おしらせ 「秘密保護法に反対する緊急集会」

いうまでもなく、秘密保護法は重要な問題です。
海渡さんは、脱原発基本法にも中心となって動いている弁護士の一人です。
皆さんのご参加を呼びかけます。

秘密保護法緊急集会
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公文書が明らかにした米国従属と管理強化の推進

 鳩山由紀夫元首相が、普天間飛行場の移設について「最低でも県外」と明言したことが懐かしい。鳩山元首相は実行力がまったくないまま、世論の批判を受けて沈没した。
 しかし彼は、日米安保を「駐留なき安保」に変え、「東アジア共同体」を掲げて、米国従属から少しでも離脱しようという姿勢をしめしていた。これがあたかも虎の尾を踏んだように、米国の批判にさらされたのだった。
 
 それを証明する公電が、ウィキリークスの公開した米外交文書からみつかった。ソウルを訪問したキャンベル米国務次官補は、韓国の大統領府で金星煥(キムソンファン)外交安保主席補佐官と会談。その内容を要約したものに、こんな記載があったという。
 「両者(キャンベル、金)は、民主党と自民党は『全く異なる』という認識で一致。北朝鮮との交渉で民主党が米韓と協調する重要性も確認した。また、金氏が北朝鮮が『複数のチャンネル』で民主党と接触していることは明らか、と説明。キャンベル氏は、岡田克也外相と菅直人財務相と直接、話し合うことの重要性を指摘した」(『東京新聞』2011年1月20日)
 
 問題は、この文章の交わされた時期が、鳩山政権下だったことだ。鳩山ののち、菅か岡田を首相にしたいという米国の要望がここにあらわれている。この文章が送られた2ヶ月後、ワシントンポストは鳩山を「ルーピー」(現実離れした愚か者)と酷評して政権に打撃を加えた。
 また、東京新聞によれば、このころ渡部恒三元衆院副議長が講演で次のように語ったという。
 『普天間問題を解決できずに鳩山君が責任を取ったら、おそらく菅直人くんが(首相に)なるでしょう』と発言」。

 菅のライバルだった小沢一郎幹事長(当時)は、嫌疑不十分で不起訴とした東京地検特捜部の検事から検察審査会が意見を聞くなど、金銭疑惑の対応に追われ、代表なるにチャンスをつぶしかけていた。
 つまり米側の菅支持、鳩山・小沢嫌いの影響が確かにあったわけである。もちろん小沢が米政権の期待を裏切って首相になったとしても、どれだけ日米安保と辺野古移設反対で頑張れたかはわからない。しかし、これまでも噂されてきたように、首相になる人間は宗主国・米国の信任を得ないといけないという伝説が証明される結果となった。

 菅首相になってからは、普天間飛行場の辺野古移転を後押しし、日米共同統合演習を実施、思いやり予算の名称を「ホスト・ネーション・サポート(HNS)」に変更、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加も表明した。さらに原発の輸出や世論の反対でつぶれた武器輸出など、米政権と財界の操り人形のようになっている。

 ところが米依存のお粗末な政策を裏切るかのように、米国は中国に急速に接近した。1月19日、胡錦濤国家主席(当時)が訪米し、米中首脳会談がひらかれた。これは大げさにいえば、世界第2位の経済大国となった中国が世界第1位の大統領と、世界経済を牛耳ろうとする会談となった。
 中国側の要求を受けて、胡錦濤があわられる場には赤絨毯を敷き、国賓並みの待遇となった。ホワイトハウスでは21発の礼砲や国歌演奏をするなど最大限の待遇を整え、中国の関心をかった。

「鎌田慧の現代を斬る」より 2011年1月

写真=握手をする鳩山元首相とキャンベル国務次官補、うしろはヒラリー国務長官(2010年5月21日)、State Department Photo / Public Domain 

「空港と農民」

 「成田国際空港株式会社」は2006年7月、寸足らずのB滑走路の南側への延伸計画を廃案にし、北側に転進する「施設変更許可申請」を国土交通省に提出した。
 「運輸省」時代の国土交通省がやっていた事業で、「空港会社」の社長は運輸省高官の天下りだから、申請者と許可者がおなじ八百長。2か月後に許可された。

 40年も前の7月に「喫緊の国家事業」といって閣議決定、強制収用をともなう建設工事が強行され、40年間も「喫緊」の事態がつづけられてきていた。それでも完成せず、いまにいたって変更など、迷走計画である。 

ブラジルで広がる有機農場 日々騒音を浴びせられ、「毎日が強制収用」と歯をくいしばりながら、ここでお百姓たちが畑を耕し、野菜を作付けし、家畜を飼って生活しているのは、長年丹精をこめてつくりあげた有機土壌が、なにものにも代えがたいからだ。 
 そのひとりである、小泉英政さん(57)は「有機栽培」からさらに「循環農法」にすすんでいる。おなじ無農薬でも、鶏ふんなどさえつかわない、自然農法である。枯れ葉や雑草を米ぬかで発酵させた堆肥でつくった野菜たちは、みごとに美しい。 
 わたしたちは、ミミズがつくりだした、ほこほこした土くれを手ですくい、カーブのなかでワインのにおいをかぎ分けるようにして、堆肥のあいだをまわっていた。土は森のにおいがした。
東京新聞「本音のコラム」 2007年6月27日

写真=ブラジルで広がる有機農場、photo by Elza Fiuza/ABr, the Creative Commons Attribution 3.0 Brazil license.

おしらせ 「ピースボート 30周年記念イベント」

11月9日、福岡で、三池と水俣の集会に参加、それから
横浜のピースボート30年の記念パーテイ会場に駆けつけます。(鎌田慧)


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        ピースボート 
    30周年記念イベント&大同航会・パーティー
      地球をまわる、未来をつくる
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 ○第一部 トークイベント
  時 間 2013年11月9日 13:30~17:00(開場13:00)
  場 所 関内ホール http://kannaihall.jp/
      (神奈川県横浜市/JR関内駅徒歩約6分)
  参加費 1,500円(小学生以下無料)

  ・・・当日プログラムはこちら!
 <国際社会から学ぼう>

 セッション1:地球社会はどこに行くのか
 ◆手塚眞/ビジュアリスト
 ◆田中優/環境活動家
 ■聞き手:高山瑤子/ピースボート地球大学コーディネーター

 セッション2:戦争のない世界へ
 ◆高橋哲哉/哲学者
 ◆ラミ・ナセルディン/パレスチナ
 ◆ヤスナ・バスティッチ/旧ユーゴ
 ■聞き手:野平晋作/ピースボート共同代表、歴史認識担当

 セッション3:世界を身近にとらえるために
 ◆池田香代子/作家・翻訳家
 ◆ヘザー・バウザー/米国枯れ葉剤被害者二世
 ◆石川文洋/報道写真家

 セッション4:平和で豊かな東アジアの未来〜Peace & Green Boat 報告
 ◆環境財団(かんきょうざいだん)
 ◆吉岡達也/ピースボート共同代表
 ■聞き手: 田村美和子 ピース&グリーンボート(第82回クルーズ)ディレクター


 <災害支援から核のない世界へ>

 セッション1:“人こそが人を支援できる”-東日本大震災と災害ボランティア-
 ◆萬代好伸 /宮城県石巻市
 ■聞き手:山本隆/一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター代表理事

 セッション2:フクシマから世界へ-3.11を越えて-
 ◆井戸川克隆/福島県双葉町前町長
 ◆佐藤健太/一般社団法人ふくしま会議理事
 ■聞き手: 篠原啓/ピースボートクルーズ企画部コーディネーター

 セッション3:核のない未来のために
 ◆天野文子/広島被爆者
 ◆池田昭/長崎被爆者
 ■聞き手: 川崎哲/ ピースボート共同代表


 <もっと豊かで平和な未来へ>

 セッション1:多様な社会は、優しい社会
 ◆宮台真司/社会学者
 ■聞き手:恩田夏絵/ピースボートグローバルスクールコーディネーター
       小野寺愛/ピースボート子どもの家コーディネーター

 セッション2:地球目線でデザインする未来
 ◆竹村真一/京都造形大学教授、Earth Literacy Program代表

 セッション3:そして、ピースボートの未来へ-発表!サステイナブルな「地球一周の船旅」構想-
 ◆飯田哲也 /NPO法人環境エネルギー政策研究所所長
 ◆吉岡達也 /ピースボート共同代表

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 ○第二部 大同航会・パーティー
  時 間 17:30~18:30(同航会)
      18:30~20:30(パーティー)
  場 所 パシフィコ横浜・アネックスホール
      http://www.pacifico.co.jp/
      (神奈川県横浜市/みなとみらい駅徒歩約3分)
  参加費 9,000円(小学生以下4,500円)※立食形式/フリードリンク

  ピースボートでお馴染みの水先案内人やクルーズディレクターの面々も
  ご一緒させていただきます。どなた様でもご参加いただけます。ドレス
  コードはございません。
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 ★お得な一日通し券10,000円(小学生以下4,500円)もございます。
  イベントの詳細は http://www.peaceboat.org/about/30anniv

 ★ご予約は専用サイト、もしくは事務局までお電話ください。
  専用サイト http://peaceboat30.peatix.com
  お電話 03-3363-7561(10:00~19:00/土日祝定休)

