TPPで進む日本の植民地化②

諸手をあげて賛成する大マスコミ

 TPPをめぐる議論で不思議なのはメディアの動きだ。テレビはもちろん新聞社もこぞって賛成を表明している。経団連ベッタリの日本経済新聞はもちろんのこと、読売新聞や毎日新聞、朝日新聞も強行派である。
 朝日新聞などは10 月14 日の社説で、「TPPへの参加は、経済連携戦略での遅れを取り戻す、またとない機会だ」などと書いている。
 
 しかしTPPによってダメージを受けるのは、農産物ばかりではない。日本政府が守ってきた安全性さえも保証できなくなる。
 遺伝子組み換え食品などは、その最も顕著な例だろう。
 遺伝子組換え食品であるとの表示を必要ないとする米国の主張は、すでにTPPで大きな問題となっている。しかもTPPでは、投資家が投資先の国の政策で被害を受けた場合、日本以外の国で裁判がひらかれるという。
 
March Against Monsanto New Orleans Gathering Duncan Plaza Flying Dog No GMOs 米国の司法は、遺伝子組換え作物についてとんでもない判決さえだしている。遺伝子組換え作物を育てている企業が、遺伝子組換え作物ではない花粉が飛んできて不利益を被った隣の農家を訴えた裁判で、企業側の主張を認めたのだ。このような判決がだされるなら、遺伝子組換え作物の畑をつくっては、隣接する農家を訴えて規模を拡大することも可能となる。すでに米国とFTAを結んだ韓国でも、この訴訟制度について大もめとなっている。
 このような不平等条約を、朝日新聞は「TPP議論 大局的視点を忘れるな」と参加を煽(あお)っているのである。「日本がもたつく間も、世界は動いている。自動車や電機といった日本の主力産業でライバルとなった韓国が典型だ」とは、「バスに乗り遅れるな」というアジ(=煽動)だ。しかし、そのバスは「地獄行き」なのだ。

 TPPによる悪影響について、日本医師会は医療の産業化が進むとして、次のような見解をしめしている。
 「医療の効率化が優先され、安全性が失 われます。営利企業は、高収益を見込むことができる私的医療費にシフトし、公的医療保険の患者が切り捨てられます。社会保障は平時の国家安全保障であり、営利産業化させ、市場で競争させるべきものではありません」

マイケル・ムーア「シッコ」(amazon) 米国では、民間保険会社の提供する健康保険プランを個人や各企業が加入する形式を取っている。そのため保険加入や保険金の支払いを拒否される例が相次いでいる。
結果として数百万円という高額な医療費を払うことができず、医療を受けずに死んでいく人が後を絶たない。
 こうした問題をマイケル・ムーア監督は『シッコ』というドキュメンタリー映画にまとめている。そこには医者に行くお金がなく、自分で傷を縫う人が紹介されていた。国民皆保険制度が崩され、米国の保険会社が参入するようになれば、日本でも同様の事態が起こる。
 
 日本医師会は、国際医療交流による外国人患者・従事者の受け入れについても、「診察や治療は、人体に侵襲を及ぼす行為です」という表現で反対を表明している。健康にかかわることを簡単に改革すべきではないという現場の主張に、私たちは耳を傾ける必要がある。
 貧乏人は病院に行けなくなる一方で、高額な医療は充実する。こうした二分化は、TPPにより進むだろう。

 そんな社会はつくってはいけない。平準化や平等を求めて進むのが政治だが、米国や日本は一部の利益のために多数を苦しめる政治を進める。
「月刊 記録」 2011年11月号

写真上;遺伝子組み換え食品反対を訴える行進、アメリカニューオーリンズ (March Against Monsanto New Orleans Gathering Duncan Plaza Flying Dog No GMOs, GNU Free Documentation License)
写真下;マイケル・ムーア「シッコ」Amazon associate license
スポンサーサイト

『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』

まえがき

 2006(平成18)年4月、まだ寒が残っている秋田県北部の山間(やまあい)の町で、ほぼ1ヵ月のあいだに、一軒置いた隣同士、小学生の女の子と男の子がたてつづけに消息を絶ち、遺体となって発見された。
 残雪に囲まれたちいさな町は、凍りつくような恐怖に襲われた。子どもたちが急に泣きだしたり、眠れなかったり、トイレにいくのを怖がったり、パニック状態が続いた。 

