている平和主義を押し立てていくことになると私は思います。

――鎌田さんは、日本社会が、戦後60年を経て、ここに至ってしまった原因はなんだと思われますか? 

 結局、「経済競争に負けるな」という思想に負けたということでしょう。
 労働運動についていえば、労働者としてどう生きるのかといった根本的なことを突き詰めないで、賃上げ闘争が中心になっていた。
 マスコミの場合、テレビは視聴率競争、新聞・雑誌は部数競争が目的化していた。自分の労働を見つめない。つくる物と自分の関係を見てこなかったということですね。 
 教員も、文部省からの攻撃にたいして闘うとき、自分たちがどういう教育をしていくか、教師としてどう生きていくのかという姿勢がベースになかった。その間隙をつかれ、「人材確保法」で高い賃金が確保され、さらに意識が希薄になった。 

 経済的なモチベーションに支配されてしまって、結局、精神を問わなかったのが大きいと思います。 
 高度成長、バブルを過ぎ、いまそれがはっきりしてきた。構築してきたものは空洞だった。抽象的な話になってしまいますが、運動を担う者は、一人ひとり、どう生きていくのか、自分の生活と精神を問い直していく、その作業が必要なんだと思います。
『やさしさの共和国』花伝社,2006年9月

写真=世界経済フォーラム会場(スイス・ダボス)クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 2.0 一般ライセンス

反対運動が「負けて」原発がつくられる

 いま、50基すべての原発が止まっていますが、原発が建設されてしまったところというのは、原発反対運動が負けてしまったところです。運動に勝ったところに原発はありません。これは、歴然とした事実です。 
 過去に、いろいろな原発の候補地がありました。昔は、通産省が何ヶ所ででも実地調査をして、その調査したところの自治体が誘致するという形をとりました。1960年代後半までは、地方議会が誘致するという形でした。

ビキニ環礁nuclear-weapons-test ところが、全部の自治体が原発の誘致には反対でした。 
 どうしてかというと、日本の場合は、被ばく体験があるからです。広島・長崎、あるいはマグロが大量に汚染されて大問題になりましたが、ビキニから清水港に帰港した遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が放射能で汚染されていたという体験です(1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」は多量の死の灰を浴びた。捕獲したマグロと乗組員23名全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは「原水爆による犠牲者は私で最後にしてほしい」との遺言を残して半年後に死亡した。この水爆で数百隻の漁船と2万人以上が被ばくしたといわれる)。  
 こういうことから、日本人には放射能に対する恐怖というものが身に染み入っているので、政府がどれだけ理屈で安全だといっても、どこか信用できない。どこか危険だという気持ちがあり、住民は、ずっと反対運動をやってきました。 

 もう一つは、漁協が、各地でがんばっているということです。つまり、原発からは温排水という、通常の海水温より7度C以上高い水、というかお湯が川のように海に流れ込んでいます。
 それで、ホンダワラなどの海草が枯れて魚の卵が付着するところがなくなる、海流が変わるといった、さまざまな被害が出ます。漁民は海に敏感ですので、全国どこでも漁協が反対運動をくり広げてきました。その運動はだいたい30年、例えば、青森県の東通(ひがしどおり)村では30年以上にわたり反対してきましたが、残念ながら潰されてしまいました。

 長期間にわたる攻撃、買収、その他あらゆることがあって、原発が一つずつ建設されていきました。 
 一方、新潟県の巻町、能登半島の先端の珠洲(すず)市、宮崎県の串間市、三重県の芦浜、和歌山県の日高と日置、高知県の窪川などは原発を拒否しましたので、原発はつくられずにきました。 

 ところが、例えば、今回爆発事故を起こした福島第一原発の隣は浪江町といいますが、ここには、東北電力の「浪江・小高原子力発電所」が予定されていて、40年前からずっと反対運動がありました。
 ここの農民の舛倉隆さんというひとが猛然と反対していました。その理由は、彼自身が原発で働いたことがあったからです。福島原発で働いたが、内部の状況があまりにも酷いことを知っていた。 
 そのころ、福島第一原発の周辺では、原発で働いたひと、出稼ぎで働いたひとたちの中に、ガンや白血病で亡くなるひとが多かったんですね。舛倉さんはそういう状況を知っていたので反対運動に立ち上がりました。 

 「原発関係者立ち入り禁止」という木の札を作って、近所の家全部に配ったり、とにかく、「俺たちは百姓で、向こうさんは騙(だま)すのが専門だから絶対会わない」ということを決めて、40年間ずっと阻止してきました。
 けれど、今回の爆発事故で浪江町全体が待避、全村民が故郷を失うという事態になってしまいました。
 こういうふうに、反対して地元に原発をつくらせなかったけれども、隣の町の原発が爆発して大被害を被り、故郷を喪失するということもありました。