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 ■お問合せ:ピースボート事務局(担当:光枝・室井)
 〒169-0075 東京都新宿区高田馬場3-13-1-B1
 TEL:03-3363-7561(10:00~19:00/土日祝定休)
 FAX:03-3363-7562
 MAIL:info@peaceboat.gr.jp
 http://www.peaceboat.org/

原発ファシズムを超えて 『ほうしゃせん きらきら きらいだよ』

 私たちが若いときは、世の中がだんだん良くなると思っていましたし、実際、少しずつ良くなってきたこともありました。若いころは、もっと早く世の中が良くなると信じていましたね。遠い将来、というよりも、近い将来、世の中が変わると信じて生きてきました。 
 ところが、最近はなかなかそうはいかない。だんだんと悪くなっていくのではないかと、不安に思えてなりません。多分、みなさんもそういう実感を持っておられることでしょう。
 まして、この大阪は、いま、日本の一つの焦点になっていまして、橋下徹という男が登場して、「どうしてこんなことが平気でなされるのか」という事態になっています。 

 いま、ほとんどのひとたち、日本に住む八割以上のひとが、「原発は嫌だ、原発は怖い」「もう何とかしてくれ」。そういう気分になっていると思います。 
 これは、戦時中の厭戦気分といいましょうか、「ほんとうに戦争は嫌だ」という気分と共通していると思います。そういうときに、広島に原爆が落とされて甚大なダメージを受けたわけです。 
 残念ながら、日本政府は国体を護持するという考えに凝り固まっていましたから、広島への原子爆弾投下、長崎への投下を経て、ようやく観念して、敗戦を決意しました(「国体」とは国家の根本体制のことであるが、戦前における「国体護持」とは、「天皇制国家の核心である天皇の地位・権威・権能を保全すること」を意味する)。 

 それと同じように、いま、福島で原発が爆発して大きく被災したのに、それでもなおかつ、日本政府は原発を「やる」といっています。
 これはちょうど、敗戦前の、長崎に原爆が落ちる前の状況――もう一回、何か大惨事が起こらないと決断しないという愚かな選択に似ています。いま、そういう危機的な状況にあると、私は思っています。

写真=美浜原発と丹生大橋、撮影 hirorinmasa, クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植ライセンス

 民主主義というのは、国民の八割が反対していたら、もうそれは断念しなければならない、止めなければいけないということです。
 いま、原発に対しては「本当に反対」というひとたちと、「嫌だ」というひとたち、合わせて八割います。だとすれば、すぐに止めるべきです。 
 日本国憲法の前文には「主権が国民に存する」、それから、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と書かれています。つまり、恐怖からの脱出ですね。

 さらに、ご存じのように、憲法13条では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」とあり、有名な25条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と謳っています。 
 つまり、日本国憲法に照らし合わせても、現在のような被曝の恐怖の中にある、いつ原発がもう一度爆発するかわからない、そういう状況にあるということ自体が、憲法違反なんです。

 加えて、居住権という問題もあります。いま、福島のひとたちは、本当に居場所を失っています。故郷を失うということは、若いひとたちにはあまり実感がないかもしれません。しかし、年配者、歳を取ったひとたちにとって、自分の故郷から強引に引き離される、それも近くのひとたちから切り離されてどこかに移住させられるなんてことは、堪らないことなのです。 
 そこにある記憶とかコミュニケーション、そういったものすべてから強引に――自分の選択ではなくて――引き離されることは耐え難い。これは、居住権の甚だしい侵害です。

 まして、危ないところに原発が置かれている、自分たちが暮らしているすぐそばに原発が置かれている。それも「安全だから」ということで強引に設置された。これも人間の権利に対する重大な侵害です。

『ほうしゃせん きらきら きらいだよ』七つ森書館、2012年12月

本音のコラム 2013/10/29  

 
「国家の秘密」
 
  日本にやってきた米国の平和活動家が「私が携帯電話をあけると、どこにいるかすぐ分かるんですよ」と笑って言った。 
 タクシーの運転手はどこを走っていても、本社から監視されている時代だ。
 メルケル独首相の携帯電話だって米国家安全保障局(NSA)から盗聴されていた、とスノーデン氏が証言している。 
 「そばにいる人も携帯をあけてれば、誰か分かります」。今度は真顔でいった。背筋が寒くなった。慌てて携帯を切った。 

 「福島原発放射能汚染水漏れは、コントロールされている」との首相発言はウソだ、と機密を漏洩(ろうえい)すれば、防衛、外交、スパイ、テロ防衛という四分野で「特定秘密」のどれに該当するのだろうか。 
 爆発事故当時、米軍艦隊も逃げ出したという防衛機密、海洋汚染が進んでいるという外交機密、首相は美辞麗句ばかりという国家機密を漏らせば、「特定有害」のスパイ活動となる。さらに原発の防御は弱いという秘密暴露は、「テロ防止に著しい支障」を与える。 

 「積極的平和主義」。これもお得意の安倍用語だ。防衛予算を増やし武器と原発を輸出し、抑止力としての自衛隊を国防軍に変質させ、米軍との集団的戦争に踏み込む。それを平和主義という。 
 「平和のための戦争」も嫌だ。国内では監視強化、国外では米国の戦争への加担、黙っていると、楽しくない国になるぞ。
(東京新聞、10月29日)

写真=エドワード・スノーデン氏、クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植ライセンス

原発社会は日本企業社会の典型

鎌田  戦後の日本は、年功序列型と生涯雇用と企業内組合、この三種の神器で労働者をがんじがらめにしていたし、がんじがらめにされていても、文句を言わなければ食べていけるという状況になっていましたが、それがもう保障されなくなってきました。また、その企業の中に入れずに、自分たちで仕事をするとか、生活をする道を探している人たちがどんどん増えてきています。 
 「原発社会」というのは、実は強者への依存を極端にすすめた、「企業社会」のことだった、ということなのです。 

小森  そこの変化は重要ですね。原発社会というのは企業社会によって構築されてきましたが、そのシステム自体が崩れているという現実ですね。

鎌田  企業依存体制です。労働者も、下請産業も、それに地域も全部、企業に依存して生きているという。
 原発は、その日本企業社会の歪曲的な典型的なものでしょう。政府資金をバラまくことによって地域への波及効果が生まれてくるわけです。しかし、そのお金は、消費者から徴収した電力料金からプールしたもので、電源三法による交付金を地方自治体へ配給するといった仕組みだったわけです。
 それがこの事故によって、いくら自民党でも、いままでのようには原発の建設を強化して補助金を出して地域を支配するという体制は作れなくなりました。企業社会の裂け目といいますか、企業が労働者の生活のすべてを賄(まかな)うことはできなくなりましたし、空洞化によって、企業が労働者を全て雇用できるという社会でもなくなってきました。
 そうした実態を同時に訴えていく必要があると思います。

小森  原発事故の前から、小泉政権の構造改革政策によって急増した非正規社員の問題、派遣労働者の問題が重大な社会問題になっていました。2008年のリーマン・ショックで多くの派遣労働者が解雇され、大きくマスメディアでも取り上げられました。
 湯浅誠さんを中心にした反貧困ネットワークが結成され、「九条の会」も「九条と二五条を実現する」を合い言葉に全国的な運動にしていきました。その一つの象徴が、この年の年末から09年正月にかけての「年末年始日比谷派遣村」の運動でした。東京都知事に立候補した宇都宮健児さんは、このときの名誉村長でした。
 こうした動きが、09年の「政権交代」の大きな力になっていきました。

写真=福島第一原発近辺、photo by Steve Herman / public domain provided by Voice of America  

鎌田  派遣労働者をどうするのかという問題では、派遣労働法改正案はかなり修正されてしまいましたが、雇用期間が三年以上になったら社員にすることを問わなければいけないということだけは残りました。派遣労働者の問題で日本の社会がどうなるかが問われたときに、原発事故が発生し、派遣労働者の問題がよそに置かれたような状況になりました。
 しかし実際は、派遣労働法があってもなくても、原発事故の収束作業にはそういう身分不安定な労働者を大量に使って、被曝させているという実態が明るみになりました。それで、以前からの派遣労働者の問題と、原発事故での派遣労働者の問題とがようやく重なって現れてきたわけです。

小森  なるほど、3・11は、派遣労働者がおかれている社会構造の闇の部分を、日本社会が内在させている根本的な問題として明るみに出してしまった、ということですね。
鎌田慧+小森陽一『反撃』かもがわ出版、2013年3月

小森陽一…東京大学大学院教授、専門は近代文学。「九条の会」の事務局長。

最近の新聞記事から 川崎「市民代表」が天下り官僚候補を破って市長に当選」(編集部)

 27日投開票された川崎市長選は、元県議の福田紀彦氏(41)が、接戦を制して初当選を果たした。
 総務省出身で元市財政局長の秀嶋善雄氏(44)=自民、民主、公明推薦=と女性団体役員の君嶋千佳子氏(63)=共産推薦=は一歩及ばなかった。

「川崎市長選:「後継」より「変革」 福田氏「市民の良識通じた」」(神奈川新聞、10月28日)http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310280003/