 九歳の少女は川の中洲で、小学校にはいったばかりの少年は川の土手で、とそれぞれすこし離れてはいたが、遺体が発見された場所は、二体とも山峡を貫いて流れる清流にかかわっている。 
 事件のあった藤里町は、わたしの生まれ育った弘前市(青森県)から、釣瓶落峠(つるべおとしとうげ)を越えた隣町にあたるのだが、それまではまったく耳にしたことのない地域だった。地図をひろげてみると、県境にまたがる世界遺産・白神山地の広大なブナ原生林のむこう側、川に囲まれたちいさな世界である。眼を閉じると、その小宇宙の川岸に倒れている、ふたつのちいさな遺体を俯瞰できた。

橋の上の「殺意」 この町をはじめて訪れたのは、事件から三ヵ月ほどたってからだった。クルマで走りまわっていて、わたしはいつも、初夏の陽を受けて光っている、川面にとり囲まれているような閉塞感を感じていた。 
 「朝日ケ丘団地」。藤琴(ふじこと)川の河岸段丘に沿った、かぼそい町並みからすこし離れた一画に、都会風の瀟洒な住宅が並んでいる。12、3年前に畑地を造成して建設された、たった28戸の町営住宅である。
 それでも、過疎化がすすむ地域ではめずらしく、子どもたちの声がする地域である。 
 山の霊気が感じられるような山里の町営団地で、連続して起こった異様な事件によって、子どもたちばかりか、大人たちも怯えて暮らすようになった。地域全体がトラウマを抱え、そのケアのために精神科医たちが訪問するようになっていた。

 この町でわたしが最初に会ったのは、畠山鈴香を雇用していたパチンコ店の店長だった。まだ四〇代の店長は、彼女を解雇したのは無断で休むことがふえてきたからだ、といった。 
 畠山鈴香は事件のあったころ、からだの具合が悪くなって病院に通ったりしていたが、それまではよく働いていた。なにかの用事があって、店にひとり娘の彩香(あやか)ちゃんをつれてきたことがあったが、ごくふつうの親子の様子だった。鈴香はよく世話を焼いていた、という。
 それを聞いて、それまでテレビの映像で伝えられていた、自分勝手で興奮しやすい鈴香の表情が、ふと消えるような気がした。 

 高校時代の同級生たちとも会ったが、悪くいうひとはなかった。目立たない生徒だったのだ。同級生や同期生のなかでも、女性のほうがやや冷ややかなのは、リアリストだからだろうか。 

 そこから遠く離れた、都会のシングルマザーたちのあいだには、「畠山鈴香は、わたし」というひとがいないわけではない。精神科のクリニックを東京・麻布十番で開設している斎藤学さんは、彼のところに通ってきていた女性で、畠山鈴香事件にショックを受け、「在家出家」をしたひとがいた、という。 
 子どもを抱えて苦闘している、三〇代の女性たちが、人知れず戦(おのの)いていた恐怖を、鈴香が表現してしまったのかもしれない。

 しかし、なぜ、わが子ばかりか、二軒隣の小学1年生まで手にかけてしまったのか。 
 山里のたった28戸の住宅地。核家族がほとんどで、普段はさほどのつき合いはなかった。とりわけ主人公のシングルマザーは、まったく隣人たちとかかわりがなかった。得体の知れない女性の生活を窺(うかが)う視線が、事件のあとのテレビカメラによって、歪んだ映像に拡大されていった。 

 子どもばかりか、大人にたいしても、PTSD(心的外傷後ストレス障害)をあたえた犯罪だった。そのこともあってか、わたしが会ったある団地住民は、公然と死刑判決をもとめ、彼の子どもはテレビで鈴香の映像をみかけると、「死刑!」と叫ぶ、と語った。 
 これは哀れな「魔女」の裁判にかかわる記録である。

『橋の上の「殺意」 畠山鈴香はどう裁かれたか』講談社文庫、2013年8月
2009年6月平凡社より刊行されたものを加筆訂正のうえ、文庫化された。

ジャーナリズムのゆくえ-国益と民益

 「進歩的とか反動的とかいう規定は、ある人間が口でどういうことを唱えているかと いうことで決まるのではなくして、彼がその実践の上でどこまでその主張を貫いたか ということが大事なのである」
 丸山真男が、陸羯南(くがかつなん)について書いた文章の一節である。