鎌田慧・澤地久枝『ほうしゃせんきらきらきらいだよ』七つ森書館、2012年12月

写真=ビキニ環礁での核実験(1946)Public domain

本音のコラム 13/11/19 「自民党の皆さんへ」


自民党員のみなさんへ 

 突然、お便りしたいと思いましたのは、いま問題の秘密保護法案について、個人としてどうお考えなのか、率直に伺ってみたかったからです。
 法案の頭に「特定」がついていますので、世間では、国の防衛、外交などあまり生活に関係のない、ごく狭い領域のこと考えられています。
 ところが、実際は想像以上に範囲の広い「秘密」が「保護」の名目で取り締まられるようで、わたし自身、戦前の息苦しい社会を体験していないものでさえ、自由主義者であっても逮捕、投獄された時代をひきだしてはいけない、と思うのです。
 
 わたしなどがいうまでもなく、自民党は、自由と民主主義を標榜(ひょうぼう)する政党でして、今月15日にめでたく58周年を迎えました。その「立党宣言」に「個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす」を謳(うた)い、「故に、専制と階級主義に反対する」とあります。
 今回の法案が、個人の自由と人格の尊厳を危うくする、とお考えになりませんか。専制と階級主義を強める強権的なものと思われませんか。

 宣言には、「民生の安定と自主独立の権威の回復」もまたたからかに盛り込まれています。自民党59年目の出発が、この美しい理想を捨て、秘密が横行し、米国の愚かな「集団的防衛」戦争へ従属させられ、専制と隷属、圧迫と偏狭の社会を目指すものになりませんか。
(東京新聞 11月19日)

読者からのコメント 11/19 (小泉・脱原発発言)

N・Oさま
「小泉氏の脱原発発言批判について」

 小泉氏の脱原発発言に対する批判的コメントが気になったので、書かせていただきます。現在の私たちが取り組まなければならないのは、まず脱原発の実現のはずです。それも一日でも早く、安全なプロセスによって廃炉を実現することが、どうしても必要です。

 過去の核をめぐる小泉氏の姿勢がアメリカ追従で、1991年の湾岸戦争におけるイラク軍への劣化ウラン弾の使用およびその継続を認めてきた以上、脱原発をいう資格はない、したがって小泉氏に与するべきではないという見方ですが、脱原発運動にとって最大の課題がそうした姿勢をいかに乗り越えるか、ということではないでしょうか。

 この日本で、未来の世代につつがなく生きることのできる自然や環境を引き渡していくためには、原発を廃止しないわけにはいきません。それは地震大国の日本では災害を防ぐ究極的な手段がないということがもっとも重要な理由ですが、コントロールすることが不可能というのは、もちろん世界共通です。核や放射能は、人類が決してコントロールできるものではありません。

 だから日本で脱原発を実現することは、広島・長崎・フクシマとつづく核による惨禍を経験した日本人全体が世界中の脱原発、さらには核兵器の廃絶につながる人間の文明における絶対的な正義なのです。

 原発を廃止すること、これが何よりも優先すべき目標である以上、ともにテーブルに着くことはなくても、それを唱える相手に対しては評価すべきなのです。足の引っ張り合いをするならば、脱原発という目的は達成できません。小泉氏の過去を知っている以上、一緒に手を取り合うことはなくても、一定の評価はすべきです。たとえば、大江さんや鎌田さんが細川元首相とは同じテーブルに着くことはあるかもしれませんが、小泉氏とはそれはないでしょう。そのことは、このブログを読んできて確信をもって言えます。

 60年安保、70年の全共闘運動のような、闘うべき敵ではなく同じ目標をもつ味方のはずの存在に対してはげしい憎悪を向けたセクショナリズムを超え、2011年のアラブの春以降の個人があつまって自由に声をあげ主張し、そして個人・団体が平等な立場で参加できるような民主主義的な潮流をいま作っていかなければならないはずです。

「さようなら原発」に期待する最大の理由は、それを実現できる運動だ、と思えるからです。


写真=さようなら原発亀戸大集会,左から鎌田慧,大江健三郎,落合恵子各氏 2013年9月13日(編集部撮影)

増子義久「宮沢賢治没後80年―余話3」(寄稿)