 自らを「市民代表」として、「官僚の天下り」の批判を前面に出した福田氏は、今回の勝利を「市民の良識だと思う。艦隊と手こぎボートの戦いだったが、みんなの手でこいでもらって勝つことができた」と振り返った。
 最初は劣勢と見られた選挙戦だったが、主要政党と天下り官僚の談合政治の阻止を前面に掲げることで、市民の支持の輪を次第に広げていった。

 もう一つの勝因は、秀嶋氏がひきつぐことになるはずだった阿部孝雄前市長の市政にあった。
① 検査でセシウム混入が確認された冷凍ミカン、リンゴ缶詰を「教育的側面」の理由で給食に使用。「危険の中で生活していることを子どもたちが知ることが大事」、さらに「このレベルでビクビクする教育をすることが間違い」と、前市長は子どもの内部被曝の危険性を無視した暴論を吐いた。「危険を教える」という理由で、体内に蓄積される放射性物質と交通安全指導などとを同列に扱うことはできないはずである。ついでにいえば、ストロンチウムやトリチウムの検査はしていないという。
② 朝鮮学校補助金300万円を執行せず、横田めぐみさんの拉致関連書籍を購入して、朝鮮学校に現物支給。
 拉致事件とはまったく無関係な子どもたちに補助金の代わりに、お前たちの国はこんな犯罪国家だと押しつけるのは、大人としての良識を疑う。また把握していたはずの拉致被害の情報を国民に伏せていた中心省庁の自治省(現総務省)OBとして、そちらのほうの弁明を聞きたいものである。

 他にも私鉄沿線の駅前で、閑散としていても駐輪の禁止を進めるなど、市民生活への統制強化を垣間見せていた。
 一方、福田氏は「川崎は若い都市だが、一方で高齢化も進んでいる。持続可能なまちづくりを進めたい」と抱負を述べている。 期待したい。

ジャーナリズムのゆくえ-国益と民益

 「進歩的とか反動的とかいう規定は、ある人間が口でどういうことを唱えているかと いうことで決まるのではなくして、彼がその実践の上でどこまでその主張を貫いたか ということが大事なのである」
 丸山真男が、陸羯南(くがかつなん)について書いた文章の一節である。

陸かつ南 「理論と実践の統一」は、 世界的に戦後の知識人をとらえた強烈な理想だった。そのはるかな先駆者のひとりが、明治末期、49歳の若さで早世した陸羯南だった。「権勢を何とも思わぬ一点は、明治時代の新聞記者で(僕の知っているだけでは)絶倫だ」という、森銑三の輝かしい評価もある。
 独立不羈のジャーナリストとして、日本のジャーナリズムに巨大な足跡を刻んだ陸 羯南が、寒風吹きすさぶ、中央から冷遇されていた、本州最北端の一隅から生みだされたのは、わたしたち同郷人にとっての誇りである。
  ジャーナリズムは、右顧左眄(うこさべん)せず、おのれの信じる思想と視点とによって、権力を規制し、現実を裁断し、世界の変革に寄与する、との陸羯南の自己犠牲的な理想が、その後のジャーナリストに受け継がれたのは、まちがいはない。  

 「ペンは剣より強し」
 英国の政治家であり、小説家だったリットンの戯曲『リシリュー』にある名言である。
 しかし、湾岸戦争やイラク攻撃にたいする米国のマスコミ や、自衛隊出兵や対米従属の安全保障政策を「国益」として論じる日本の新聞や放送の変節ぶりをみるだけでも、「剣がペンより強し」の現実をつきつけられている。

 羯南の時代のように、投獄と発行停止によって言論が弾圧され、あるいは戦時中のように、 大本営発表に従属させざるをえなかった新聞記者たちの苦衷をおもえば、現在はまだまだ表現の自由の余地は残されているはずだが、すでに自主規制が新聞、テレビを覆い、生活意識ばかり強く、警世の想いのない「マスコミ人」がはびこっている。  

 わたしの新聞や放送への疑問は、「なぜそのニュースを取材し、報道するのか」、と いうものである。世論に迎合した報道ばかりが多く、個人の主体をかけたものがすくな い。ニュース価値の低俗化と無責任である。
 たとえば、つねに「政府高官」の発表記事が一面を飾り、たとえば、北朝鮮の拉致事件発覚のあと、被害者家族の報道が日夜くりかえされて、北朝鮮経済封鎖論に誘導されたり、たとえば、犯罪事件の加熱が、死刑にしろ、との世論を一気にたかめたり、報道が憎悪と 制裁の拡声器になっている。
 記者自身、自分の記事が歴史的にどう検証されるかに懼(おそ)れをいだかず、ただ組織の一員として、世論操作に奉仕させられがちである。
 なんらの定見なく、ただ世論に迎合し、売れ行きだけにあたまを悩ましているの は、ジャーナリズムの邪道であり、信じてもいないことを書くのは、文筆の退廃である。

 「独立的記者の頭上に在るものは唯だ道理のみ、唯だ其の信ずる所の道理のみ、唯だ国に対する公儀心のみ」
 と書いた羯南は、国家への忠誠ではなく、国民(市民)への奉仕を天職と考えていたのだった。
 ジャーナリズムとは、ヒューマニズムのことであり、国権を規制して人権を拡大し、ひとびとが生きやすい社会をつくるためのものである。とすれば、その最大の使命は、 あらゆる戦争に反対することである。
(鎌田慧講演、青森県近代文学館2004年8月)

写真=陸羯南、撮影年月日不明、Japanese book Katsunan Bunroku (羯南文録) 著作権保護期間満了

畠山鈴香との交信① (『橋の上の「殺意」』あとがき)

10月23日付『橋の上の「殺意」』あとがき①の続きになります。
(畠山鈴香のわが子と二軒隣の米山剛憲くんへの「殺意」の証明は、曖昧な自白に依拠しているだけである。また殺意の形成については、 検察側の見解はつぎの内容である。
「彩香ちゃんに対する以前からの深刻な疎(うと)ましさの念に根ざしていることは明らかであり、そうした嫌悪感に根ざした殺意の強固さも明らかである」) 

 「深刻な疎ましさ」と「嫌悪感」が殺意を形成した、という。しかし、それは証明されていない。
 ときどき、子どもを疎ましく思ったり、嫌悪感を抱いたりするのは、四六時中、子どもと一緒にいる母親にはよくあることである。それを「強固な殺意」といいつのるのは、牽強付会(けんきょうふかい)というものである。 
 たしかに、シングルマザーである畠山鈴香が、幼い彩香ちゃんを抱えていたため、山村からの脱出の夢を挫折させていたのは事実だが、かといって、子どもを邪魔な存在として、殺してまで自由を得ようとは考えていない。 

 第二の豪憲くん事件について、検事は「彩香ちゃん殺害」の疑いの目をそらし、自分を無視する社会への復讐心だ、という。 
 「強固な犯意に基づく卑劣かつ残虐で、執拗かつ冷酷無比な態様であり、鬼畜の所業である。こうした凶行を犯した被告人の存在は、社会に対する脅威としか言いようがない」 
 この紋切型の論告が、死刑を求刑した論理である。悪いことをしたものは悪いやつだ。社会にたいする脅威だ。だから、死刑にしろ。論証のない、最大限の悪罵の羅列で死をもとめる権力の言葉である。哀れな母親の悲劇を解明しないで、あの世へ送ったとしても、なんの意味もない。 
 畠山鈴香は、彩香ちゃんへの「殺意」を否認しつづけていた。豪憲くん殺害は認めているが、その動機は本人自身もあきらかにできていない。 

 精神科医は、「解離性障害」によって、「橋の上の瞬間」を解釈している。子どもが落下したのちに、そのままたち去ったことを、検事は「殺意」の証明に使っているのだが、それは「解離性健忘」だった。だからこそ、鈴香はそのあと、子どもの消息を訪ねて、歩きまわっていたのだ。 
 それでは、どうして、彼女は「広汎性発達障害」を疑われるような症状になったのか、それがこの本の物語である。わたしたちは、精神的疾患にあまりにも無知である。理解できないものは、排除して、ことたれりとしがちだ。 

 「畠山鈴香はわたしである」と思うひとたちも多い。そのひとたちと畠山鈴香との岐れ路はどこなのか。彼女との交信をわたしはつづけている。(つづく)
『橋の上の「殺意」』講談社文庫、2013年8月

イメージ写真=モロッコ、河原を歩く母と子、Photo by Yolanda,Public Domain CC0

中国脅威論の裏で利益をあさる米国


中国の人権意識


 アジアの死刑大国の1つは中国である。政治犯にたいす処分が重いのは、2010年のノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏への処分でもあきらかになっている。
 同賞の選考委員会は、中国の非民主主義的な体制の実態をクローズアップした。そこに政治的意図があったことは疑いがない。

 しかし、劉氏は「一党独裁の廃止」や「都市と農村の平等」など、自分の意見を発表しただけなのに投獄されている。また、89年には天安門広部における民主化要求運動のハンスト運動を指揮したが、突入する軍の幹部と交渉し、市民の犠牲を最小限に食い止めた人物としても知られている。
 この非暴力の運動家を弾圧し拘束するなど許されるわけではない。受賞により中国の民主化が推進され、また劉氏への注目が集まることで彼の安全性が高まるなら、きわめて意義深い受賞といえる。
 