陸かつ南 「理論と実践の統一」は、 世界的に戦後の知識人をとらえた強烈な理想だった。そのはるかな先駆者のひとりが、明治末期、49歳の若さで早世した陸羯南だった。「権勢を何とも思わぬ一点は、明治時代の新聞記者で(僕の知っているだけでは)絶倫だ」という、森銑三の輝かしい評価もある。
 独立不羈のジャーナリストとして、日本のジャーナリズムに巨大な足跡を刻んだ陸 羯南が、寒風吹きすさぶ、中央から冷遇されていた、本州最北端の一隅から生みだされたのは、わたしたち同郷人にとっての誇りである。
  ジャーナリズムは、右顧左眄(うこさべん)せず、おのれの信じる思想と視点とによって、権力を規制し、現実を裁断し、世界の変革に寄与する、との陸羯南の自己犠牲的な理想が、その後のジャーナリストに受け継がれたのは、まちがいはない。  

 「ペンは剣より強し」
 英国の政治家であり、小説家だったリットンの戯曲『リシリュー』にある名言である。
 しかし、湾岸戦争やイラク攻撃にたいする米国のマスコミ や、自衛隊出兵や対米従属の安全保障政策を「国益」として論じる日本の新聞や放送の変節ぶりをみるだけでも、「剣がペンより強し」の現実をつきつけられている。

 羯南の時代のように、投獄と発行停止によって言論が弾圧され、あるいは戦時中のように、 大本営発表に従属させざるをえなかった新聞記者たちの苦衷をおもえば、現在はまだまだ表現の自由の余地は残されているはずだが、すでに自主規制が新聞、テレビを覆い、生活意識ばかり強く、警世の想いのない「マスコミ人」がはびこっている。  

 わたしの新聞や放送への疑問は、「なぜそのニュースを取材し、報道するのか」、と いうものである。世論に迎合した報道ばかりが多く、個人の主体をかけたものがすくな い。ニュース価値の低俗化と無責任である。
 たとえば、つねに「政府高官」の発表記事が一面を飾り、たとえば、北朝鮮の拉致事件発覚のあと、被害者家族の報道が日夜くりかえされて、北朝鮮経済封鎖論に誘導されたり、たとえば、犯罪事件の加熱が、死刑にしろ、との世論を一気にたかめたり、報道が憎悪と 制裁の拡声器になっている。
 記者自身、自分の記事が歴史的にどう検証されるかに懼(おそ)れをいだかず、ただ組織の一員として、世論操作に奉仕させられがちである。
 なんらの定見なく、ただ世論に迎合し、売れ行きだけにあたまを悩ましているの は、ジャーナリズムの邪道であり、信じてもいないことを書くのは、文筆の退廃である。

 「独立的記者の頭上に在るものは唯だ道理のみ、唯だ其の信ずる所の道理のみ、唯だ国に対する公儀心のみ」
 と書いた羯南は、国家への忠誠ではなく、国民(市民)への奉仕を天職と考えていたのだった。
 ジャーナリズムとは、ヒューマニズムのことであり、国権を規制して人権を拡大し、ひとびとが生きやすい社会をつくるためのものである。とすれば、その最大の使命は、 あらゆる戦争に反対することである。
(鎌田慧講演、青森県近代文学館2004年8月)