初音ミク  「初音ミク」という“歌手”が全世界を席巻しているのだという。音声合成システムを利用したバ-チャル歌手のことで、「電子の歌姫」と呼ばれているらしいが「そんな歌手は知らない」と言ったら、若者からバカにされた。そのミクさんが今度は賢治とコラボレ-ションしたと聞いて、二度びっくりした。

 作曲家でシンセサイザ-奏者の富田勲さん(81)が作曲した「イ-ハト-ヴ交響曲」の中で二人は共演した。この曲は賢治作品の「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」などをモチ-フにした全7楽章の大作。昨年の東京での初演に続き、今年夏には賢治のふるさと・花巻でも披露された。「イ-ハト-ブ」という銀河宇宙を自在に飛翔する賢治の四次元世界をバックに歌い踊るバ-チャル歌手のミクさん…。この絶妙なコンビに思わずうなってしまった。

 冨田さんは公演に先立ち「実はこの作品の着想は昭和15年に映画化された『風の又三郎』がきっかけだった」と語った。コラボの妙と着想の時間軸の長さにまたびっくりした。「風の又三郎」は1931(昭和6)年直後に書かれた先駆形を下敷きにした作品で、没後1年の1934(昭和9)年に発表された。

 満州事変勃発(昭和6年)、「満州国」建国宣言(同7年)、日中全面戦争へ突入(同12年)…。賢治がこの作品の構想を練っていた前後、一方で日本は軍国主義への道を突き進みつつあった。そしてその後、昭和14年には劇団「東童」による築地小劇場での上演が実現し、太平洋戦争が始まる前年の翌15年に映画化(島耕二監督、日活)された。なぜ、この時期だったのか―。

 「どっどど どどうど どどうど どどう どっどど どどうど どどうど どどう 甘いリンゴも 吹き飛ばせ…」―。有名な挿入歌で知られる「風の又三郎」の中に「専売局」の役人が登場する場面がある。葉タバコのヤミ栽培を摘発にきた役人で、子どもたちの遊び場である清流をバシャバシャと汚して歩きまわる。みんなは意を決して異議申し立てをする。

 ♯「あんまり川を濁すなよ、いつでも先生(せんせ)、云ふでなぃか」。鼻の尖(とが)った人は、すぱすぱと、煙草(たばこ)を吸ふときのような口つきで云ひました。「この水呑(の)むのか、ここらでは」。「あんまり川をにごすなよ、いつでも先生云ふでなぃか」。「鼻の尖った人は、少し困ったやうにして、また云ひました」「川をあるいてわるいのか」♯

 映画化された昭和15年はちょうど私の生年に当たる。作品の舞台となった花巻市内の豊沢川は子ども時代の格好の遊び場だった。プ-ル代わりに泳ぎまわり、箱メガネを使って魚を追った。そこは子どもたちにとってはまさに神聖侵すべからざる「聖域」でもあった。そこに現れたのが「鼻の尖った」―異邦人だった。私はいまでもこの映画を時々、見ることがある。その度にこの場面に目が吸い寄せられる。そしてふと、こんな思いにとらわれる。

 賢治は侵してはならない領域を土足で踏みにじることの罪深さを「風の又三郎」とその仲間たちに語らせたのではなかったのか。この作品をベ-スにした映画はひょっとして、究極の「反戦映画」ではなかったのか。そして時空を超えたいま、富田さんは「満州国」建国の対極に位置する、賢治の理想郷―「イ-ハト-ブ」建国の夢をこの交響曲に託したのではなかったのか―と。

 宮沢賢治イ-ハト-ブ館で今月16日に開かれた、賢治没後80年の記念イベント「賢治の世界セミナ-」でジャズピアニストとしても知られる黒田京子さんの「コンサ-ト&朗読会」が催された。公募で集まった即製劇団の子どもたち約20人が「あんまり川を濁すなよ…」と舞台いっぱいに群読の声を響かせた。幼い頃に遊んだ川辺の光景がふ~っと目の前によみがえった。

 「イ-ハト-ヴ交響曲」は今年の第23回宮沢賢治賞を受賞、富田さんはその副賞百万円を花巻市に寄贈した。同市ではこの基金を利用して、今年度中に市内の宮沢賢治童話村に「風の又三郎」のモニュメントを建立し、交響曲の構成曲を時報的に流すことを計画している。 