  この受賞について、中国側は「中国の法律を犯し刑罰を科された人物」への受賞だと主張。ノーベル賞を決める委員会のあるノルウェーとの会談のキャンセルなどもおこなわれた。

                 劉暁波 オスロ、10 December 2010 
          the public domain because it is material provided by Voice of America

               
 しかし国際社会での重要な位置を占めようとするならば、中国の共産党独裁政権の人権に対する国際的な批判は、当然のことである。
 中国政府はインターネットでの関連の用語を検索できなくしたり、国際放送のニュースで劉氏の受賞部分だけ流れないようにするなど、国内で情報の伝播に注意をとがらせている。
 しかし、情報をまったく遮断することはできない。東西ドイツを隔てた壁が通信衛星を受信した国民によって壊れたように、民主化を求める市民に口コミで情報が広がることによって、民主化の圧力はますます高まっていくはずだ。   
 政府自らが民主化を進めていかないかぎり、現政府は存続できない。この受賞を民主化推進の契機とすべきだ。 

 この中国との問題で圧力を強め、利益の確保にはしっているのが米国だ。以前にも牛肉の輸入を再開させるのと引き替えに、クリントン国務長官は「尖閣は安保範囲」と発言した。かつての主張を繰り返すだけで、安全性の怪しい牛肉を売れるのだから安いものだ。  

 さらに今度は思いやり予算の増額も求めてきた。
 「日本の安全保障環境が悪化しているのだから減額できない。増額が必要だ。何か増やせるものはないか」(『朝日新聞』10年10月20日)
 このセリフは日米の協議で米側が繰り返してきたものだという。実態の怪しい中国脅威論にかこつけて、ハイエナのように米国が群がってきたというわけだ。
 この米国の要求に日本政府は屈し、環境対策費として数年間にわたり数十億円規模を、思いやり予算に加えることとなった

「鎌田慧の現代を斬る」より

橋本勝の風刺マンガ「100000年後の地球に、ダレが責任をとるのか!? 」

100000年後

「脱原発」にとっては意外なところから
強力な援軍があらわれた
あの小泉元首相が、日本は原発ゼロにするべき、
安倍首相が決断すればいいのだと言い放ったのだ

政治的嗅覚の鋭い彼のことだ
国民の脱原発への思いが強いのを感じての
人気とりのパフォーマンスとも思えたが
彼が脱原発にいたった大きな理由のひとつとして
使用済み核燃料の処分の問題の解決が不可能だということをあげた
フィンランドでその核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の
最終処分場としようとしているオンカロを視察した際、
核のゴミが無害化するまで10万年間、
そこで管理、保存しなければならないというのを知り
人類と原発は共存できないと思い知らされたからという
小泉元首相の原発ゼロへ!の主張は本気だと納得した。

そう、10万年という膨大な時間、
人間が管理するなんて悪い冗談としか思えない
それはこの広大な宇宙の中での貴重な命の星、
地球を勝手に利用していいのだとする
人間のなんという傲慢さ!愚かさよ!
やっぱり脱原発しかないのだ。

読者からのコメント 10/26

小原 紘さま

 足尾鉱毒事件に倣って民衆の怒りを「押し出し」として東京へ。以前から夢想してました。3年目の3月11日に照準をあわせて福島から国会へ! 常磐道から、東海道、中山道、甲州街道から、多くの人が行進に参加するはずです。
 日を追って増える参加者。100万人は参加するはず。希望を感じさせる企画です。準備会などあったら参加させてください。福島から東京まで走破する覚悟です。
 韓国の扶安の運動、三閉伊一揆の運動など思い浮かべています。アウシュヴィツツ平和博物館、原発災害私領センター。

 

衣笠書林@猫の生活が第一さま

「マスコミに巣食う「親米派」」 

 小沢・鳩山政権の目ざした対米自立外交の意義と、それを潰した財界・官僚・メディア・翼賛政治家の陰謀、野田・前原ら松下政経塾一派の民主党クーデターの意味を、大メディアに抗して民衆が共有し、発信して行かなければならないでしょう。
 リベラル勢力の結集を!

「狭山事件 冤罪50年」
 飯塚事件の被疑者は足利事件と同じDNA鑑定で死刑判決を受け、死刑執行されてしまいました。日本は国連人権委員会で指摘されたように中世国家ですね。
 権力に人格はない。ただ地位と権威を守る為自己運動する。民衆がわが身に降りかかる災難を自覚しなければ。

おしらせ 「脱原発トークイベント10・27」 

 
東アジアをまわり、上海から帰国したばかりの鎌田慧も、このトークイベントにゲストとして出演する予定です。

鎌田慧☓落合恵子 対談「脱原発」


原子力の事故は二度と御免

鎌田 脱原発の世論がこれだけ盛り上がっているのに、なぜ野田政権は大飯原発3、4号機を再稼働したのか。
 それは原発を止めたまま暑い夏が終わってしまうと、やはり原発なんて必要ないということが国民にわかってしまうからです。

落合 国民の多くが、あんな悲惨な事故は二度と御免だと思って立ち上がっているのに、これほどの裏切りはありません。

鎌田 病院なんかは、皆、自家発電装置を持っている。したがって停電しても人工透析の患者がそれで亡くなることなどありません。もし電力が足りなくなる分野があれば、そこに重点的に供給すればいい。

落合 この猛暑でも電力は不足していないという事実があります。そのことを、私たちは忘れてはならない。国外に(原発を)輸出したいから、足りてることを知らせたくない、そして原発を再稼働し、意図的にウソを言っています。

2013 9 1
写真=2013/9/1首相官邸前にて、落合恵子と鎌田慧の両氏。編集部撮影

鎌田 産業界と政治家がくっついて国民をだましている構図が見えてきましたね。
 7月16日、代々木公園には17万人もの市民が脱原発を求め集まった。抗議活動は盛り上がり、29日にもやはり大量の市民がデモに参加し、国会を取り囲んだ。
 野田総理が「病院が停電したら、患者の命に関わる」「原発が止まったら、日本社会は立ち行かない」と言って、7月1日、大飯原発の再稼働に踏み切ったことへの抗議である。

落合 代々木公園で17万人集会があった日、集会は午後からでしたが、原宿駅など最寄りの駅を回ってみると、9時前から「あれは音ではない。声だ」と書いたプラカードを持った方がいたり、お弁当を広げた若い家族連れがいた。大きなおむすびをほおばっている子供やひまわりの造花を持った高校生、車椅子の方もいました。
 60年、70年の安保を知る私には、あの頃とまた違った、ひとりひとりの意思表示に見えました。

鎌田 あの頃は労働組合が中心になってやった。皆、まなじりを決してやって来るわけですよ。組合に力があったから、組合員を大量動員して国会前に集まってくるという感じだった。弁当を広げている人はいませんでしたね。
 今回の運動の作りも、社共や労働組合の幹部は壇上へ上げていないんですよ。市民の集会だから、呼びかけ人が演壇に上がってスピーチした。

落合 気温は33 度。あの場に5時間座っている人もいた。皆、魂が動いた。
(つづく)
週刊アサヒ芸能 2012年8/16・23合併号
 

10月24日付「パレードの思想」をご参照ください。

事故の予感(「本音のコラム」より)

 わたしが原発を好きになれない理由は、その危険性もさることながら、すべてをカネで解決する、というやり方に抵抗があるからだ。「理屈ではない、カネだ」というのでは、暴力的というしかないが、全国の原発地帯を取材したうえでのわたしの結論である。 

 いままで、どの町も名乗りをあげることのなかった、もっとも危険な「核の生ごみ」といわれている、「高レベル放射性廃棄物」の「最終処分場」に、町長の独断で応募したのが、徳島県との県境の町、高知県の東洋町である。 
 田嶋裕起町長は、応募は調査してもらうだけだ、と町民に説明した。最初の二年間の「文献調査」だけで20億円、そのあとの四年間の「概要調査」で70億円が、経済産業省から支払われる。 

 町長は、「調査を行ったからといって引き返せなくなるわけではない。応募が即、施設誘致・建設につながらない」といっているのだそうだ。「みせてもらうだけで、6年間に90億円。いやならやめても、返さなくていい」。まるで人身売買のように、危険な国の誘惑である。
 これまでも、原発は、「ストーカーみたいに、いやだといっても追いかけてくる」と嫌われていた。 

 橋本大二郎知事(当時)は、資源エネルギー庁を訪れ「財政的に自治体を金でつるようなやり方でいいのか」と抗議した。国の機関が、こんな不道徳なことをしていいのだろうか。
(東京新聞 2007/2/20)
「いやならやめてもいい」は、TPP交渉でもしばしば使われた国民を欺くための決まり文句のようです。(管理人)

 
甲浦港(高知県東洋町)と竹ヶ島(徳島県海陽町)付近の空中写真。
出典 「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」