写真=陸羯南、撮影年月日不明、Japanese book Katsunan Bunroku (羯南文録) 著作権保護期間満了

平等主義の崩壊を促すあらゆる力に抗するために

 
NHKの姿勢はジャーナリズムの自殺そのもの  

――人権無視があらゆるところで加速していますね。 

 戦後に掲げられた平等主義が崩壊しているといっていいでしょう。戦後民主主義は、自国の繁栄だけを求めたという欠陥がありましたが、それでも、二度と戦争をしない、労働者や女性の人権を守る、独占企業は解体するということを定着させる運動がたしかにそこにありました。 
 それが、ひっくり返されようとしている。問題なのは、右派ジャーナリズムがブロックを組み、政界・財界の方針に乗り、人権攻撃、市民・労働運動攻撃を仕掛けているということです。 
 それは今回の政治家のNHK番組への介入問題でも、おなじことがいえるのではないでしょうか。
(注;2001年1月、NHKが従軍慰安婦をとりあげた番組を放送する直前、自民党の安倍晋三幹事長代理、中川昭一経済産業相(当時)が議員会館にNHKの幹部を呼び出し、放送中止を求めた事件。安倍、中川両氏は、後になって番組の内容への介入の事実を否定し、中川氏は放送前に呼び出した事実すら否定したが、2005年に朝日新聞がスクープして事件の全容があきらかになった。朝日は、事件当時のインタビューをとりあげ、番組の内容に細かく注文をつけ「番組の放送中止まで求めた」と中川氏が証言したことを紹介している)

――その問題は、日本のジャーナリズムの行く末を左右する大事件に発展しそうですね。

 NHKの問題は、橋本元一新会長が「(番組について事前に政治家に説明するのは)一般論として好ましくない」とコメントしたりと、新たな展開を見せていますが、少なくともこれまで、海老沢前会長も放送総局長も「政治家への事前説明は当然だ」と発言してきた。元政治部の記者である海老沢氏が、そんなことを言っているんです。
 メディアが政治家、権力側に取材の承認を得るというのは、まさに検閲で、ジャーナリズムの自殺そのものです。 
 この発言は、日本でもっとも影響力を持つ言論機関であるNHKの言論をこれまでいかに政治家が左右してきたかということを、はっきり示しています。 

 さらにNHKがひどいのは、一方的にNHK側の見解だけをニュースで報道し、朝日側の反論をあつかわなかった。こういう「公共放送」の無視にたいし、視聴者が「受信料を払わない」というのは当然です。 

 言論にたいする権力側の圧力は、言論にとっての最大の問題です。権力と対峙し、これを批判し、規制するというのが言論の存在理由なのですから。 
 ところが、政治家の介入に対し反撃すべきメディアの多くが、この問題を朝日とNHKのケンカという形にすり替え、自分たちの問題として捉えていない。そればかりか、『産経新聞』『週刊新潮』などは、NHKの当該番組が従軍慰安婦の問題をあつかったことに矛先を向け、さらに記事を書いた朝日の記者を「過激派」呼ばわりしている。トロイの馬、権力の走狗……、現在のジャーナリズムはここまできているのです。 

――では私たちはこれらの事態にどう対処すべきか。 

 一つは、NHKが公的機関として機能するよう要求を出したり、監視したりする運動をおこすことでしょうね。不払運動もはじまっています。 
 もう一つは、ミニコミもふくめ、あらゆる媒体で、右派ジャーナリズムと対決することです。黙認していてはいけない。すでに言論戦がはじまっています。むこうは露骨に攻撃を仕掛けているわけですから。
『やさしさの共和国』花伝社、2006年9月
写真=NHK放送センター(東京都渋谷区)Photo taken by J o. GNU Free Documentation License

取材とは何か

権力とどう向かい合うか 

 いまは、ジャーナリズムとマスコミが同じにされていますけれど、それはもちろん違うわけでして、マスコミ人という形でなくて、ジャーナリストであってほしい。
 ジャーナリストとは何かといいますと、権力と自分とがどう向かい合うかという、その緊張感が前提です。マスコミになってしまうと、結局、より多く商品として売るというような形になっていまして、最大公約数的な意見になりがちなのです。 

 いまの社会に不満がない人、あるいは矛盾を感じていない人は、ジャーナリストになる必要はないということです。いまの社会でよいという人は、別にジャーナリストになる必要はない。いまの社会に対して、何かいいたい、何かをしたい、いまの状況を変えたいという人こそ、ジャーナリストになってほしい、その一言に尽きるのです。 

 ジャーナリストの精神とは、改革でもいいし、変革でもいいし、まあ革命でもいいのですけれども、とにかくいまの社会を自分のペンの力によって変えたいという精神です。


報道を規制されるジャーナリズム


 ジャーナリズムというのは、明治の時代から弾圧されつづけてきました。
 明治の自由民権運動のなかから、政論新聞があらわれたのですけれども、もう一方では権力側というか、県令(県知事)のほうから新聞をつくれという、この二つの対立する方向から新聞の歴史がはじまっています。
 その自由民権運動の新聞は、「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」などによって、弾圧されつづけています。 