著者=増子義久。鎌田慧の友人。元朝日新聞記者、花巻市議会議員。
主な著書
『賢治の時代』(岩波書店、同時代ライブラリー)1997年
『東京湾の死んだ日』 この中には漁師の声がいっぱい詰まっている。おまえには、ペンがあるだろう」。今はなき漁業組合長から託された二十数冊の手書きメモ。そこに記されていたのは……。静かな寒村に突然現れたマンモス企業、〈化け物〉と呼ばれた巨大タンカーの正体、高騰する土地に群がるブローカーと権力者、漁民を狂わせた補償金ブーム、小さな喫茶店にまで飛び交う札束――歴史の闇に眠っていた克明な記録をもとに、衝撃の東京湾開発史が暴かれる。 鎌田慧氏推薦!! 山本周五郎の海はこうして略奪された。

絵=初音ミク、増子氏提供

記者萎縮、民主主義の危機 (「特定秘密保護法案に言いたい」)

 原子力発電所では今や、正門の写真を撮影しようとしただけで、警備員が飛んでくるのが実態だ。原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」との目的が追加され、電力会社は実際には「軍事産業」とさえ言える。
 テロ対策を理由に出入りする車は車内を厳重にチェックされ、今でさえ原発内部の様子は分からない。
 東京電力福島第1原発事故でもあったように、実態を知るため身分を隠して潜入するのは正当な取材行為だと思う。

 だが、期間工として内部で見てきた過酷な労働実態を著した「自動車絶望工場」(1973年)に対しては、民間企業なのに、著名な評論家から取材法が「フェアでない」と批判された。
 91年には長崎県の雲仙・普賢岳の噴火取材で警戒区域に許可を得ずに立ち入り、書類送検された(起訴猶予)。だが、被災地の状況を伝えることはジャーナリズムの義務だ。
 「日本の兵器工場」(79年)では、正式に申し込んで取材したが、兵器工場では戦闘機、戦車、機関銃などの撮影も可能で、当時はそれなりに取材できた。しかし、当時でも数年後は困難になると感じた。

 実際、本格的なルポは90年代初めが最後だ。軍事産業の実態はますます分からなくなっている。
 特定秘密保護法案では人を欺いたり、施設に侵入したりして秘密を入手すると10年以下の懲役になる。正当な取材かどうかを判断するのは政府だ。規制して記者が萎縮したら、ジャーナリズムが支える民主主義は危うくなる。 
 
毎日新聞 2013年11月16日 東京朝刊 臺記者によるインタビュー記事

写真=雲仙・普賢岳、photo taken by Chris73 Wikimedia Commons

読者からのコメント 11/17

衣笠書林@猫の生活が第一さま
「平等主義の崩壊を促すあらゆる力に抗するために」 

リベラル派の脱原発は体制変革を目ざすが、小泉の脱原発は体制延命のためでしょう。
体制延命の道は脱原発でも、もの言えぬ国家主義社会になると思います。
幕末も討幕派も佐幕派も「尊王攘夷」と同じことを言っていました。

小泉・安倍の国家主義・新自由主義路線に対して民衆は小沢・鳩山の「国民の生活が第一」に期待。しかし支配集団はそれを潰すため司法やメディアを動員、維新の会を作り、民主党のクーデターを実現。その事実を民衆が共有することが必要でしょう。1人でも多くに拡散を!

檜原転石さま
「イラクのヒバクシャへの責任」
 小泉には国内で原発推進して今の惨状を作った責任、今の惨状も含め、原発を継続して使い捨てヒバクシャを作った責任、加えてヒバクシャ関連では、テロ国家アメリカのイラク侵略を熱狂支持した戦争犯罪の数ある犯罪の一つとしての、イラクにばらまかれた大量の劣化ウラン弾による莫大な数のヒバクシャへの責任もある。それらへの謝罪も反省もない小泉の脱原発発言を手放しで喜び、脱原発運動の側に招き入れて、運動側には何も失うものはないと言い切れるのか?
「運動の成功」とは何なのだろう?日本人の命は大切だからという理由で、日本の原発はとめるが、それ以外は関係ないから、原発の輸出は許容しちゃうのか?
イラクへの謝罪も反省もないとはいうことは、そういう厚顔無恥さえ内包しているということ。ヒバクシャを騙して使い捨てて初めて成立しうる核産業、それへの闘いである反原発運動の原理?原則を、加害者としての謝罪反省もなく経済効率のみで脱原発を訴える小泉に騙されて原理・原則をうっちゃった脱原発運動は本来の目的さえ失う可能性さえあるということ。
政治屋の嘘に慣れっこになっている私たちが、またしても小泉にだまされて、運動を崩壊させる危険さえあることに無頓着であっていいはずもない。軽佻な発言はいつの時でも控えていた方が賢明なのである。

写真=ブッシュ前大統領と小泉元首相、エアフォースワン機上にて、2006年6月30日 Public domain
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