おしらせ 「橋本勝の大型マンガ紙芝居」

10月23日付「11・9怒りの大集会」でおしらせした東京・葛飾での橋本勝「大型マンガ紙芝居」とマンガの原画展ですが、埼玉・浦和でも当日18:30より開催します。

埼玉の9条連講演会 「これからどうする」
日時 2013年11月9日(土)18時15分より
会場 「浦和パルコ」9階
   浦和コミュニティーセンター 第15集会室
   tel 048-887-6565
   JR浦和駅東口正面(徒歩1分)
出演 田原 牧さん (東京新聞特別報道部デスク)
資料代 300円

大型マンガ紙芝居

郵政民営化の現実

米国の期待に応えた民営化  
 
 現在の日本郵政公社は、郵便貯金銀行、郵便保険会社、郵便局会社、郵便事業会社、それらの持ち株会社である「日本郵政」に分割され、26万人の職員と土地や資産などが、それぞれに配分される。五人の社外取締役のひとりが、トヨタの奥田碩(おくだひろし)会長(日本経団連会長・当時)である。 

 2007年10月発足の「郵便局会社」(窓口ネットワーク会社)の初代社長は、トヨタ出身の高橋俊裕氏である。彼が2万4700の郵便局を支配する。トヨタ生産方式を導入して、ムダを省く合理化に成功した、との評価によった、という。 
 高橋氏は、民営化の方針を決める「経営委員会」にも参加するので、トヨタ生産方式が、民営化全般で指導力をもつことになる。この経営委員会には、持ち株会社の社長の西川善文氏も参加する。彼は前三井住友銀行頭取で、全国銀行協会会長を二度もつとめ、剛腕で知られている。 

 西川氏は、三井住友銀行頭取のとき、米国のゴールドマン・サックス社から、数千億円規模の資金を得て増資を実行した。
 ちなみにいえば、2005年10月から、郵貯が窓口販売をはじめた外資系の「投資信託商品」は、ゴールドマン・サックス社運用のものだった。 

 郵政公社の民営化には、米国の投資会社や保険会社の期待が大きく関わっている。零細な市民の貯金や簡易保険が、彼らに運用されるビジネスチャンスをつくるばかりではなく、分割、民営化された新会社の株式をあつかう、主幹事証券として、莫大な手数料もはいることになる。 

 ゴールドマン・サックス社は、NTTドコモが株式を上場したとき、主幹事証券になっている。米国の金融、証券、保険業界が待ちに待った解禁、それが郵政民営化であるのは公然たる秘密であって、小泉元首相はその「刺客」だった、といっていい。 

 西川社長は、就任前の2006年1月10日、JPUの新春交換会に、生田正治郵政公社総裁、久間章生(きゅうまふみお)自民党総務会長などと出席し、公社化で素晴らしい成果をあげているのに、なぜ民営化するのか、と自問自答している。
 彼は、物流、金融の分野での変革が激しい、公社が制約、規制を受け、手足を縛られたまま、民間との競争に勝ち抜いていくのは不可能だ、というのだが、それはけっして郵便局員や預金者のためにするわけではない。それだったなら、いまのままがいちばんいい。
 これまで、公的機関としての信頼によって蓄積された、莫大な資金のドアーをひらいて、口をあけて待つ、外資に放流する、ということなのだ。

『絶望社会 痛憤の現場を歩くⅡ』金曜日、2007年9月

写真=ウォールストリート埠頭、ニューヨーク、by NYCRuss,licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported

パレードの思想 3 (編集部)

10月24日付「パレードの思想 2」のつづきになります。

Hitlerjugend,_Appell_zur_Maifeier 21世紀のあたらしいうねりは、100年前とはあきらかにちがう特徴をもっている。どこの運動にも中心というものが存在しない。どの次元においても、中心は決定的にないのだ。リーダーや統率する集団がいない。アラブの春にせよ、ウォール街にせよ、それが中心地や基点にはなっていない。かつての民衆をみちびくレーニンのような革命の指導者もいなければ、世界の共産主義運動を統率したコミンテルンやコミンフォルムのような支配権力も存在しない。ましてやヒトラーや毛沢東を盲目的に崇拝し、市民への不当な弾圧の手先となったヒトラー・ユーゲントや紅衛兵のような集団ももちろん存在しない。

 参加者は誰もが自分の意思で、広場に集まり、街をパレードし、じぶんたちの声を合わせて呼びかける。それぞれが節目となって、どこまでも広がっていく可能性をもつグリッド・システムのようなものを、わたしたちは連想することができる。
 統一委員会といった中心はなく、それぞれが互いの活動を熟知し、連携しながらも、固有性や独自性も失うことなく、対等な立場で主体的に動いていく。まったく新しい形態の社会が蠢きはじめているのだ。それは各地の運動の内部においてだけでなく、世界じゅうで現出している動きでもある。それを「パレードの思想」と呼んでみたい。

 2011年以降の脱原発を主張する日本の運動のいくつかもまた、同じ特徴をもつ。
 「さようなら原発」には、たしかに呼びかけ人として鎌田慧、落合恵子、大江健三郎といった著名人が壇上で声を上げ、鼓舞する。だが参加者は、呼びかけ人を指導者などとは見ていない。呼びかけ人の言葉は、自らの立ち位置を確認し、いま為すべきことをじぶんのなかで反芻する手がかりにすぎないのである。呼びかけ人もまた、代表や委員長といったリーダーであろうとはかんがえもしない。
 有力な政党政治家が控え室には激励に来ても、演壇への登壇はスペインの広場と同様にお断りしている。政党色をだしては広がりがもてない。党派性につながれば、官僚機構を創出することになり、やがて運動自体が生命力を失う。
 これらはすべて、2011年以降、中東、北アフリカ、ヨーロッパ、アメリカで起きている社会現象、まったく新しい形態の動きと重なり、また結びあっている。

120716さようなら原発1 

  2012年7月16日、代々木公園での17万人集会では、呼びかけ人のひとりで身体が万全ではない90歳の瀬戸内寂聴さんが炎天下、演壇に立った。おおくの参加者は巨大な会場のためにその姿を確認することはできなくても、脱原発を訴えるその言葉は、会場の聞く者のこころにふかく浸透し、脱原発の意志の新たな共有をよびおこした。こうした生命をもつ言葉が参加者の動きとともに広がり、ネットワークを築いていくとき、「パレードの思想」もまた生命を育んでいく。
 パレードはまだ、スタートしたばかりであり、脱原発から真の民主主義の実現に向けて生成をはじめたにすぎない。だが、2014年3月11日の大きな節目にむけて、なにかを「押し出し」はじめているのはたしかだろう。(つづく)


写真上=ヒトラーユーゲント 1937年5月1日、German Federal Archives Attribution-Share Alike 3.0 Germany
写真下=さようなら原発会場、2012年7月16日

原発産業の非道徳性

 原発産業も大きく動きはじめています。 

 東芝とゼネラルエレクトリック(GE)が合弁会社をつくるということになっています。GEと提携しているのは日立ですが、それを組み替えて、東芝とGEが火力発電を拡大していこうとしているようです。
 火力でだいたい850兆円のマーケットができます。もう原発の時代じゃないんです。メーカーは石油や天然ガスなどにシフトしています。 

Nuclear power plant in Cattenom, France 日立はイギリスの原発会杜を買収して、850億円かけてイギリスに六基の原発をつくるといっています。が、5年経ったら他の企業に株を半分渡すという。経営のリスクを避けるとか、収益を上げるとか、丸ごと子会社にしないで株を分けて関連会社にするという、経済的な面もあるのですが、狙いは原発事故が起きた際に、親会社としての責任を丸ごとではなく、50パーセントに下げるためだ、と報じられています。 
 全株所有していると、原発事故が起きたときに負担が大きい。事故のことを考えて進出するのですから、不道徳です。

 原発事故は破滅的ですが、それでも原発を売っていかないと、原発産業はやっていけない状況を迎えています。しかし、解決策は原発をやめればいいだけのことです。 
 日本の原発産業は、日本の兵器産業です。三菱重工、三菱電機、日立、東芝、IHI、日本製鋼所。原発と原爆の、「核の技術的な基盤の維持」というのは、ずっと一貫した自民党政権の方針で、民主党政権も結局、「安全保障に資する」という一行を、原子力基本法に入れました。

 安倍政権は、憲法を廃絶しようという超反動政権です。好戦的な政権で、軍備拡大と核政策、ますますキナ臭くなっていると思います。 
 わたしたちは、原発問題を軸として、さらに憲法を変えさせない大きな大衆運動を盛り上げて、国会内外に波及させていきたい。そういう時期にきていると思います。

『石をうがつ』講談社、2013年6月

Photo by Stefan Kühn,「フランス・カトゥノム原子力発電所」 licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported

パレードの思想2 (編集部)

10月15日付「パレードの思想1」のつづきになります。

 9月14日、亀戸から浅草へと向かうパレード。だれもがおだやかな表情で、むしろ明るい。ところが「フクシマを忘れないで」などと書かれたプラカードを掲げ、うつむきながら歩いている一群の女性たちが通りかかる。のぼりやプラカードから被災地福島からやってきた女性たちだとすぐにわかる。表情は一様にかたくて、重苦しい。暑さのせいだけではない。原発のもたらす影響の深刻さが、他の参加者との対照を生んでいる。
 