 最近では、個人情報保護法、あるいは人権という言葉を使って人権保護法とし、たしかに人権保護法は必要なのですが、そのなかにジャーナリストの規制を入れています。
 常に権力側は報道を規制しようとしているのですが、報道側は次第に鈍感になっています。最近は「共謀罪」など、政治権力はより完成した権力たらんとします。 
 明治時代に、陸羯南(くがかつなん)というジャーナリストがいまして、これは『反骨のジャーナリスト』(岩波新書)という本に書いているのですけれども、彼が発行していた『国民新聞』は、23回の発禁、発行停止の処分を受けています。 

 いまのマスコミは、発行停止をされると、何千人という従業員の賃金を払えなくなってしまうので、えてして権力と真っ向からぶつかるような報道をしなくなっています。
 NHKの番組に対して、自民党がどのような関与をしていたかということが、問題になりましたけれども、これはマスコミの社会では常識的なことです。民放やNHKは時の権力に全く弱い。いまでも、その事業の許認可権を握られているからです。〈この項、続く〉
『ジャーナリズムの方法』(原剛コーディネート)より、早稲田大学出版、2006年11月
写真=the woman of rock,  Escapologist at en.wikipedia the Creative Commons Attribution 2.5 Generic license.

重要な情報を報じなくなった大マスコミ

  「3・11」は、たんに大きな災害があった日のことではありません。さまざまな既存の価値観の転換点でした。
 自然現象によって原子力発電所という人工物が破壊され、そこから長い半減期を持つ放射性物質の放出が広まり、人間社会に大きな影響を与えています。
 これは、大地震で石油タンクが倒れて燃えるなどとは、まったく意味が異なる非常事態でした。 

 このように大事件に遭遇して、人間はいろいろと考え、判断をするのですが、読売、朝日、毎日、産経などの大新聞や民放テレビなど、いわゆる「大マスコミ」は、それに対応することができていません。 
 対応できなかった理由の一つは、正しい情報を流せば国民がパニックに陥る、と心配した政府に同調したことです。
 たとえば、福島第一原子力発電所の4基の原子炉のうち、3基が爆発したこと、メルトダウンが始まっていたことや放射性物質を大量に放出したこと、その被害の広がりや危険性について、迅速にきちんと伝えることをしなかった。その後もこうしたことが繰り返され、その過程でマスコミに批判的な人たちが急激に増えました。 

 しかし歴史を振り返ってみれば、大災害が起こったときは、マスコミは信頼される存在だったのです。民衆にとっては、具体的な情報を得るための貴重な手段なのですから。 
 阪神・淡路大震災のとき、神戸新聞社は、三宮の神戸新聞会館(本社)を失いましたが、緊急時援助協定を結んでいた、京都新聞社に支援されて発行を続け、避難所などにもどんどん配っていきました。
 東日本大震災では石巻日日新聞社が、地震直後の6日間、手書きで壁新聞をつくり、避難所などに貼り出したことも知られています。
 どちらも、被災した人々が知りたい情報、つまり人間の生活、命や健康にかかわる最も重要な情報を伝えていました。

 ところが、3・11後の大マスコミはその期待を裏切ったのです。民衆が最も知りたい情報を隠してしまった。戦時中とおなじ言論統制だったのです。(つづく)

「人々に共感されるジャーナリズムを」『現代社会再考』水曜社、2013年1月

写真=阪神淡路大震災粕井ビルの倒壊、松岡明芳撮影、GNUフリー文書利用許諾書 (GNU Free Documentation License) 1.2による

人々に共感されるジャーナリズムを

12月9日付「重要な情報を報じなくなった大マスコミ」の続きになります。

 放射線が健康にどう影響を及ぼすのか。今、多くの人が関心を持ち、知りたがっています。健康のことは、これから長期的に取り組んでいく問題になるでしょう。たしかに、放射性物質がどこまで拡散しているのか判然としないなかで、何をどこまで報道していいのかの判断は難しい問題です。
 それに、原発立地点の自治体や隣の浪江町、さらに風下になった飯館村の人々にしろ、原発で働いている人々にしろ、原発周辺の逃げ遅れた人々にしろ、彼らの被曝がこれから肉体的にどのような被害をもたらすかは、誰にも予測できません。
 だからこそ、既存の大マスコミは、目を背けているのだとわたしは推測しています。 

