書評:日本と沖縄からの重圧に苦しむ島

書評 太田静男『夕凪の島 八重山歴史文化誌』みすず書房

 戦後、日本の沖縄統治が崩壊し、無政府状態になったとき、台湾にちかい与那国島が 、「密貿易」の拠点として「ヤミ景気時代」を迎えていた。このとき、日本や沖縄本島が飢渇状態だったのに、先島とも呼ばれる八重山諸島には物資があふれていた、との逸話が遺されている。

 昨今は、「尖閣列島」の三島が、石原慎太郎前都知事の挑発で、日本に「国有化」され、自衛隊配備が話題になったりして、沖縄よりは穏やかだった八重山諸島も、にわかにキナ臭くなった。
 市長や市議会が石原寄りになってしまった、石垣島にいて、著者は中国と「紛争」に なれば、たちまちにして八重山諸島は「戦場」となり、かつての悲惨を繰り返す、と警告しつづけている。

 琉球処分(明治12年)を断行した明治政府は、その翌年、沖縄本島以北を日本、先島は清国に割譲、とする交渉を清国とはじめていた。住民は清国を支持していたが、清国はこの「狭小不毛の地」に食指を伸ばさなかった。
 沖縄、八重山、台湾、中国と結ぶこの一衣帯水の地域にあって、零細漁民たちは争うことなく、それぞれ平和に共存していた。ところが、尖閣列島周辺に大油田が「発見」されると、たかだか「岩塊の島が領土紛争の島になった」と著者は嘆いている。かねてから島の住民たちは、さらに南にあるはずの島に憧れ、舟をだしていた。
 といって、この本は地政学的に八重山を語っているのではない。サブタイトルにあるように、ヤドカリやヤシガ二やカワセミ科のアカショウビン、コウモウセンゴケ、蓬莱米や闘牛など、島の植物、生物とそれにまつわる暮らしと民話を紹介する、こまやかな「歴史文化誌」である。沖縄に関する書籍は汗牛充棟とも言えるが、八重山の記録として貴重である。

 石垣島に残る「宇根ゆ屋ユンタ」にある、「五の指買いおーり(買ってきてください
)、十の指買いおーり」という歌詞は、ハンセン病になって指を失った妻が、船頭の夫に訴えたものだ。
 ハンセン病患者の悲哀が、集落の共同作業(結い)の場で歌われるのは、八重山ではハンセン病患者が一族や村から排除、迫害されることがなかったからだ、と著者は指摘している。
 むしろ、老人の患者は結婚式の日取りや墓の造り方、病気の治療法などを教え、秘祭の祭司もつとめて敬われていた、という。

 ところが、琉球王府支配の時代になると、ハンセン病患者の隔離政策がはじまり、「琉球処分」のあとには。役場に「死人」として届け出させるようになった。
 ハンセン病患者を長老として迎え入れていた八重山も、日本に組み込まれていくなかで、「癩予防法」(1931年)に従い、戦時体制強化の一環としての「無らい県運動」に動員されるようになる。著者はその痛恨の歴史を跡づけている。
 琉球王朝が「処分」されたあと、日本化の進行にともなって、沖縄は癩撲滅の「無らい県」に率先参加したのだが、琉球王朝に支配されて以来、八重山地方は、「八重山ほどハンセン病に対して理解がない島はない」と嘆かれるほどに差別の強い島に変貌していた。

大田静男 標準語励行の手段として、方言を使った生徒の首に、「方言札」を吊した歴史は知られているが、八重山支庁では、方言を話したものから、五銭の「国防献金」を徴収した。警察の思想弾圧もひどく、天皇制を批判して教壇を追われた青年たちも、転向して「島共同体の指導者として、より積極的に天皇の水先案内人にならざるをえなかった」。
 日本→沖縄→八重山。この二重の重圧の底、かつ防衛問題の先端にいる苦悶として、沖縄本島とは対称的な、自衛隊歓迎、偏向教科書の採用がはじまった。
 夜の闇に閉ざされる前の、夕凪の静けさを維持したい、という著者の願いをあつめた著書である。

(『週刊朝日』11月8日号)

写真上=竹富島の集落、pictured by ippei & janine naoi, Creative Commons Attribution 2.0 Generic license.
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