 ひと塊3百人ほどの、いくつもの集団に分かれたパレードは、ゆっくり進んで行く。信号で先頭が立ち止まると、約50mの間隔をあけてうしろにつづく塊りも、先導車両と同調して待機する。整然と秩序が守られる。
 しかし、それは警察や主催者の指示が守らせているのではなく、それぞれの集団の自発的な意志である。自然にパレードは止まり、緩やかなリズムを刻んでまた動き出す。
 
 フクシマの女性たちに、歩道の通行人が声をかける。
「福島から来たのですか。遠いところをたいへんですね」
「ええ。わたしたちにできるのはこれしかないので」
「応援していますから」
 フクシマの女性たちの表情に笑みが射す。パレードの足もとがかるくなったようだ。
 
 パレードは、マスメディアが伝えることのない現実をあらわにする。だから無関心な通行人にも、日常では見えない現実が直感的に伝わっていくのだ。

 21世紀のあたらしい予兆は、2010年12月チュニジア中部の都市スイディ・ブーズィードで、コンピュータ科学の学位をもっていながら露天商の仕事をせざるをえなかった一人の若者の抗議の焼身自殺に始まった。政治的要求の波は全土に拡大し、ひと月後には独裁者として長年君臨したベン・アリーは亡命した。
 ちょうどその頃、地球の裏側では一見まったく別の運動が生まれていた。ニューヨーク、ウォール街での占拠である。反貧困、反社会的格差を主張するこの運動は、全米の都市にまたたく間に広がっていった。
 
アラブの春 (2)

 やがて人びとの怒りの声は、エジプトそしてリビアなど北アフリカや中東全域を巻き込み、長年独裁が続いていた政治体制をゆさぶり、倒していった。「アラブの春」である。同じころにヨーロッパでも火の手が上がり、ときを同じくして3・11以後の日本へと。

 ヨーロッパの場合、ある徹底が存在した。
 それはスペインの2大巨大都市、バルセロナとマドリッドでの「憤激する者たち」による5月15日の中央広場の占拠にはじまった。失業や格差、社会保障のずさんさへの抗議、さらには「真の民主主義」の実現を訴える占拠者の声を、都市の住民の大多数が支持し、数百万の参加者へと膨らんでいった。つまり社会のかかえるあらゆる問題へと関心が広がり、現在の民主主義がもはや機能しなくなっていること自体への問題提起を含むものにまでなった。政党関係者のイニシアティブを拒絶し、直接民主主義的な色合いを濃く打ち出したのだった。
 そして、それは寄せてはかえす波のようにギリシャ、アメリカ、イギリスへ、またカイロのタハリール広場へと伝わっていった。(つづく)


写真上=浅草へのパレード9月14日、編集部撮影
写真下=アラブの春、左・カイロ,タハリール広場2011年2月9日、右・首都チュニス2011年1月14日,
      Creative Commons License

お知らせ 11・9 怒りの大集会

本ブログのレギュラー執筆者で風刺マンガ家、橋本勝が呼びかけ発起人の集会のお知らせです。 当日、会場にてマンガ展を開催、またPM12:30より紙芝居を上演します。

憲法改悪反対! 安保強化と原発再稼働を許すな!
戦争と貧困の強制に反対する 11・9怒りの大集会

日時:11月9日(土)   開場 12:00  開会 13:00
会場:かつしかシンフォニーヒルズ(東京都葛飾区立石六丁目33番1号)
〔会場への行き方〕京成青砥駅より徒歩5分または京成立石駅より徒歩7分

アベさんはいったい日本をどんな国にしたいのだろうか?スローガン
・集団的自衛権行使の合憲化反対! 憲法改悪を許すな!
・オスプレイを投入した日米合同演習反対! 普天間基地を撤去せよ!
 敵基地攻撃能力の保有を許すな! 日米安保の強化反対!
・福島原発からの高濃度汚染水流出を許さない!
 原発の再稼働反対! すべての原発を廃炉にせよ!
・消費税大増税・社会保障切り捨てを許すな! 
 <アベノミクス>反対! 首切り・賃下げ反対!
・秘密保護法制定反対!
・新たなファシズムに抗する労働者・学生・市民の連帯をつくりだそう!

プログラム(予定)
● 主催者あいさつ 古川路明(放射化学者)
● 講演 大波修二(大和市議会議員)
    河田昌東(チェルノブイリ救援・中部 理事)
● ビデオ上映
● 発言  矢澤曻治(弁護士) ほか
● 実行委員会からの問題提起
● 閉会あいさつ  森井 眞(元明治学院大学学長)

戦争できる国呼びかけ発起人
池田龍雄(美術・九条の会呼びかけ人、戦争を許さない市民の会共同代表)
池辺晋一郎(作曲家)
伊藤成彦(中央大学名誉教授)
榮野川安邦(普天間基地爆音訴訟団幹事、元沖縄県高教組委員長)
信太正道(戦争屋にだまされない厭戦庶民の会)
橋本 勝(イラストレーター)
樋口健二(フォトジャーナリスト)
古川路明(名古屋大学名誉教授、戦争を許さない市民の会共同代表)
森井 眞(元明治学院大学学長、戦争を許さない市民の会共同代表)

主催:11・9集会実行委員会
[連絡先]戦争を許さない市民の会
〒113-0033 東京都文京区本郷2-16-9-301
TEL 03-3868-6630   FAX 03-3868-6631
Eメール action@leo.interq.or.jp 

〔当日会場で、資料代として500円いただきますのでご了承下さい。〕

『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』 

「あとがき」(1)

 刑が確定した畠山鈴香は、秋田市内の拘置所から移監され、いまは東北のある刑務所で無期懲役に従っている。 
 彼女にはこれから、途轍もなくながい囚徒としての日常がつづく。集団生活になじめない性格である。慣れるまでの苦闘が想像される。 

 能代市藤里町の町営住宅の一角にあった、彼女と娘の彩香ちゃんが暮らしていた家は取り壊され、ちいさな空き地となった。
 二軒隣の被害者・米山豪憲くんの四人家族は、高裁の判決まえに移転した。この山峡のちいさな集落にまた静けさがたちもどり、やがてひとびとは遠い記憶として、ときたま、二度つづいて起きた、不可解な子どもの死を想い起こしたりすることであろう。 

 七年前(2006年)の4月9日、畠山彩香ちゃんの失踪からはじまったドラマは、米山豪憲くんの遺体発見、畠山鈴香の逮捕となって解決されたが、ふたつの事件は、わけのわからないミステリーとして後味の悪さを残している。 

 畠山鈴香を裁いた秋田地裁、仙台高裁は無期懲役の判決をだした。検事側にはそれ以上に追及する根拠もなく上告を断念、刑が確定した。
 しかし、どうして、彩香ちゃんが橋から転落して死亡したのか、なぜ、鈴香が二軒隣、娘の遊び友だちである豪憲くんを殺害したのか、その謎はまったく解明されていない。 

橋の上の「殺意」 この事件が発生してから比較的はやい時期に、現場に立ってみたのは、山村に暮らしていた若い母親がなぜだいそれた罪を犯したのか、それに接近してみたかったからだ。わたしが一度も、「連続殺人事件」と書かなかったのは、最初の彩香事件にたいして、被告の畠山鈴香が、殺意を頑強に否認しているのを法廷でみていたからだった。 
 控訴審が結審して、判決がだされたのは2009年3月。それまで傍聴をかさね、周辺を取材し、そのときどき、検事側の死刑判決にもちこもうとする論理を批判する文章を、新聞や雑誌に寄稿しながら、『橋の上の「殺意」』として刊行した。
 「殺意」があったかどうか、それがテーマである。 

 控訴審における、検事側の「殺意」の証明は、つぎのようなものである。
 「被告人自身、彩香ちゃんを大沢橋の欄干に登らせ、突き落として殺害しようと考え、きつい口調で彩香ちゃんを脅して欄干に登らせた旨供述し、その時点で彩香ちゃんに対する確定的ないし積極的な殺意が生じていたことを捜査段階で自白しているのである。しかも、この自白内容は、被告人の精神鑑定の結果からも十分信用し得るものであり、原判決においても、彩香ちゃん殺害に係わる被告人の自白の任意性・信用性を詳細に検討し、その信用性が認められるとしているのである」 

 被告の捜査段階での自白の任意性は、検事側の精神鑑定で認められ、一審の判決でも認められた、という。しかし、といってもなお、「殺意」の証明は、曖昧な自白に依拠しているだけである。殺意の形成については、こういう。 
 「彩香ちゃんに対する以前からの深刻な疎(うと)ましさの念に根ざしていることは明らかであり、そうした嫌悪感に根ざした殺意の強固さも明らかである」  〈この項、つづく〉
『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』講談社文庫、2013年8月

本音のコラム 2013/10/22  


狭山事件 冤罪50年


 夜明け前、まだ暗い田園地帯をひたすら走る男がいる。三年かけて完成したドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』(金聖雄監督)のファーストシーンである。 