 放射性物質の拡散とその問題について、もっとも早く取材したのは、5月15日に放送されたETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~』(NHK)です。
 素晴らしい番組で、多くの人々が衝撃を受けたと思います。 

 しかし、考えさせられるのは、この番組をつくった人たちが、3・11後、一週間ほどで情報を得ていることです。つまり、かなり早い段階で「放射能汚染地図」の実態を把握していた。しかし当時、NHKは、その内容をニュースで報道することなく、「直ちに健康被害が出ることはありません」との政府発表を垂れ流していました。
 番組の中で、線量の高い場所に留まっている人々にそこからの退避を促す場面があります。しかし、番組が放送されたのは、その場面の約1カ月後なのです。 

 危険が明らかになったのなら「逃げろ」と叫ばなくてはなりません。ですから、ニュースで報道すべきだったと批判することはできます。報道しなかった理由はわかりません。
 しかし、報道してしまうと、番組がつぶされてしまうかもしれないという思いが、あったかもしれません。
 報道するよう頼んだのに、何らかの理由で報道されなかったかもしれません。たとえ放送までに1カ月かかったとしても、人々が知りたいことをしっかりと追求し、番組にして世に送り出したからいいともいえますが、難しい問題です。
 マスコミが真実を報道できなかった一つの例題です。
「人々に共感されるジャーナリズムを」『現代社会再考』水曜社、2013年1月

写真=2011年4月11日浪江町, Photo taken by Steve Herman、voice of America,public domain

トヨタの隠蔽体質を斬る

12月15日付「トヨタに“暴走" 隠蔽の旨味を教えた 20 年前の悪しき教訓」の続きになります。

 東京都府中市で死傷者6人をだした暴走事故では、ブレーキを踏んだのに車が止まらなかったとの主張を被告が譲らなかった。実際、事故現場ではブレーキと疑われるタイヤ痕が見つかっている。
 また87 年には、コンピュータ基盤に付けられたハンダのひび割れから暴走が起こるとしてトヨタがリコールしているし、アースの締め付けを忘れたトヨタ車の自動速度制御装置が誤作動し暴走している。
 それでも車の心臓部でもある電子制御が設計段階からおかしとは認めない。トヨタのかたくなな隠蔽姿勢は、80 年代末から一貫している。旧運輸省の不可解な最終報告書と米国でのロビー活動によるもみ消し、とは似かよった結果となった。

 AT車問題と今回の暴走問題の奇妙な一致点は、これだけではない。
 トヨタは89 年9月に、AT車の暴走につながる可能性のある欠陥を運輸省に報告せず、苦情のあった約3000 台の車の部品を密かに交換していたことが明らかになった。これはプリウスのブレーキの不具合をリコールせず、苦情の顧客だけコンピュータを改善していたのとおなじ処置である。

 当時、この問題について記者会見したトヨタの金原専務は、「このような不始末をしたことをおわびする。安全性に問題はなく、運転者の感覚的な範囲の問題としてとらえ、社内で対策をとっていた。リコールの対象外との判断だった」(『毎日新聞』89 年9月13 日)と語った。
 これもプリウス問題で記者会見をした横山裕行常務の「お客様の感覚と車両の挙動が少しズレていることによって、お客様が違和感を感じられると認識しておりました」という発言とおなじである。

 車が暴走しようが、ブレーキの利きが遅かろうが、お客様の「感覚の問題」だというのが、トヨタ方式なのだ。
 米国トヨタ自販のジム・レンツ社長が公聴会で説明した「世界的な情報の共有がうまくいかず、大半の情報が一方通行だった」ことが問題の本質ではない。情報を集めた先の大企業意識、殿様意識が、ユーザーの安全や不安を押し切ってきた。

 このような、これまでの一連のAT車暴走事件は、トヨタに悪しき教訓をあたえてきた。構造の欠陥を認めず、不安と不備をガス抜きをしながら時間をかけ、こっそりと問題をカイゼンしていけば世論も収まると。
 だからこそアクセルペダルの問題が指摘されても、死亡事故が起きるまでは放っておいた。日本のマスコミは、トヨタの広告費に餌付けされていた。

月刊「記録」2010 3 月号


写真=Taken by emrank, creative commons license
↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。