 表題の「SAYAMA」は埼玉県で起こった、女子高校生殺害の「狭山事件」。
事件発生から五十年たったが、犯人にされた石川一雄さん(74)は今も無実を主張し続けている。 
 一審判決は死刑だった。二審判決は無期懲役に減刑されたが、犯人扱いに変わりはない。「せめて現地をみて、話を聞いてほしい」と仮釈放中の石川さんは、東京高裁前に妻の早智子さんと並んで立って訴えている。 
 半世紀もたってから、検察側はようやく未開示証拠のいくつかを提出するようになった。被告に有利な証拠を隠して「死刑」を求刑したのだから、フェアではない。 

石川一雄書面 逮捕直後の石川さんの筆跡は、真犯人が書いた「脅迫状」とは似ても似つかないものだ。まして家貧しくて学校にいけなかった、非識字者の石川さんにとって、学ぶ機会のなかった文字を使って他人を脅迫するなど想像外なのだ。裁判官は字を書けない人たちの悲しみに思いをはせてほしい。 
 再審を求める集会が10月31日午後1時から、東京・日比谷野外音楽堂で、6時から九段・日本教育会館でこの映画の試写会がある。 
 
写真=半沢英一『狭山裁判の超論理』p.39-41. 著作権法第53条第1項によるパブリックドメイン 
(東京新聞 10月22日)

解雇を簡単にする限定正社員

 安倍政権が進めている「限定正社員」制度は、正社員の雇用を、企業に有利なように改悪したいという財界の悲願が込められている。  

 すでに忘れさられているが、2005年には、「ホワイトカラーエグゼンプション」を経団連が提言した。
 労働基準法により、労働時間は1日8時間、週40時間以内と定められている。こうした制約を外そうとしたのが、ホワイトカラーエグゼンプションだった。採用労働にしていく労基法の歯止めを取りさる露骨な法律案は、「過労死促進法案」として反対運動も盛りあがり廃案となった。  

 今回、問題となっている限定正社員は、勤務地や仕事内容、労働時間が限定された労働者を指す。この限定正社員の解雇の基準を緩くするのが狙いとなる。
 労働者派遣法の改悪により、派遣できる範囲は大幅に広がった。しかし業務を派遣に任せるのは最長3年という法律的な歯止めがある。それを突破しようとしているのが、この制度といえる。

2011年2月16日 photo by MIKI 労働基準法は解雇の要件を厳しく定めている。そのため正社員を雇った場合、仕事がなくなっても、内部的柔軟性ともいわれる、配置転換による雇用の維持を目指す。そうやって大企業は生涯雇用を守ってきた歴史がある。
 ところが限定正社員の導入により、仕事がなくなったら解雇ができる仕組みができあがる。
 しかも制度ができれば、本当の正社員を限定社員に格下げする可能性が高い。正社員を限定社員にして、仕事がなくなったらクビ。「名ばかり社員」である。
 労基法に守られた正社員をクビにするために、限定正社員制は使われることになる。

 西欧諸国では、年間数十万の解雇紛争が労働裁判所で扱われる。
 しかし日本では年間1600件程度でしかない。労働局への相談件数は10万程あっても、あっせんの申し込みは4000ぐらいだという。しかも金銭解決は、平均17万円である。
 クビにして17万円はひどすぎる。つまり現状でさえ、日本の中小企業は解雇自由なのだ。それを大企業まで広げるのが限定正社員の制度である。これは大企業をブラック企業化する法律だ。
 しかし、政府の規制改革会議は「非正規社員を社員化をうながすのが狙いだ」、あるいは「限定正社員は正社員にする」などと宣伝する。しかし、それは本当の意味で「限定」された人だけの幸運である。

 社会を安定させなければ消費はふえない。少子化にも歯止めがかからないだろう。社会を安定させるためには、非正規社員を社員化するしかない。しかし経営者は自分の地位の維持と自分の利益しか考えず、社会の安定など考慮しない。
 マイカーも買えない、マイホームも買えない、マイナンバー制による監視体制だけが残る。アベノミクス崩壊の裏で、日本はそんな社会にむかっている。(談)

「月刊記録」より、2013年7月
写真=photo by T-MIKI,2011/2/16、Creative Commons License

マスコミに巣くう「親米派」 (つづき)

昨日10月20日付「マスコミに巣くう「親米派」」の続きになります。

    

 米軍再編によって、沖縄の海兵隊8000人とその家族9000人をグアムに移転する。普天間基地はヘリ部隊であり、海兵隊地上部隊と行動をともにする部隊だ。そのままグアムに移転しても、なんら問題がない。1990年前後には、沖縄海兵隊のハワイへの全面撤去プランがあったのだから。

 『朝日新聞』(09年12月18日)には次のような報道もある。「日本駐留の経験がある元海軍幹部によると、海兵隊がいなくても現在、日本にいる陸海空軍兵力だけで中国などへの抑止機能は十分果たせるという意見が米軍内には根強くあるという」 、つまり既得権益を米軍は手放したくないだけのことなのである。
 しかし米国の圧力は激しい。かつて「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と自衛隊派兵への圧力をかけたアーミテージ元国務副長官が来日して、「10年かかった日米合意が白紙になる」などと恫喝した。彼は91年当時、フィリピン政府がクラーク・スービック両基地を撤退要求したときにも、わざわざ脅かしに行った札付きである。

 さらにアメリカとの「対等な」外交への転換をめざした鳩山内閣に対して、激しかったのは大マスコミの攻撃だ。
 朝日・読売・毎日の三大紙でも「外交の継続性が必要だ」とか、「米国との好意が壊れる」「国益を損なう」などの文言が紙面に踊った。米国側の利益に寄った記事が大量に発生した。
 『読売新聞』(09年12月16日)には、「米国の首相に対する不信感が一段と深まるのは避けられない。防衛省幹部は「米国は『鳩山政権は、北朝鮮と同じレベルのずうずうしさだ』と受け止めるだろう」とうめいた」とかなり扇動的な記事が掲載された。

鳩山首相の辞意を伝える日本経済新聞  アメリカ国務省から接待づけになっている新聞記者などが、いっせいに「日米関係が悪化する」と書きたてている。日本が独立国としての主権を主張する局面になると、このような親米派がいっせいにうごめきだす。このままでは米国のご機嫌を損なう、とばかりに、臆面もなく米国の主張を垂れ流す。  
 米国が怒るから辺野古にしろなど、「売国奴」的な表現を、日本のマスコミが平然と繰り返している。ワシントンやニューヨークを体験した「大記者」たちの退廃である。
 普天間の問題を解決するには、日本の米軍基地を将来的にどうするのか、という課題は切り離せない。もう60年以上もつづいている「占領状態」を、これからどう解消していくかを考える時となった。強靱な将来志向で挑むしかない。(談)

「鎌田慧の現代を斬る」から
写真上=Guam.Pedro Santos Park,2011/1/26,編集部撮影
写真下=鳩山首相の辞意を伝える日本経済新聞号外、Photographed by Vantey、From Wikimedia Commons, the free media repository

増子義久「宮澤賢治没後80年―余話2」(寄稿)

 映画俳優の渡辺謙さんは東日本大震災の直後、YouTubeの動画によるメッセ-ジ発信サイト「kizuna311」を立ち上げ、その第1回目に賢治の「雨ニモマケズ」を自ら朗読した。なぜ、この詩だったのか。最近の話題作「許されざる者」(李相日監督)に主演した渡辺さんを見て、そのナゾが少し解けたような気がした。第65回アカデミ-賞作品賞などを受賞した、クリント・イ-ストウッド監督・主演の同名の映画(1992年)のリメイク版で渡辺さんのほか、柄本明、佐藤浩市ら豪華キャストの息詰まるような迫真の演技が全編にみなぎっている。

 舞台は明治初期の蝦夷地(北海道)―。大勢の志士を殺害し「人斬り十兵衛」と恐れられた幕府の残党、釜田十兵衛(渡辺謙)は、いまはアイヌ女性との間にもうけた2人の子どもと一緒に人里離れた荒野で百姓として暮らしている。妻はすでになく、生活は貧しい。そこに昔の仲間(柄本明)が現れ、懸賞金目当ての殺しに誘う。痩せた耕地では実りも途絶えつつある。

 当時の蝦夷地は新参の開拓民や屯田兵(警備や開拓に当たった兵士集団)、それに追っ手を逃れた旧幕臣などが入り乱れ、混沌とした状態にあった。同化政策を進める政府と先住民・アイヌとの衝突も絶えなかったが、貧窮に耐えきれないシャモ(和人=日本人)に救いの手を差し伸べたのもアイヌだった。十兵衛もアイヌ女性と出会うことによって、刀を捨てる決心をした。アイヌは「戦(いくさ)を好まない」ということを教えられたのである。

images[2] そんなある日、体を売ることを余儀なくされた女たちに対し、2人の開拓民が暴力を振るい、体を切り刻むという事件が起きた。女たちはなけなしの金を出し合って殺し屋を募り、2人への復讐を誓った。ひもじさに耐える幼子たち、虐げられた女たちの誇り…。法の番人であるはずの警察署長(佐藤浩市)が十兵衛の仲間をなぶり殺すという事件が追い打ちをかけた。途中から殺しの仲間に加わったアイヌ青年(柳楽優弥)の存在がこの作品の底流に大きく影を落としている。

 アイヌ社会にかつて「カソマンテ」という独特の風習があった。「チセ(家)焼き」と呼ばれ、女性が死んだ後に家を焼き払う風習のことである。アイヌコタン(集落)で家が燃えているのを目撃した屯田兵が「火をつけたのは誰だ」と言って、アイヌたちにリンチを加える凄惨な場面が出てくる。この光景を目に焼き付けた十兵衛は真っ直ぐに下手人のいる場所へと向かう。

 「死して生きる」―。これがアイヌの死生観の根本にある。画面を見つめながら、私はかつてアイヌのフチ(おばあさん)が教えてくれた話を思い出した。「アイヌはあの世でも生きていくわけだから、住む家を火の神を通して送り届けるわけ。とくに女の場合は一人で家を建てることができないからね」。明治4年、この伝統的な風習は「無知蒙昧で野蛮だ」という理由で一方的に禁止された。

 虐げられた者たちに対する限りない憐憫(れんびん)と「許されざる者」に対するたぎるような憤怒(ふんぬ)。この二つの感情が十兵衛に再び刀を抜かせたのではなかったのか。「雨ニモマケズ」に流れる精神―「受難者に寄り添う共感の眼差し」を十兵衛は「許されざる者」たちへの挽歌として捧げたのかもしれない。そんな気がしたのだった。

 渡辺さんは明治初期の北海道を舞台にした映画「北の零年」(行定勲監督、2005年)にも主演している。そういえば、この時もアイヌの存在が通奏低音のように作品の底流に流れていた。イ-ストウッド監督のオリジナル版でも作品に深みを与えていたのはアメリカ先住民・インディアンの存在であったことを、ふと思い出した。

写真=増子義久氏提供

マスコミに巣くう「親米派」

 普天間米軍基地は町中にあり危険だとして、1996年4月の橋本龍太郎首相とモンデール米大使が返還で合意した。そののち、97年11月に政府は代替施設として名護市辺野古沖に海上施設を設置する、とした。  

 ところが、辺野古は普天間基地の代替ではない。あらたに増強されるまったくの新しい基地である。2本の滑走路をV字型に並べるプランは、60年代に米軍が密かにつくっていた計画の浮上であった。つまり普天間を撤去するという偽装の下につくられた、より強力な新空港なのだ。
 海上空港をつくる当初の計画にたいして、住民たちは海上予定地のボーリング調査用のパイプ製やぐらを占拠、座り込み闘争をつづけた。それによって、海上空港案は頓挫した。

 その抵抗運動を回避する形で、キャンプシュワブの一部を使った、埋め立て空港に政府は強制着陸した。沖縄県の土木建築業者を傘下に収めているゼネコンにとっては、大需要の喚起だった。しかし新たな軍事空港建設は、基地に苦闘してきた沖縄が、さらに戦争に縛り付けられること意味する。ますます反対運動が盛り上がったのは当然だ。

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写真=普天間基地, U.S. Marine Corps photo by Cpl. Justin Wheeler 16/3/2011、wikipedia public domain

 在日米軍基地は全国に85ヵ所ある。駐留兵力は約3万6000人。この施設の面積は東京23区のほぼ半分ともいわれている。この膨大な用地の75%が沖縄に集中している。「国土の0.6%に75%の基地」といわれるゆえんだ。
 また、米軍は沖縄県民の地主から強制収用した負の歴史がある一方で、面積の大きい地主には不労所得が入る、という矛盾と退廃を生みだした。
 
 これまで本土での米軍基地は減少傾向にあったが、沖縄ではほとんど減っていない。つまり現在の日米関係は沖縄県民を犠牲にし、生活を荒廃させたうえで本土が繁栄する、という関係となっている。だからこそ鳩山由紀夫元首相などが目ざした「対等な日米関係」のノドに突き刺さった棘(とげ)となっている。
 自民党政権はなんら沖縄の基地問題を改善する意志がなく、辺野古に押しつけて事足れりとしてきた。鳩山政権はそれを解決する方針を打ちだし、自民党や財界、大メディアから集中砲火を浴びたのだった。しかし自国も相手も政府が替わったのだから、政権交代前の「合意」について、話し合いによって解決していくのは、外交において当然の姿勢だ。 

 米軍基地の問題の根幹に横たわるのは、日米安全保障条約である。51年に締結された旧安保から60年の歳月がたった。1960年の安保改定にさいしては、安保反対の大デモが起こり、30万以上の人たちが反対を訴えて全国から国会に集まった。わたしたちの学生のころである。89年にはベルリンの壁が崩壊、ソ連を中心とした冷戦構造は解消し、各国が新しい国際関係を模索してきた。ヨーロッパ諸国はEUを結成した。
 ところが自民党政権の日本は、米国一辺倒の外交を変えようとする意欲はない。戦争終結から60年以上たってなお占領軍が駐留し、さらに基地を拡大強化しようとしている。これが「対等な」関係なのかどうか。2009年の政権交代を契機として、これまでの対米一辺倒の日米関係を変えていく時代にもなっている。
 日本の未来にむけての政治をおこなうべきときは近いのである。〈この項、続く〉
「鎌田慧の現代を斬る」から

ギリギリ日誌10月19日(曇り)

いま博多港です。
ピースボートの出航待ちです。
博多、釜山、基隆、那覇とまわります。
今回は、韓国環境財団との合同クルーズです。 
 
 昼過ぎ、吉岡共同代表、軍事評論家の前田哲男、李泳采(イ・ヨンチェ、恵泉女学園准教授)など顔見知りのひとたちと、記者会見を行いました。

 このクルーズは、日韓、日中の海を渡っていきます。
 ここは国際紛争の海ですが、漁民たちがたがいに魚を獲って、共存してきた、平和の海でもあります。
 政治家が対立を煽るのは、長い海の歴史を冒涜する非常識です。
 また、この日韓、台湾との間の海は「一衣帯水」。狭い川のような距離で、原発を挟んだ危険な海でもあります。
 戦争と原発をなくすための、わたしたちの航海は、日韓民衆の未来を切り拓くにむけた航海です
、というようなことをわたしは話しました。

 元米陸軍大佐として軍務に就き、いま反戦運動を実施しているアン・ライトさんも会見に参加しました。彼女は国務省上級外交官でもあったのですが、米国が日本の憲法9条を変えようとしている、と強く批判しています。
 安倍首相など、米国の走狗ということでしょうか。

長寿社会の焦燥

 年賀状の時期になると、ことしは身内に不幸があったため欠礼します、と知らせるはがきが、ぽつぽつ舞いこんでいる。 
 それを眺めていると、今年ももう押しつまったな、という焦りのようなものを感じさせるのだが、それらの知らせに共通する事実があるのに気がつくようになった。というのは、そこに記入されている物故者の年齢が、92とか94とか、90歳を超えているのである。
 そのことに気がついてから、年齢をみるのを心がけるようになった。その次の日のはがきに80代がふたりつづいたりすると、なんだか若死のように感じられたりする。 
 もちろん、それは偶然のことで、60代でなくなるひともいるのだが、わたしたちの年代の親となると、90代、ということになってしまうのだ。 
そういえば、親しい友人たちに頭をめぐらしてみると、実際に90歳以上の両親を抱えているひとがまだなん人かいる。長寿社会になったものだと、あらためて感心させられた。

 わたしの両親は、もうふた昔まえに、それぞれ80代で他界している。けっこう長生きしたほうだ、とそのときは考えていた。が、そうでもなかったんだな、ともおもわせられる昨今である。 
 さて、と自分のことにおもいがおよぶ。はたしてなん歳まで生きるのだろうか。もちろん、神の身ではないのだから、それはわからない。でも、あんまり長生きしたくないな、とおもう。
 というのも、わたしは、ほんの短いあいだしか会社勤めをしたことがないので、年金は国民年金程度、けっして生活できるようなものではない。だから、将来のことは考えないようにしているのだが。 
ちいさな会社に長年つとめた友人は、遠い郊外に家を買っているのだが、東京にでてくることはほとんどなくなった。「企業年金」がない年金生活者は、ますます暮らしにくくなっている。 
 90歳まで生きたひとたちは、戦争にいったひとたちである。つまり、生き残ったひとたちである。あるいは、人生を大事に生きたひとたちかもしれない。戦争と戦後の混乱期を生き抜いた労苦は、尋常ではない。 しかし、これから、4人に1人が老人という時代を迎える。いまの政府は、いままでよりも老人を大事にする、ということなど考えていないようだ。

イラク戦争 
写真=イラク戦争、by Kalka100, Under licensed of creative commons

 イラクの戦場への自衛隊の「参戦」が表明されると、たちまちにして、心配されていたようにテロ攻撃をうけて、2名の外交官が殺害された(2003年11月29日)。これからは、各国の在外公館にも自衛隊を派遣しよう、と政府内に声がある、という。
 本末転倒だ。参戦しなければいいのだ。 
 航空母艦をつくり、ミサイル防衛の網の目を張りめぐらす予算もつけられた。防衛力強化といいはじめると、軍備は矛と盾との絶対折り合いのつかない関係だから、際限なく軍拡がすすめられる。 

 日本は老人だらけの国になるのに、年金を削って戦争をやろうとしている。戦争はしません、と毅然としていたときのほうが、老人は幸せだった。

『いま、連帯をもとめて』大月書店、2007年6月
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